工藤兄弟

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工藤順一郎から転送)

工藤兄弟(くどうきょうだい)は、日本双子(一卵性双生児)の元タレント。ともに身長177センチメートルで、血液型はA型。

東京都文京区出身[1]。芸能事務所は、かつてホリプロに所属したが、2008年に独立して「JK sports」を設立する。

メンバー[編集]

来歴・人物[編集]

1991年、男性アイドルを生み出そうと男性限定で行われた第16回ホリプロタレントスカウトキャラバン(大会コンセプトは「第1回飛び出せ!日本男児」)に母親が応募する。二人とも芸能界に興味はなかったが、面白半分でオーディションに臨んで審査員特別賞を受賞し、芸能の仕事を始める[3]。当時、順一郎は東京YMCA社会体育専門学校の2年生、光一郎はファッションブランド「JUN」の店員だった。

1992年4月から1994年9月まで2年半、フジテレビ笑っていいとも!』の8代目いいとも青年隊を務めた[3]

ものまね番組にたびたび出演し、1998年4月2日放送のフジテレビ『第23回爆笑!スターものまね王座決定戦スペシャル』で、松村和子大石円との4人組ユニットで優勝する。1回戦はハイ・ファイ・セットのまねで『フィーリング』(100点)、2回戦はABBAのまねで『ダンシング・クイーン』(99点)、準決勝はフィフス・ディメンションのまねで『アクエリアス』(99点)、決勝戦はママス&パパスのまねで『夢のカリフォルニア』(99点)であった。

ともに運動能力に優れ、「芸能人スポーツマンNo.1決定戦」に出演して順一郎がモンスターボックスで20段 (2m76cm) を記録する[4]

2003年10月6日放送の日本テレビマネーの虎』に出演し、スタビライゼーションのDVD制作費555万円を希望した。スタビライゼーションは、主導筋だけではなく補助筋(スタビライザー)も刺激して体の安定性を高め腰痛肩こりを予防改善する、従来と異なるトレーニング方法である。順一郎が椎間板ヘルニアで悩んだ時にこれを知った2人はインストラクターの資格を得て、社長らの前で実践してマネー成立となり、得た金でDVDを制作した。

2008年にホリプロを退社し、個人事務所「JK sports」を設立する。体操指導員として子供向け体操教室、親子向けイベント、夏にキャンプ、秋に日帰りバス遠足[3]などを催す。

2019年11月4日放送のテレビ朝日の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』に先生役として出演し、以下を語る。「いいとも青年隊に抜擢されてスーパースターのような生活を続け、有頂天になり芸能の仕事から干された。『いいとも!』出演時はレギュラー陣にあいさつに行くと「あぁ、和田アキ子さんから聞いているよ」と言われるなど事前に膳立てされ、六本木などで顔パスで会計を無料とされる、など厚遇されて自失し、周囲に感謝を忘れて仕事の展望もなかった。個々人は評価されず双子扱いが続くことを嫌い、二人揃いの出演依頼を拒否し続け、業界から煙たがられて仕事が激減し、2008年に芸能界を引退することになった。」と語る[5][6]

2014年3月31日放送のフジテレビ『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』に歴代レギュラーとして出演した。

出演[編集]

テレビ[編集]

オリジナルビデオ[編集]

  • BE-BOP HIGHSCHOOL 停学野郎繁盛篇(1997年)
  • 東京夜暴動(ナイトウォーズ) 喧嘩の花道 東京番外篇(1998年)

DVD[編集]

  • 「工藤兄弟のスタビライゼーショントレーニング~スタビで腰痛予防」(2004年6月16日発売)- 監修:安光達雄
  • 「工藤兄弟のスタビライゼーショントレーニング~スタビでシェイプアップ」(2004年6月16日発売)- 監修:安光達雄
  • 「ちょっと! ちょっと、ちょっと!! どした!映像コント集」/ザ・たっち2006年7月19日発売)- ゲスト出演(同じ双子で当時同じ事務所の後輩であった)

CM[編集]

ディスコグラフィー[編集]

全作品、ポニーキャニオンから発売。

  • もっと俺のそばにおいでよ(1992年9月18日)
  • 君だけでいい(1993年3月3日)
  • 進め!ヤクルトスワローズ(「ヤクル党」名義。1993年4月7日)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]