奥成達

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奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015年8月16日)は、日本の詩人ジャズ評論家著述家漫画原作者編集者作詞家トランペット奏者。

生涯[編集]

東京都品川区大井出身。東京都立城南高等学校卒業。雑誌記者タウン誌編集長、青山学院大学文学部講師を歴任。

さまざまな種類の活動を通して、日本のサブカルチャー界に、広い人脈を築いた。タモリの「密室芸」の命名者である。

また、様々な別名を用いて執筆活動を行った。自身のペンネーム「異魔人」。また高橋肇との共同ペンネーム「影山勲」。弟の奥成繁(久保田呉春)との共同ペンネーム「山口泰」。妻はイラストレーターのながたはるみ

2015年8月16日、腎盂癌のため死去した。73歳没[1]

詩人として[編集]

早熟な詩人であり、北園克衛の影響をうけて10代から詩作をはじめ、15歳にして、北川冬彦が主宰する詩誌『時間』の同人になる。

1961年には詩、ジャズのイベント「新人類学会総会」を主催。日本で初めての「ツイスト・パーティ」であった。この頃、白石かずこと出会う。

その後、詩集を何冊か発行した後、1977年に北園克衛主宰『VOU』同人の同人となる。

また、詩の朗読活動に興味を抱き、1979年には「PRW」(ポエトリー・ロード・トウ・ザ・ワールド)の会を、白石かずこ八木忠栄と発足。生涯にわたって、ポエトリー・リーディングの活動を行っていた。

1979年には自らの詩誌『gui』を創刊した。

編集者として[編集]

  • 1961年に『日本団地新聞』に入社して、編集・記事執筆を行う。1964年にはエスエス製薬の宣伝課に勤務。この時の宣伝部長が、のち、『東京25時』を発行するアグレマン社の社長となる宮崎宣久だった。
  • 1967年には『主婦と生活』誌の編集部記者となる。美術課に在籍していた及川正通と知り合う。また、『主婦と生活』の仕事をしていた、山村雅昭上村一夫浜野安宏沢渡朔などとも知り合う。
  • 1970年には、タウン誌『東京25時』(アグレマン社刊)を創刊し、編集長をつとめる。編集者は、高校の後輩の西脇英夫(のち、映画評論家)との2名であった。佐伯俊男の才能を発見しカバー絵に起用。また、佐伯を通して三上寛を知る。時代の熱気を取り込んだ、過激な雑誌であったが、テディ片岡(片岡義男の旧名)原作による「サザエさん」のパロディ「サザエさま」を掲載したことから、長谷川町子に訴訟を起こされ、賠償金50万円を支払い、同誌は1971年に廃刊。
  • 1977年には、セルフ出版(のち白夜書房)から、『小説マガジン』を刊行(編集人は末井昭だが、実質は奥成が編集長)。赤塚不二夫の「ウナギイヌ」を表紙にした、奥成の人脈を駆使した「面白雑誌」だったが、6号で休刊。

ジャズ評論家として[編集]

  • 中学生のころから、文化放送「トリス・ジャズ・ゲーム」の公開録音へと通う、ジャズ少年でもあった。1964年ごろ、相倉久人と出会う。
  • 1965年に『スウィング・ジャーナル』にジャズ評論を投稿し、評論家デビュー。1967年に『ジャズ批評』が創刊されると、創刊号から連載をもった。

著書[編集]

奥成達名義の著書[編集]

出典[編集]

  • 平岡正明『スラップスティック快人伝』(白川書院 1976年)

脚注[編集]

  1. ^ 訃報:奥成達さん73歳=詩人、ジャズ評論家 毎日新聞 2015年8月20日

外部リンク[編集]