原秀治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原 秀治
HARA Hideharu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1965-03-22) 1965年3月22日(59歳)[1]
出身地 鹿児島県霧島市(旧国分市
ラテン文字 HARA Hideharu
身長 186cm[1]
体重 83kg[2]
血液型 A型[2]
選手情報
所属 ルートインホテルズ Brilliant Aries
愛称 ヒデ[2]
役職 監督
ポジション レフト[1]
指高 233cm[2]
スパイク 344cm[2]
テンプレートを表示

原 秀治(はら ひではる[1]1965年3月22日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。鹿児島県国分市(現霧島市)出身。1988年ソウルオリンピックバレーボール全日本男子代表。

来歴[編集]

鹿児島商業高校卒業[1]

1983年に猫田勝敏にスカウトされ、専売広島バレー部(現JTサンダーズ広島)に入部。ちなみに猫田が最後にスカウトした選手である。1994年から始まったVリーグにもJTサンダーズ(当時)の一員として引き続き参加、エースとして活躍した。[1][3]

全日本では1986年世界選手権に出場。1987年アジア選手権優勝。1988年ソウルオリンピック代表。翌1989年ワールドカップ出場、同年のアジア選手権準優勝に貢献した。[1][4]

1998年、現役引退。日本リーグ(第16回-第27回)およびVリーグ(第1回-第4回)通算で、スパイク11,208打数1,452得点、スパイク決定本数5,346本をあげた。[1]

現役引退後、ゲンナジー・パルシンの下、JTでヘッドコーチとして活躍、2006年にコーチを勇退した[5]。その後は日本たばこ産業での社業をしながら、トップス広島バレーボール学校や地元霧島市でバレーボール教室を開くなど、指導者として活躍している[6]

2017年6月、女子V・チャレンジリーグI(当時のVリーグ2部)の大野石油広島オイラーズ監督に就任した[7]。同チームの監督を2シーズン務めて退任。

2019年6月、14シーズンぶりにJTサンダーズ広島のコーチに復帰した[8]。翌年の2020年、監督に昇格した[9]

2021-22シーズンをもって、2シーズン務めたJT広島の監督を退任し、2022-23シーズンよりV2女子のルートインホテルズ Brilliant Ariesの監督に就任した[10][11]。長年広島を拠点として活動してきたが、一転、長野県を拠点とするチームで監督を務めることとなった。

球歴[編集]

所属クラブ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 現役勇退者”. JTサンダーズ公式. 1999年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e 月刊バレーボール1989年1月号臨時増刊 '89チームの顔 53ページ
  3. ^ あの人が語る、猫田勝敏”. JTサンダーズ公式. 2005年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月22日閲覧。
  4. ^ 原 秀治さん(JTサンダース(バレーボール)コーチ)”. 広島県人権啓発活動ネットワーク協議会. 2009年8月22日閲覧。
  5. ^ Vリーグ・JTサンダーズ原コーチら勇退”. ニッカンスポーツ (2006年5月31日). 2009年8月22日閲覧。
  6. ^ JTのスポーツ社会貢献活動”. 日本トップリーグ連携機構公式. 2009年8月22日閲覧。
  7. ^ 新入社員コメント”. 大野石油広島オイラーズ. 2017年8月12日閲覧。
  8. ^ 2019-20シーズン JTサンダーズ新体制のお知らせ”. JTサンダーズ (2019年6月25日). 2019年11月3日閲覧。
  9. ^ 2020-21シーズンJTサンダーズ広島新体制のお知らせ』(プレスリリース)JTサンダーズ広島、2020年5月26日https://www.jti.co.jp/sports/thunders/information/topics/2019/2005_01/index.html2021年1月22日閲覧 
  10. ^ 原秀治監督、古田博幸コーチ退部のお知らせ”. JTサンダーズ広島 (2022年4月26日). 2022年5月21日閲覧。
  11. ^ 最新情報”. ルートインホテルズ Brilliant Aries (2022年5月20日). 2022年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月21日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]