塚原頌平

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塚原 頌平
2013年7月14日 富田林市立総合スポーツ公園にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県結城市
生年月日 (1992-07-08) 1992年7月8日(31歳)
身長
体重
184 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 ドラフト4位
初出場 2012年4月24日
最終出場 2017年5月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

塚原 頌平(つかはら しょうへい、1992年7月8日 - )は、茨城県結城市出身[1]の元プロ野球選手投手)。右投左打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

絹川小学校時代から野球を始めるが、野球より空手に打ち込み、関東大会で優勝経験を持つ[2]。結城南中学校時代からは軟式野球部に所属[3]

つくば秀英高等学校2年生時の秋以降、公式戦全6試合で58回2/3を投げて投球回を上回る60三振を奪い、一部では「茨城のドクターK」とも評された[4]。3年生時の夏の甲子園・茨城大会では初戦に先発登板し、2回2/3を投げ6失点でチームも敗れた[5]。高校生時に直球の最速は146km/hを記録[4]

2010年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズに4巡目で指名[6]。契約金4,000万円、年俸500万円(金額は推定)[7]という条件で入団した。背番号は59

オリックス時代[編集]

2011年には、ウエスタン・リーグ公式戦15試合に登板。29回を投げて、1勝2敗、防御率3.72という成績を残した。シーズン終了後の秋季キャンプでは、当時の一軍監督・岡田彰布から高い評価を受けた[8]

2012年には、岡田からの推薦で一軍の春季キャンプに参加[9][10]。4月24日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)での救援で一軍デビューを果たす[11]と、4月30日の対埼玉西武ライオンズ戦(京セラドーム大阪)で一軍初先発を経験した[12]。5月20日の対東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)では、一軍での初ホールドを記録[13]。2度目の先発となった6月14日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で、一軍初勝利を挙げた。オリックスで10代の投手が一軍公式戦で勝利を挙げたのは、1995年平井正史以来であった[1][14]。さらに、7月19日開催のフレッシュオールスターゲームHARD OFF ECOスタジアム新潟)では、ウエスタン・リーグ選抜の8番手投手として試合を締めくくった[15]。シーズン中盤に、右肘の一部と右尺骨を骨折。同年9月に患部の手術を受けた[16]影響で、2013年2014年には一軍公式戦での登板機会がなかった。ウエスタン・リーグの公式戦では、2013年に14試合の登板で2勝2敗、防御率3.86[17]、2014年に27試合の登板で2勝4敗、防御率5.40という成績を残した[18]

2015年には、4月4日の出場選手登録[19]を経て、4月5日の対北海道日本ハムファイターズ戦(京セラドーム大阪)に救援で自身3年振りの一軍公式戦登板を果たした[20]。5月8日には、京セラドーム大阪での同カード9回表に救援で登板。先頭打者の中田翔、1死後に大野奨太、2死に岡大海死球を与えたことによって、1イニング3与死球を記録した(詳細後述)。さらに、一連の投球をめぐって両チームの選手・首脳陣がグラウンドに出る事態に至ったため、球審の山本貴則から両チームに対して警告試合が宣告された[21][22]。塚原自身は、シーズン中盤までにチームトップの12ホールドを記録していたが、右第12肋軟骨の損傷が判明したことを機に7月4日付で登録を抹消[23][24]。7月24日の対福岡ソフトバンクホークス戦(京セラドーム大阪)の救援登板で一軍に復帰する[25]と、7月26日の同カードでは、延長11回1死からの救援登板で2/3回を無失点に抑えて一軍初セーブを挙げた[26][27]。一軍公式戦では、先発の機会や勝利投手の記録がなかったものの、シーズン通算で41試合に登板。佐藤達也と並ぶチーム2位の13ホールドを記録した[28]

2016年には、セットアッパーとして、一軍公式戦通算54試合に登板。4勝1敗13ホールド、防御率2.67という好成績を残した。前半戦には、セ・パ交流戦期間中の6月中旬に首の痛みを訴えて一時戦線を離れた[29]ものの、一軍投手陣トップの39試合に登板。3勝1敗11ホールドを挙げた。さらに、パシフィック・リーグの監督推薦選手としてオールスターゲームのメンバーに初めて選ばれる[30]と、全2試合で救援登板を果たした。シーズン終了後には、この年で現役を引退(二軍投手コーチへ転身)した小松聖から、背番号28を継承した[31]

2017年には、右肘痛が再発。一軍公式戦には、5月に4試合へ登板しただけにとどまった。10月16日には、右肘のクリーニング手術を受けた[32]

