嶋村一輝

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嶋村 一輝
横浜DeNAベイスターズ 二軍打撃コーチ #84
DeNA選手時代
(2012年3月16日 横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県下関市
生年月日 (1981-10-13) 1981年10月13日(42歳)
身長
体重
180 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 2003年 ドラフト4巡目
初出場 2004年8月4日
最終出場 2012年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 横浜DeNAベイスターズ (2014 - 2015)
  • 中日ドラゴンズ (2016 - 2017)
  • 横浜DeNAベイスターズ (2018 - )

嶋村 一輝(しまむら いっき、1981年10月13日 - )は、山口県下関市出身の元プロ野球選手内野手外野手、右投右打)、コーチ

2007年から2012年までは名前の「一輝」を登録名に用いていた。

2022年から横浜DeNAベイスターズの二軍打撃コーチを務める。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

ソフトボールチームの監督をしていた父の影響で野球を始め、下関市立長府中学校ではリトルシニアに所属し投手内野手だった。

山口県立宇部商業高等学校(1学年上に上本達之がいる)では当初は遊撃手だったが、1年生時の終わりに負傷した影響で三塁手に転向。その後、守備力を買われて二塁手コンバートされてレギュラーとなり、2年夏の山口大会では5試合で打率.529、7打点を記録して第80回全国高等学校野球選手権大会出場に貢献。甲子園では初戦で日大東北高校に勝利、2回戦で古木克明擁する豊田大谷高校と3時間52分に及ぶ延長15回の末にサヨナラ負け。3年時には主将捕手として山口大会8強入り。

高校卒業後は九州六大学野球連盟所属の九州国際大学に進学。2年春には首位打者[1]となり、大学選手権初戦で本塁打を放つ[2]。3年秋にはMVPを獲得[1]明治神宮大会ではベスト4[2]。4年秋は明治神宮大会初戦で同点の9回二死一塁で遊ゴロを二塁悪送球してサヨナラ負け[2]、ベストナイン4回。大型遊撃手として注目を集め、2003年のプロ野球ドラフト会議においてオリックス・ブルーウェーブから4巡目指名を受け入団。

オリックス時代[編集]

オリックス時代(2009年4月10日)

2004年ウエスタン・リーグで打率.336を記録し、リーグ新人賞を受賞。一軍では8月6日の対ダイエー戦でプロ初安打を放った。オリックス・近鉄の球団合併の際にはプロ入り2年以内の選手であったためオリックス・バファローズ所属となる。

2007年登録名をファーストネームの「一輝」に変更。

2008年5月13日に一軍昇格し、その際に清原和博から「自分の実力以上のものを出そうとせずにいつもと同じプレースタイルでやれ」とアドバイスされた。5月20日の対阪神戦で、アレックス・カブレラの体調不良に伴い6番・三塁手でスタメン起用されると、7回裏にジェフ・ウィリアムスからプロ初打点となる逆転決勝2点適時打を放ち、試合後にプロ入り初のヒーローインタビューを受けた。グレッグ・ラロッカ大引啓次後藤光尊らが故障離脱した影響もあり一軍に定着。一時は打率4割近くを打つなど打撃好調で、7月6日の対日本ハム戦では武田勝から人生初の2打席連続本塁打を記録。8月3日の対ソフトバンク戦ではパ・リーグ記録となる二塁手1試合9刺殺を記録。夏場に打率を落として8月中旬に二軍降格したものの、クライマックスシリーズには出場して、清原からバッティンググローブを貰い2安打を放った。しかし、第2戦では先発出場するも2回の守備で目測を誤り、フライを取れず、相手に先制点を与えてしまった。先発の小松聖の足を引っ張り、チームは敗退した。シーズン成績は48試合に出場して打率.295、5本塁打と自己最高成績を記録し、名前の通り一気にブレイクした。二塁手、三塁手、遊撃手、外野手と4ポジションを守った。

