原大悟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はら だいご
原 大悟
プロフィール
出身地 日本の旗 日本東京都
生年月日 (1988-08-03) 1988年8月3日(35歳)
身長 180 cm
最終学歴 東京学芸大学教育学部
所属事務所 フットメディア
活動期間 2014年 -
ジャンル スポーツ実況
配偶者 あり
著名な家族 原博実(父)
公式サイト フットメディア
担当番組・活動
出演中 サッカー中継
ザッケルゥ~ニィ原
本名 原 大悟
生年月日 (1988-08-03) 1988年8月3日(35歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都
身長 180 cm
最終学歴 東京学芸大学教育学部
出身 ワタナベコメディスクール
相方 関根和亮(2011-2012)
事務所 よしもとクリエイティブエージェンシー(東京)
活動時期 2008年-2013年
テンプレートを表示

原 大悟(はら だいご、1988年8月3日 - )は、日本フリーアナウンサー、スポーツコメンテーター。本名同じ。 元お笑い芸人フットメディア所属。

父は元サッカー日本代表公益社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)元副理事長、現在は大宮アルディージャのフットボール本部長を務める原博実

来歴[編集]

父親にサッカーを強制されたことはないが、父から「小さい時にはこれくらいのことをやっていた」と言われ影響を受けたこともあり[1]、小学校3年からサッカーを始める[2]。関前SC、横河武蔵野JSCを経て東京都立国分寺高等学校ではサッカーに打ち込み(ポジションはDF)プロを目指して、「関東大学サッカーリーグ戦に所属しセレクションのない学校」「プロになれなかったら部活の監督になれるように教員免許が取れる大学」という理由で東京学芸大学教育学部に進みサッカー部に入部するが、周囲のレベルの高さに負けて4か月で退部してしまう[1]

サッカー選手・指導者としての道を諦めることになり次の道を探す中で「友達を盛り上げるのが好きで得意」という理由で、父の反対を押し切ってお笑い芸人の道を目指す[1]。中学時代の友人を誘って2008年・2009年のM-1グランプリにも出場するが惨敗、それでも諦めきれずに、大学4年の時にアルバイトで貯めたお金でワタナベコメディスクール (WCS) に12期生として入る[2](WCSの同期にはハナコクマムシがいる)。卒業時のワタナベエンターテインメントへのオーディションに落ち、2011年9月にWCSの同期であった関根和亮とコンビを組んで「ベイビー」のコンビ名でよしもとクリエイティブエージェンシー(東京)に所属する[3]。その後、自分の来歴を売りにした「サッカー芸人」として活動し、コンビ名も当時の日本代表監督・アルベルト・ザッケローニの了承を得て「ザッケルゥ~ニィ」に改め、サッカー関連のイベント等を中心に活動するが、サッカー推しのネタでドラ息子キャラとして売りたい原と純粋なお笑いのネタで勝負したい相方(元々サッカーにはあまり興味がなかったという)との方向性の差が顕著になり、2012年にコンビを解散する[1][3]。その後はピン芸人ザッケルゥ~ニィ原」として活動を続け、R-1グランプリにも出場するが芳しい成績は残せず、自身のお笑いに対する才能のなさを実感する中、ワッキーペナルティ)の番組に呼ばれた際のサッカー談義を機にサッカーの持つコンテンツ力を再認識し、改めてサッカーに関わる仕事をしたいと思うようになり、2013年に芸人を辞め吉本を退社する[1][4]

父に「お前はバカか」と一喝されながらも、父の紹介でサッカーに関わるメディア関係の仕事を探す中で、局アナ出身以外の人材がおり、若手の人材が求められていた「サッカー実況」へのモチベーションを高め、父を通じて4人のサッカー実況者の連絡先を教えてもらう[1]。その中の一人である西岡明彦から「“原博実の息子”という肩書は、10年、20年武器になる」と前向きな返事をもらったのを機に2013年から西岡の運営するマネジメント会社・ フットメディアでアルバイトを始める[1][2][4]。西岡から実況の手ほどきを1から教えてもらい[5]、2014年にはDJジャンボこと中村義昭の紹介でY.S.C.C.横浜スタジアムDJの職を紹介してもらったのを期に正式にフットメディアと契約[1]。2016年からは本格的にサッカーを始めとするスポーツ実況に携わっている。

挿話[編集]

  • FC東京サポーターの植田朝日が主宰する劇団コラソンで役者として活動していた時期がある[1]
  • 芸人を辞めた後の2014年に結婚しており[5]、2子の父親。
  • フットメディアでの修業時代には教員免許を生かして小学校の時間講師臨時的採用教員)で収入を補っていた[1]
  • 記録的な点差となった2019年J2最終節 柏対京都DAZNでの中継実況を担当したが、原自身はこの時の柏レイソル京都サンガF.C.の戦いぶりについて、「京都が情けない試合をしたわけじゃない」「シュート数は24対16、13失点したチームのシュート数ではない」「(柏の)点を取っていない選手や交代選手がモチベーション高く戦い続け、これでもか、これでもかとゴールを狙い続けた(結果によるもの)」と自身のブログに記している[6]

担当番組等[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 小田菜南子 (2018年7月20日). “原大悟の「ドラ息子力」。偉大過ぎる父・原博実を利用した先に、何を見るのか?”. AZrena. 2021年4月12日閲覧。
  2. ^ a b c 原大悟とは?”. 原大悟のブログ (2018年4月27日). 2021年4月12日閲覧。
  3. ^ a b “ザッケルゥ~ニィ原解散→ピンでR1参戦”. 日刊スポーツ. (2012年12月25日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20121225-1063808.html 2021年4月12日閲覧。 
  4. ^ a b “ザッケルゥ~ニィ原が芸人引退”. 日刊スポーツ. (2014年6月15日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140615-1317910.html 2021年4月12日閲覧。 
  5. ^ a b “ザッケルゥ~ニィ原が結婚 一般女性と”. 日刊スポーツ. (2014年8月11日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140811-1349020.html 2021年4月12日閲覧。 
  6. ^ 放送席から見た13対1”. 原大悟のブログ (2019年11月23日). 2021年4月12日閲覧。

外部リンク[編集]