太田椋

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太田 椋
オリックス・バファローズ #31
2019年9月20日 京セラドーム大阪
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府羽曳野市
生年月日 (2001-02-14) 2001年2月14日(23歳)
身長
体重
181 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 2018年 ドラフト1位
初出場 2019年9月14日
年俸 1600万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

太田 椋(おおた りょう、2001年2月14日 - )は、大阪府羽曳野市出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。

近鉄バファローズの選手(内野手)で、オリックス打撃投手太田暁は実父に当たる[2]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

前述した経歴を持つ実父・暁への憧れから、羽曳野市立高鷲南小学校3年時から軟式野球を始めると、羽曳野市立高鷲南中学校時代は羽曳野ボーイズでプレー。2012年のオールスターゲーム第1戦では始球式を任された。3年時の2015年には、ジャイアンツカップでチームを優勝に導いた[3]。さらに、小園海斗野村大樹などと共に、野球日本代表の一員として U-15アジアチャレンジマッチ(松山坊っちゃんスタジアム)に出場した[4]

天理高等学校への進学後は、1年時の春から対外試合でベンチ入りを果たすと、夏の選手権奈良大会から正遊撃手に定着。2年夏には、選手権奈良大会の優勝を経て臨んだ第99回全国高等学校野球選手権大会で、チームの準決勝進出に貢献した[5]。主将として臨んだ3年夏の選手権奈良大会では決勝で姿を消したものの、大会通算5試合の出場で、打率.333(21打数7安打)、2本塁打、8打点という好成績を残すとともに、遊撃の守備を無失策で凌いだ[3]

2018年10月25日に行われたドラフト会議では、暁が打撃投手として在籍するオリックス・バファローズから1位指名を受け、契約金8500万円、年俸800万円(金額は推定)という条件で入団した[6]。背番号は31

オリックス時代[編集]

2019年のルーキーイヤーは、春季キャンプを二軍で過ごす[7]。紅白戦を含む実戦5試合で15打数6安打2打点を記録したことを受けて、3月9日には、読売ジャイアンツとのオープン戦京セラドーム大阪)での一軍デビューが予定されていた[8]が前日(3月8日)に出場した教育リーグの対福岡ソフトバンクホークス戦(オセアンバファローズスタジアム舞洲)で、千賀滉大から右腕に死球を受けて途中交代[9]。その後の検査で、右尺骨骨幹部の骨折が判明し、3か月ものリハビリを余儀なくされた[9][10]。骨折が癒えた6月上旬からウエスタン・リーグの公式戦に復帰[11]し、9月14日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(京セラドーム)で、「8番・遊撃手」として一軍公式戦にデビュー[12]。以降も5試合に出場したが、一軍公式戦での初安打には至らなかった。ウエスタン・リーグ公式戦には64試合へ出場。同期入団の宜保翔とのコンビで二遊間を守ることが多く、遊撃手としてリーグ3位の14失策を記録した[13]ものの、打撃面では打率.258、チーム2位の6本塁打という成績を残した[14]

2020年、春季キャンプのスタートを初めて一軍で迎えたが、右太腿を痛めて途中離脱する。レギュラーシーズンの開幕直前に一軍へ再び合流すると、一軍の対外試合で初めての本塁打を広島東洋カープとの練習試合で記録したが、開幕は二軍で迎えた[15]。7月16日に一軍へ昇格すると、同日の対ソフトバンク戦(京セラドーム)に「9番・三塁手」として先発出場。2回裏の第1打席で、一軍公式戦での初安打をリック・バンデンハークからのソロ本塁打で記録した。この一打は、21世紀生まれの選手によるNPB一軍公式戦での初本塁打でもある[16]。さらに、19歳5か月で迎えた翌17日の同カードで2号本塁打を放ち、前身球団を含めたオリックスの10代選手としては初めての一軍公式戦2試合連続本塁打を記録した[17]。チーム事情などとの兼ね合いで、8月13日に出場選手登録をいったん抹消。9月20日に再び登録されると、「3番・二塁手」として先発出場した同日の対埼玉西武ライオンズ戦(京セラドーム)1回裏の第1打席で、松本航からドームの左翼5階席に飛び込む特大の3号本塁打を放った[18]。しかし、同月25日の対北海道日本ハムファイターズ戦(京セラドーム)3回裏二死一・二塁で二塁走者として伏見寅威の内野ゴロで三塁への進塁を試みたところ、ゴロを捕球した日本ハムの三塁手クリスチャン・ビヤヌエバと交錯(記録は太田の守備妨害)。グラウンドで頭を打ち付けたまま自力で起き上がれなくなったため、グラウンド上から担架で病院に搬送された。搬送先の病院で検査を受けた結果、頭部や脳に異常は見られないものの、右の肋骨を骨折していることが判明した[19][20]

