周昂

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周昂
後漢
九江太守
出生 生年不詳
揚州会稽郡
死去 没年不詳
拼音 Zhōu Áng
主君 袁紹
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周 昂(しゅう こう、生没年不詳)は、中国後漢末期の武将揚州会稽郡の出身。兄は周昕。弟は周喁中国語版

人物[編集]

袁紹配下。袁術によって豫州刺史に任命された孫堅に対抗するため、袁紹によって豫州に派遣された。当時孫堅は陽城に駐屯していたので、周昂は袁紹の命を受けて陽城を攻め落とした[注釈 1]。拠点を失った袁術は陽城を奪還するため、孫堅と公孫越に命じて周昂を攻めさせた。周昂はこれを打ち破り、公孫越を流れ矢で討ち取った。

後に九江太守に任命されたが、袁術の命令で九江郡に侵攻してきた孫賁に敗れ、九江郡を奪われた。

以後、周昂は史書に登場しない。

注釈 [編集]

  1. ^ 後漢書』「公孫瓚伝」では、陽城を攻め落としたのは周昂ではなく、周昕とする。

参考文献[編集]

  • 三国志』「公孫瓚伝」
  • 『三国志』「孫賁伝」
  • 後漢書』「公孫瓚伝」