2018年には、前述した手術の影響で実戦での登板機会がなく、シーズン終了後に育成選手契約へ移行した[33]。移行後の背番号は125

2019年は140km/h台後半の直球を投げられるまでに状態がよくなり、7月18日にソフトバンクとの三軍戦で2年ぶりの実戦登板を果たした[34]。しかし、1日ブルペンに入ると回復まで1週間近くかかるという状態だった[35]。10月2日に戦力外通告を受けた[36]。前述のような状態だったことから塚原本人は戦力外通告を覚悟しており、3度の手術の末、右肘がもとに戻らず、「気持ちも折れかけていた」「悔いはないです」と現役続行の意思なく引退した[35]

現役引退後[編集]

引退決断後の11月に地元茨城県に戻り、セカンドキャリアを模索している中、塚原の性格から不動産会社勤務を勧められ、埼玉県さいたま市にあるオノデラ不動産に就職した。また、将来的には教員免許を取得し、指導者として野球界に戻るつもりでもあると語っている[37]

2020年には草野球デビューしていることを自身のSNSで明かしている。

2021年7月には古河リトルシニアのホームページでコーチに就任したことが発表されている。

選手としての特徴・人物[編集]

直球の最速は152km/h、平均で145km/h前後[38]。変化球の持ち球はフォークなど[1][38]

愛称は「ツカ[39]

弟が2人いるが双子で、頌平と同じくつくば秀英高等学校の野球部に所属した。長弟が投手、次弟が捕手を務め、高校野球公式戦で双子バッテリーを組んだ[40]

2012年、オリックス・バファローズの球団職員でスタジアムアナウンサーを務めていた13歳年上の藤生恭子と結婚。(2020年10月時点では既に離婚[41]

2015年に1イニング3与死球のプロ野球タイ記録を残したが、2020年7月5日に元同僚の山本由伸が塚原以来の同じ記録を残したとき、山本から「報告」を受けたという[42]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2012 オリックス 16 3 0 0 0 1 1 0 2 .500 143 35.0 27 3 13 0 0 25 0 0 14 14 3.60 1.14
2015 41 0 0 0 0 0 4 1 13 .000 192 43.2 36 5 24 0 6 25 1 0 18 16 3.30 1.37
2016 54 0 0 0 0 4 1 0 13 .800 240 54 44 5 31 0 2 40 3 0 18 16 2.67 1.39
2017 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 20 4.2 4 0 2 0 0 4 1 0 3 3 5.79 1.29
NPB:4年 115 3 0 0 0 5 6 1 28 .455 595 137.1 111 13 70 0 8 94 5 0 53 49 3.21 1.32

年度別守備成績[編集]



投手












2012 オリックス 16 6 4 0 0 1.000
2015 41 1 6 1 1 .875
2016 54 2 9 0 1 1.000
2017 4 0 1 0 0 1.000
通算 115 9 20 1 2 .967

記録[編集]