2021年、3月26日の西武戦(メットライフ)に「2番・二塁」で開幕スタメン出場を果たすが、守備面でのミスが目立ち、二軍降格を経験。53試合で打率・172、3本塁打、9打点だった[21]。シーズン3本塁打をすべて、優勝を争った千葉ロッテマリーンズ戦で放った[22]東京ヤクルトスワローズとの日本シリーズ第5戦(東京ドーム)では、石山泰稚からの適時三塁打を放つ。

2022年、この年は二塁をメインに起用されるもチームメイトの安達了一、一塁手では中川圭太T-岡田らに引けを取り、前年より出場機会が減少。最終的に32試合に出場、打率.196、1本塁打、5打点という成績で終わった。チームは最終戦でリーグ2連覇を果たし、CSも順調に勝ち進んだ。2年連続となった東京ヤクルトスワローズとの日本シリーズ第7戦(神宮球場)では1番・一塁手で起用されるとサイスニードから日本シリーズ史上初となる初回初球先頭打者本塁打を記録した[23]。この本塁打からオリックスはさらに点を奪い、第7戦を5-4で制し26年ぶり5度目の日本一を達成した。

2023年は、4月5日に登録されると1番打者として出場を続け、4月29日のロッテ戦(京セラ)ではC.C.メルセデスから同点適時二塁打を放ったが、左手首付近の違和感を訴え途中交代[24]。左尺側手根伸筋腱炎と診断され、翌30日に登録抹消された[25]。その後、8月2日の二軍戦で実戦復帰し[26]、8月8日から一軍に合流していたが、8月13日の楽天戦(楽天モバイルパーク)で再び左手首の違和感を訴え途中交代[27]。8月15日に登録抹消され、9月12日に左尺側手根伸筋腱鞘形成術を行いそのままシーズンを終えた[28]

選手としての特徴[編集]

走攻守とも能力の高い大型遊撃手で、高校時代には、対外試合で通算31本塁打を記録[3]。逆方向にも長打を打つことの出来るリストの強さとボール球を見極めることが出来る選球眼を持ち合わせている[3]

三遊間の深い守備位置からの送球で、打者走者から一塁でアウトを奪えるほどの強肩の持ち主でもある[3]

家族[編集]

実父の暁は投手出身で、近鉄への入団を機に内野手へ転向した後に、2005年から打撃投手としてオリックス・バファローズに在籍している。その関係で、椋がドラフト会議でオリックスから指名された直後[29]や、入団が決まった後の記者会見[30]には暁も同席。以降も、春季キャンプなどの折に、2人揃って取材に応じている[31]。暁は一軍の打撃投手として主力選手の打撃練習を任されることが多いが、椋が一軍へ昇格した場合には、試合前の打撃練習で椋の相手も務めている[12]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2019 オリックス 6 16 13 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 1 7 0 .000 .188 .000 .188
2020 20 61 54 6 14 2 0 3 25 5 0 0 2 0 4 0 1 19 0 .259 .322 .463 .785
2021 53 159 151 10 26 2 0 3 37 9 1 0 4 0 4 0 0 44 3 .172 .194 .245 .439
2022 32 101 92 7 18 6 0 1 27 5 0 0 3 0 6 0 0 22 0 .196 .245 .293 .538
2023 18 70 60 9 15 3 0 2 24 7 0 0 4 0 3 0 3 8 1 .250 .318 .400 .718
通算:5年 129 407 370 33 73 13 0 9 113 26 1 0 13 0 19 0 5 100 4 .197 .246 .305 .552
  • 2023年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]