2009年は外野手としても出場機会を増やすために左翼手にも挑戦。開幕一軍入りも果たすがレギュラーの座獲得はならず、出場機会に恵まれなかった。だが、後藤が故障で戦線離脱すると、山﨑浩司と併用で二塁のポジション争いが行われた。しかし、二塁守備で精彩を欠き、持ち前の打撃も打率が2割前半に停滞した上に、前年とほぼ同数の打席数に対して三振の数が増加するなど粗さがやや目立ち、山﨑との争いに敗れる。その後も主に代打での起用に甘んじ、一・二軍を往復する悔しいシーズンとなった。しかし、6月3日の対中日戦では自己最多の1試合6打点を挙げ、6月14日の対ヤクルト戦では自身2本目の満塁本塁打を放つなど(この試合ではヤクルトのアーロン・ガイエルも満塁本塁打を放っており、交流戦史上初の両軍満塁弾となった)、得点圏打率は.356とここ一番での勝負強さは健在だった。

2010年は、6月7日の対広島戦で、6回表にチームが記録した10人連続安打の一員となった(一輝は7人目で林昌樹から右前安打)。しかし、同年は自身の打撃不振とアーロム・バルディリスが三塁手としてのレギュラーを獲得したのもあり、わずか16試合の出場にとどまった。

横浜・DeNA時代[編集]

DeNA選手時代(2012年5月3日、横浜スタジアム)

2010年11月11日、桑原謙太朗野中信吾との2対1トレードで横浜ベイスターズに移籍した[3]

2011年は主に代打で49試合に出場するが、打率が.207と不調に終わる。プロ入り初めて右翼手の守備に就いた。

2012年も代打を中心に起用されたが、打率.175と前年を下回る不調。同年オフに登録名を本名の「嶋村一輝」に戻した。

2013年は、OP戦は一軍だったか結果を残せず二軍落ち。そして一軍公式戦への出場がなかった。10月9日に球団から戦力外通告を受けた[4]。その後現役引退を表明した。

現役引退後[編集]

2013年10月31日に、2014年よりDeNAの二軍打撃コーチに就任することが球団から発表された[5]

2015年には二軍打撃コーチと育成担当を兼務したが、シーズン終了後にDeNA球団へ辞意を申し入れた。このため、球団は申し入れを了承したうえで、10月22日に辞任を発表した。

2015年11月1日に、中日ドラゴンズが打撃コーチとして嶋村と契約したことを発表した[6]。オリックス時代の二軍監督だった加藤秀司と共に一軍打撃コーチを務めたがチーム打率・得点・本塁打最下位、安打5位に低迷した。2017年は加藤秀司と共に二軍打撃コーチに異動する。そして、同年10月4日に、2017年シーズンをもって中日ドラゴンズ二軍打撃コーチを退任することが発表された[7]

2018年からは3年ぶりにDeNAのコーチに復帰。二軍打撃コーチに就任した。2021年からは一軍打撃コーチに配置転換され、2022年からは再び二軍打撃コーチに復帰した[8]

選手としての特徴・人物[編集]

勝負強く[9]、思い切りの良い打撃に定評のある中距離打者[10][11]。内・外野全てを守れるユーティリティープレイヤーであり、2012年には二軍で捕手としてのテストを受けた。2012年6月8日に行われたファームの試合(対ヤクルト戦)の試合では高校3年生以来となる捕手の守備に就いた[12]