初記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 59 (2011年 - 2016年)
  • 28 (2017年 - 2018年)
  • 125 (2019年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c オリ塚原プロ初白星 17年ぶり10代勝利 日刊スポーツ 2012年6月15日紙面から
  2. ^ 第9回空手道糸東会関東大会”. JKFan NEWS International. 2018年3月26日閲覧。
  3. ^ “オリックス・塚原選手が入団報告 結城市長に”. 朝日新聞デジタル. (2010年12月8日). https://www.asahi.com/sports/baseball/npb/news/TKY201012070454.html 2018年3月26日閲覧。 
  4. ^ a b 茨城のつくば秀英・塚原公式戦6戦60K 日刊スポーツ 2010年7月2日紙面から
  5. ^ 146キロ腕・塚原 10球団目前でまさかのKO スポニチ Sponichi Annex 2010年7月17日掲載
  6. ^ 2010年度ドラフト会議 契約交渉権獲得選手 オリックス・バファローズ オフィシャルサイト 2010年10月28日配信
  7. ^ オリックス ドラ4塚原と仮契約 スポニチ Sponichi Annex 2010年11月16日掲載
  8. ^ 岡田監督が来春1軍キャンプに塚原抜擢 日刊スポーツ 2011年11月21日掲載
  9. ^ 岡田監督が来春1軍キャンプに塚原抜擢 日刊スポーツ 2011年11月21日紙面から
  10. ^ 2012年春季キャンプ参加メンバーのお知らせ オリックス・バファローズ オフィシャルサイト 2012年1月22日配信
  11. ^ 【オリックス】塚原が2回無失点デビュー 日刊スポーツ 2012年4月24日掲載
  12. ^ 2012年4月30日 オリックス 対 埼玉西武 成績詳細 オリックス・バファローズ オフィシャルサイト
  13. ^ 2012年5月20日 東京ヤクルト 対 オリックス 成績詳細 オリックス・バファローズ オフィシャルサイト
  14. ^ 2012年6月14日 (木)横浜DeNAベイスターズ対オリックス・バファローズ戦 スコアテーブル
  15. ^ 2012年度フレッシュオールスター・ゲーム 試合結果
  16. ^ WEEKLY TOPIC 塚原が右ヒジ手術 週刊ベースボール ONLINE 2012年9月25日掲載
  17. ^ 2013年度 オリックス・バファローズ個人投手成績(ウエスタン・リーグ)
  18. ^ 2014年度 オリックス・バファローズ個人投手成績(ウエスタン・リーグ)
  19. ^ 公示(出場選手登録・抹消) 2015年4月 オリックス・バファローズ オフィシャルサイト
  20. ^ 2015年4月5日(日)オリックス・バファローズ対北海道日本ハムファイターズ戦 スコアテーブル
  21. ^ 2015年5月8日 オリックス 対 北海道日本ハム 成績詳細 オリックス・バファローズ オフィシャルサイト
  22. ^ 塚原 プロ野球記録タイの1イニング3与死球「力んでしまった」 スポニチ Sponichi Annex 2015年5月8日掲載
  23. ^ オリックスに朗報!塚原が1軍合流、救援陣に厚み スポニチ Sponichi Annex 2015年7月5日掲載
  24. ^ 公示(出場選手登録・抹消) 2015年7月
  25. ^ 2015年7月24日(金)オリックス・バファローズ対福岡ソフトバンクホークス戦 スコアテーブル
  26. ^ オリックスが総力戦で連敗ストップ デイリースポーツ online 2015年7月26日掲載
  27. ^ 2015年7月26日 福岡ソフトバンク 対 オリックス 成績詳細 オリックス・バファローズ オフィシャルサイト
  28. ^ 2015年度 オリックス・バファローズ個人投手成績(パシフィック・リーグ)
  29. ^ オリックス3試合連続逆転負けで借金は今季最悪16 日刊スポーツ 2016年6月20日掲載
  30. ^ オリックス塚原初球宴、大谷から「話聞いてみたい」 日刊スポーツ 2016年7月4日掲載
  31. ^ その心は?オリックス塚原 お立ち台は「“マイシマー!”って叫びます」スポーツニッポン 2016年12月24日掲載
  32. ^ 【オリックス】塚原が右肘手術…今季は4試合登板スポーツ報知 2017年10月16日掲載
  33. ^ オリックスが塚原との育成選手契約を発表 2016年に54試合に登板した右腕”. Full-Count (2018年11月22日). 2018年12月3日閲覧。
  34. ^ オリックス・アルバース、岸田、塚原が久々実戦復帰”. 日刊スポーツ (2019年7月18日). 2019年7月18日閲覧。
  35. ^ a b “オリ塚原、3度の手術も復活ならず引退示唆 「もう右肘が戻らない、悔いはない」”. Full-Count. (2019年10月2日). https://full-count.jp/2019/10/02/post557858/ 2020年10月1日閲覧。 
  36. ^ “オリックスが6選手に戦力外通告…テスト入団の成瀬、トレード加入の高城ら”. BASEBALL KING. (2019年10月2日). https://baseballking.jp/ns/204669 2019年10月20日閲覧。 
  37. ^ “元オリ塚原、第2の人生は不動産&指導者目指す 「将来的には教員免許を」”. Full-Count. (2019年12月7日). https://full-count.jp/2019/12/07/post627492/ 2020年10月1日閲覧。 
  38. ^ a b 中継ぎで活躍の右腕 塚原頌平投手 大阪日日新聞 2015年4月26日掲載
  39. ^ 28 塚原 頌平選手名鑑2018 |オリックス・バファローズ”. オリックス・バファローズ オフィシャルサイト. 2022年1月8日閲覧。
  40. ^ “つくば秀英、快勝発進!塚原ツインズが流れつくった!/茨城”. SANSPO.COM. (2014年7月10日). https://www.sanspo.com/article/20140710-TYTQQFKAUFP75K6RRV6QUQNEZE/ 2018年3月26日閲覧。 
  41. ^ 藤生が2020年10月12日放送の『痛快!明石家電視台』に出演し、既に離婚している事を明かした。
  42. ^ “オリックス山本由伸に「メンタル強すぎ」指摘 1回与死球タイ記録後にとった大胆行動”. J-CASTニュース. (2020年7月6日). https://www.j-cast.com/2020/07/06389595.html 2020年10月1日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]