一塁 二塁 三塁 遊撃
















































2019 オリックス - - - 6 8 12 1 3 .952
2020 - 6 7 12 0 3 1.000 10 4 10 2 2 .875 7 6 9 0 1 1.000
2021 1 3 1 0 1 1.000 49 76 131 5 30 .976 3 0 1 0 0 1.000 -
2022 7 19 1 0 2 1.000 24 42 65 1 12 .991 - -
2023 6 36 3 0 1 1.000 12 21 26 2 4 .959 - -
通算 14 58 5 0 4 1.000 86 146 234 8 49 .979 13 4 11 2 2 .882 13 14 21 1 4 .972
  • 2023年度シーズン終了時

記録[編集]

初記録
  • 初出場・初先発出場:2019年9月14日、対東北楽天ゴールデンイーグルス23回戦(京セラドーム大阪)、8番・遊撃手で先発出場
  • 初打席:同上、2回裏に辛島航から四球
  • 初安打・初本塁打・初打点:2020年7月16日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(京セラドーム大阪)、3回裏にリック・バンデンハークから中越ソロ ※21世紀生まれとしてはNPB初本塁打
  • 初盗塁:2021年4月1日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(京セラドーム大阪)、1回裏に二盗(投手:武田翔太、捕手:甲斐拓也
日本シリーズでの記録

登場曲[編集]

背番号[編集]

  • 31(2019年 - )

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 先頭打者に限らず、オリックスの日本シリーズでは1995年鈴木一朗が打った最年少本塁打記録(22歳0か月)を更新する、球団最年少本塁打となった。

出典[編集]

