和田良知

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和田 良知
出生名 ローベルト・リヨーチ・ワダ・フレンケル
別名 ロビー和田
羽根田武邦
生誕 (1945-08-12) 1945年8月12日(78歳)
職業 音楽プロデューサー
活動期間 1967年 -

和田 良知(わだ りょうち、1945年8月12日 - )は、日本の音楽プロデューサー。東京在住。

これまでに、和田アキ子松崎しげる西城秀樹葉加瀬太郎等のプロデュースを手がける。

略歴[編集]

日本人の父親とオーストリア人の母親のもとインドネシアにて出生、1960年に日本国籍を取得。

1966年11月、ロビー和田とニュー・フォークス名義で「シャウト」[1]でデビュー。

道徳再武装(Moral Re-Armament、略称MRA)の日本支部の音楽ディレクターとして、MRAの有志を集めてレッツ・ゴーを結成する[注釈 1]

1967年 (昭和42年)、マイク眞木が結成したザ・マイクスに参加。その後、ビクターレコードより音楽プロデューサーとしてデビュー[注釈 2]

日本初のフリープロデューサーとして「笑って許して」「傷だらけのローラ」「愛のメモリー」をはじめ、数多くの楽曲を手がける。

1980年代から麗美松任谷正隆松任谷由実との共同プロデュース)をきっかけに、アーティストマネージメント業にも携わる。

クライズラー&カンパニー葉加瀬太郎などのインストのアーティストを手がけ、「To Love You More」ではデイヴィット・フォスターと共にプロデュース。 セリーヌ・ディオンとのコラボを実現させ、葉加瀬太郎を世界のヴァイオリニストに育てた。

1990年代からコンサート演出にも活動の幅を広げ、「情熱大陸」「Image」なども手がける。

2010年代に入り、全員音楽大学出身のテノール3人・バリトン2人から構成されるボーカルグループLe Velvets、ヴァイオリン2人・ボーカル3人から構成されるPAPERMOONを生み出す。

プロデュース作品[編集]

楽曲[編集]

その他[編集]

楽曲提供[編集]

  • 特記以外は全て羽根田武邦名義。

作曲[編集]

訳詞[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ このレッツ・ゴーにいた惣領泰測原田時芳らが、1969年初春に日米混成のバンドであるシング・アウトを結成。同年結成されたNHKのヤング101に加入し、翌1970年1月からNHK総合テレビの音楽番組『ステージ101』のレギュラー出演者となった。また1969年にはヤマハ音楽振興会が開催した音楽コンクール『第1回合歓ポピュラーフェスティバル'69』に「涙をこえて」で出場して作曲グランプリを受賞した。
  2. ^ RCAビクターの国内ポピュラー制作ディレクターとなり、シング・アウトの作品のプロデューサーを務めた。

出典[編集]

  1. ^ Discogs”. 2022年10月10日閲覧。

参考文献[編集]

  • 土龍団、『シング・アウト物語』、2001年、CD『愛のつばさをーシング・アウトの旅ー/シング・アウト』(BMG、BVCK3708)

外部リンク[編集]