周文

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水色巒光図(山水画の部分、1445年)

周文(しゅうぶん、生没年不詳)は、室町時代中期の禅僧画僧。周文はで、道号は天章。画号は越渓。俗姓は藤倉氏。相国寺如拙に画を学ぶ。雪舟等楊の師。画僧として著名であるが、仏像の制作にも携わっており、雲居寺の大仏(阿弥陀三尊)・仁王像の造立に関与したことでも知られる。

略歴[編集]

竹斎読書図(山水画の部分)

相国寺の都管(つかん、つうす)の職にあり、相国寺の庶務・会計として財政を担当するとともに、画家として俸禄を貰い足利将軍家の御用を務めた。1423年応永30年)大蔵経を招来するための朝鮮派遣使節に参加し、その地で山水画を描いた。1430年永享2年)には大和国片岡の達磨寺達磨大師座像に彩色を施し、1440年(永享12年)には、雲居寺(うんごじ)の仏像の像容の参考とするため奈良東大寺に赴くなど、広い範囲の事績が知られ、1454年享徳3年)頃まで生存していたようである。周文没後の将軍家御用は小栗宗湛に引き継がれた。他にも岳翁蔵丘天遊松渓、雪舟等楊といった優秀な弟子を育て、室町時代の水墨画の確立に大きく貢献した。

周文様式[編集]

周文の作品にはもともと款記がなく、印章などは後に押された可能性が高いため、周文自身が実際に描いたという作品を特定できず、画風の実態については不明である。したがって伝称作品のうち、周文が活躍したであろう応永半ば以後から寛正年間までの約40年間に制作されたのが明らかで、しかも当時の周文の名声に相応しいような名作を「伝周文」作品として扱っている。そのため、最も真筆の可能性が高いと言われる代表作「水色巒光図」と「竹斎読書図」を比べても、筆致に明白な差異が存在する。共通する作品の特徴として、縦長の構図を用いた高遠の強調、馬遠夏珪に倣った対角線構図の多用、力強い描線、等が挙げられる。後に周文様式と呼ばれたこうした画風は、実景の写生ではなく、記憶の中の景観や画など先行作品の諸要素を抽出し再構成した、絵から絵を作ったものである。そのためリアリティーは無いが、中国画を元にしながらどの中国画にも似ておらず、周文様式という安定したスタイルの確立に周文の独自性がある。

伝周文作品[編集]

四季山水図屏風(右隻) 東京国立博物館

国宝[編集]

重要文化財[編集]

これらは周文より後、弟子の世代の作と考えられる。

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 国宝指定名称は「山水図」。
  2. ^ 重要文化財指定名称は「山水図」。
  3. ^ 重要文化財指定名称は「陶道明聴松図」。
  4. ^ 本品は東京国立博物館蔵の重要文化財の「山水図」とは別本。

関連項目[編集]

参考資料[編集]