南沢獅子舞
南沢獅子舞(みなみさわししまい)は、東京都東久留米市に伝わる郷土芸能である。
概要[編集]
江戸時代初期から旧南沢村に伝わる郷土芸能で、かつては村の長男のみに伝えられてきた[1]。伝承によると延宝年間(1673-1681)に伊勢から伝わったと言われ、舞う際の歌にも「此の獅子は伊勢で生れて江戸そだち」と歌われている[2]。五穀豊穣・悪疫退散を祈願し、豊作だった年に行われていた[3]。戦時中に一度途切れたが戦後に復活し[3]、現在では4年に1度行われている[3]。
1967年(昭和42年)に市の無形民俗文化財に指定された [4] [5]。
歴史[編集]
獅子舞が舞う際の歌に「此の獅子は伊勢で生れて江戸そだち」とあり、江戸初期の延宝年間(1673~1680)に伊勢から伝わって来たとされるが[6]、伝播経路を確認できる史料はない。本番用の獅子頭の舌板の裏側に「文化九年壬申年四月彩色」との墨銘があることから、文化9年(1812年)には伝わっていることが推測される。昔は豊年の年の秋祭りとして不定期に行われ[6]、明治時代には毎年行われた時期もあったものの[7]、近年は数年おきとなり、サラリーマンが練習に出られない[8]、昭和天皇の容体を気遣っての自粛などのために[9]、5年間途絶えた時期もあったが、2000年以降は4年に一度開催している。
演目次第[編集]
昼の時間帯に行われる氷川神社と、夜の時間帯に行われる多聞寺では、演目が異なる部分がある。 以下の順番で行われる。
1、行列と踊り込み[編集]
山の神、獅子舞は昼の時間に行われる氷川神社まで、獅子舞は行列をなして向かう。出発は多聞寺で、笛・太鼓のお囃子に合わせて幟、ほら貝などとともに進み、神社に着くとおはらいをして、鳥居前から山の神が先導して踊る。[10]
2、太刀[編集]
太刀つかいともいう。右手に棒を持った半纏姿の2人が向き合って掛け声とともに力強く打ち合う。その後に太刀で打ち合う。[10]
3、世流布[編集]
世流布(せいりふ)では「しばらく、しばらく」と言いながら登場する。[10] 世流布の口上は、氷川神社、多聞寺それぞれで異なる部分がある。[11]
4、神楽[編集]
神楽ではおかめ、ひょっとこが登場する。向かい合い、笛に合わせて踊る。2人が退場すると、山の神が現れる。[10]
5、獅子舞[編集]
獅子舞は一人立ちの三頭で、赤の衣装が雌獅子、紺の衣装が中獅子と大獅子。腹に太鼓を付けて舞う。[10] 氷川神社と多聞寺で獅子舞歌が違う。氷川神社「千早振る神の井垣に松を植えて~」多聞寺「朝日さす夕日輝くこの寺は~」[11]
6、萬歳[編集]
萬歳(まんざい)は多聞寺のみで行われる。太夫と才蔵の2人がコミカルな掛け合いをする。[10]
脚注[編集]
- ^ 文化財資料集13 1991, p. 48.
- ^ 多摩のあゆみ163 2016, p. 51.
- ^ a b c 多摩らび & 2010-06, p. 28.
- ^ “「広報ひがしくるめ 平成25年10月1日」p.12”. 東久留米市. 2023年3月14日閲覧。
- ^ “無形民俗文化財”. 東久留米市. 2016年11月14日閲覧。
- ^ a b 中村規『民俗 東京の祭り』鷹書房, 1980年, p.279
- ^ 東京都東久留米市『東久留米市史』, 1979年, p.1103
- ^ 読売新聞1990年10月1日朝刊
- ^ 、朝日新聞1990年10月17日朝刊
- ^ a b c d e f 『南沢獅子舞 東久留米市指定無形民俗文化財』南沢獅子舞連, 2009年
- ^ a b 『北多摩獅子舞事典』,p.54, 石川博司著, 2008年
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 「南沢獅子舞」4年ぶりに実演 広報ひがしくるめ, 2013年10月1日号, p.12