横浜・DeNA時代の応援歌古木克明に使われた曲を引き継いだもので、これは古木が応援団に「自分の応援歌を一輝に使ってくれ」と要望したため[13]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2004 オリックス 7 18 18 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .167 .167 .167 .333
2005 2 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
2006 14 16 15 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 9 0 .067 .067 .067 .133
2008 48 153 139 19 41 10 0 5 66 20 1 0 1 2 10 0 1 34 4 .295 .342 .475 .817
2009 58 150 142 14 34 7 0 3 50 28 1 0 1 1 4 0 2 53 2 .239 .268 .352 .621
2010 16 53 48 6 11 0 2 0 15 1 1 0 2 0 3 0 0 6 2 .229 .275 .313 .587
2011 横浜
DeNA
49 59 58 5 12 3 1 0 17 6 0 0 1 0 0 0 0 21 2 .207 .207 .293 .500
2012 56 62 57 6 10 1 0 0 11 2 0 0 0 0 4 0 1 21 1 .175 .242 .193 .435
通算:8年 250 514 480 51 112 21 3 8 163 57 3 0 6 3 21 0 4 151 11 .233 .270 .340 .609
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績[編集]


一塁 二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2005 - - 1 1 1 0 0 1.000 - -
2006 - 3 0 2 0 0 1.000 5 4 7 0 1 1.000 2 1 2 0 1 1.000 -
2008 - 31 64 94 1 14 .994 13 5 11 0 1 1.000 1 2 2 0 1 1.000 1 0 0 0 0 .000
2009 - 23 43 66 4 11 .965 15 5 7 1 1 .923 1 0 0 0 0 .000 9 9 0 0 0 1.000
2010 - - 12 10 27 1 3 .974 - -
2011 5 29 2 0 3 1.000 - - - 6 1 0 0 0 1.000
2012 8 23 1 0 3 1.000 4 5 6 0 1 1.000 - - 20 12 0 0 0 1.000
通算 13 52 3 0 6 1.000 61 112 168 5 26 .982 46 25 53 2 6 .975 4 3 4 0 2 1.000 36 22 0 0 0 1.000

記録[編集]

背番号[編集]

  • 54(2004年 - 2009年)
  • 3(2010年)
  • 9(2011年 - 2013年)
  • 84(2014年 - 2015年、2018年 - )
  • 79(2016年 - 2017年)

登録名[編集]

  • 嶋村 一輝(しまむら いっき、2004年 - 2006年、2013年 - )
  • 一輝(いっき、2007年 - 2012年)

脚注[編集]

  1. ^ a b 2004スポニチプロ野球プレイヤーズ名鑑
  2. ^ a b c 週刊ベースボール増刊 大学野球各季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社
  3. ^ 【横浜】桑原謙野中トレード、オリ一輝と - 野球ニュース”. nikkansports.com. 2024年2月14日閲覧。
  4. ^ 2014年度選手契約について横浜DeNAベイスターズ公式サイト2013年10月9日付ニュース
  5. ^ 2014年度 横浜DeNAベイスターズコーチングスタッフ決定横浜DeNAベイスターズ公式サイト2013年10月31日付ニュース
  6. ^ 嶋村一輝氏が打撃コーチに就任中日ドラゴンズ公式サイト2015年11月1日付ニュース
  7. ^ ドラゴンズニュース ★来季のコーチ契約について 中日ドラゴンズ公式サイト 2017年10月4日配信
  8. ^ 2022年シーズン コーチングスタッフ決定のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ (2021年12月1日). 2021年12月1日閲覧。
  9. ^ 横浜 オリと2対1交換トレードで一輝を獲得 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年2月14日閲覧。
  10. ^ 横浜DeNA:反撃の機運 手放す強攻/日本ハム戦から | ベイスターズ”. カナロコ by 神奈川新聞. 2023年10月5日閲覧。
  11. ^ 一輝と野中らがトレード オリックスと横浜で1対2”. 日本経済新聞 (2010年11月11日). 2023年10月5日閲覧。
  12. ^ 高3以来のマスク 一輝が“捕手合格”「第3の捕手」に”. スポニチ Sponichi Annex (2012年6月9日). 2012年6月27日閲覧。
  13. ^ 「あきらめない男」古木克明が、ついに辿りついた野球人生の境地。(村瀬秀信)”. Number Web - ナンバー. 2023年8月14日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]