  1. ^ オリックス - 契約更改 - プロ野球」日刊スポーツ。2023年11月29日閲覧
  2. ^ オリックス西村監督 ドラフト1位太田に期待「一番の補強ポイントだった」」スポーツニッポン、2018年10月25日。2019年3月9日閲覧
  3. ^ a b c d e 太田椋」『週刊ベースボールONLINE』。2024年3月16日閲覧
  4. ^ U-15アジアチャレンジマッチ2015」『野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト』。2024年3月16日閲覧
  5. ^ 根尾&小園に「負けてはいけない」。オリックスのドラフト1位太田椋の自信と父の夢。(1)」Number Web、2019年1月11日。2019年3月9日閲覧
  6. ^ オリックス1位太田椋が仮契約「3番ショート」目標」日刊スポーツ、2018年11月27日。2019年3月9日閲覧
  7. ^ 2019年宮崎春季キャンプメンバー発表」オリックス・バファローズ、2019年1月25日。2019年3月8日閲覧
  8. ^ オリックス1位太田、9日巨人戦で1番遊撃デビューへ」日刊スポーツ、2019年3月8日。2019年3月8日閲覧
  9. ^ a b オリックス1位太田が骨折離脱、1軍デビュー前日に」日刊スポーツ、2019年3月8日。2019年3月8日閲覧
  10. ^ オリックスドラフト1位・太田 右尺骨骨幹部骨折 シーズン前半復帰絶望」サンケイスポーツ、2019年3月8日。2019年3月8日閲覧
  11. ^ オリックスドラフト1位太田、二軍戦でプロ1号ホームラン! 第2打席で左翼席へ豪快な一発」Full-Count、2019年6月19日。2019年10月19日閲覧
  12. ^ a b オリックス1位太田が初出場、試合前に親子対決実現」日刊スポーツ、2019年9月14日。2019年9月22日閲覧
  13. ^ 2019年度 ウエスタン・リーグ 【失策(遊撃手)】 リーダーズ(守備部門)」『日本野球機構』。2024年3月16日閲覧
  14. ^ 2019年度 オリックス・バファローズ 個人打撃成績(ウエスタン・リーグ)」『日本野球機構』。2024年3月16日閲覧
  15. ^ オリックス太田「気が引き締まった」開幕スタメンへ」日刊スポーツ、2020年5月19日。2020年7月19日閲覧
  16. ^ 太田、プロ初安打は本塁打 21世紀生まれ1号―オリックス」『時事ドットコム』時事通信社、2020年7月16日。2020年7月16日閲覧
  17. ^ オリックス・太田 10代で2戦連発 イチローも無理だった球団初の快挙達成!」『時事ドットコム』時事通信社、2020年7月18日。2020年7月20日閲覧
  18. ^ 「どこまで飛ばしてるねん!」オリックス太田、昇格即の5階席へ超特大3号ソロにファン衝撃」『Full-Count』2020年9月20日。2020年9月26日閲覧
  19. ^ オリックス太田が負傷交代、相手と激突タンカで退場」『日刊スポーツ』日刊スポーツ、2020年9月25日。2020年9月26日閲覧
  20. ^ 相手選手と交錯のオリックス・太田は右肋骨骨折 頭部に異常はなしと球団発表」『デイリースポーツ』2020年9月25日。2020年9月26日閲覧
  21. ^ オリックス・太田、550万円増でサイン 2年連続開幕スタメンへ「もちろん目指すところ」」『サンケイスポーツ』2021年12月8日。2021年12月8日閲覧
  22. ^ オリックス太田椋 ロッテキラーから「全球団キラー」へ 親子トレ真っ最中」『日刊スポーツ』2021年12月22日。2021年12月22日閲覧
  23. ^ 太田椋の初回先頭打者本塁打でオリックスが先制に成功! 初球弾はシリーズ史上初」『スポーツナビ』2022年10月30日。2022年10月30日閲覧
  24. ^ 【オリックス】太田椋が左手首故障で登録抹消 前日に同点適時二塁打も途中交代」『中日スポーツ』2023年4月30日。2024年3月15日閲覧
  25. ^ 【オリックス】太田椋が痛恨離脱…左尺側手根伸筋腱炎と発表 29日のロッテ戦で左手首痛める」『スポーツ報知』2023年4月30日。2024年3月15日閲覧
  26. ^ 【オリックス】森友哉&太田椋、首位固めへ2人そろって8月8日にも1軍合流濃厚」『スポーツ報知』2023年8月8日。2024年3月15日閲覧
  27. ^ 【オリックス】8日合流した太田が左手首違和感で途中交代 中嶋監督「ちょっと様子見ですね」」『日刊スポーツ』2023年8月13日。2024年3月15日閲覧
  28. ^ 【オリックス】太田椋が左手首手術 8月15日に左手首の腱鞘炎で抹消、今後はリハビリ予定」『日刊スポーツ』2023年9月12日。2024年3月15日閲覧
  29. ^ オリックス1位・太田は“超異例”親子鷹 父はチームの打撃投手「とてもうれしい」」スポーツニッポン、2018年10月25日。2019年3月9日閲覧
  30. ^ ドラフト1位・太田「吉田と対戦したい」 オリックス、新入団選手発表」サンケイスポーツ、2018年12月15日。2019年3月9日閲覧
  31. ^ オリックス1位太田が父の暁氏と負傷0願い恵方巻き」日刊スポーツ、2019年2月3日。2019年3月9日閲覧
  32. ^ 【オリックス】日本シリーズ史上初!太田椋が先頭打者初球本塁打 開始わずか10秒で主導権」『日刊スポーツ』2022年10月30日。2022年10月30日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]