勘坂康弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かんざか やすひろ

勘坂 康弘
生誕 (1968-08-18) 1968年8月18日(55歳)
日本の旗 日本 富山県
出身校 金沢経済大学(現・金沢星稜大学
職業実業家
テンプレートを表示

勘坂 康弘(かんざか やすひろ、1968年8月18日 - )は、日本の元実業家である。元・株式会社フーズ・フォーラス代表取締役社長

人物[編集]

富山県高岡市野村生まれ、金沢経済大学(現・金沢星稜大学経済学部卒業。

大学時代は金沢のディスコ黒服のアルバイトを経験。卒業後は高岡市内の多田薬品工業に就職するも僅か2年で[1] 退職。半年間上京し、その際に上場会社の外食チェーンに育て上げる事を目指して焼肉チェーン店を起業することを決意。その後、郷里で工員の派遣社員として2年半働き、起業資金1,000万円を貯蓄。[1]

1997年平成9年)、高岡市大野地内に焼き肉店、「焼肉酒家えびす」を開店、翌年にはその運営会社の「有限会社フーズフォーラス」を設立した。その後勘坂は焼き肉店を北陸地方や神奈川県にチェーン展開、『日本一の伝説となるレストランチェーンの実現』との経営理念を掲げるとともに[2]、経営する焼肉店については「(現在の20店舗から)2020年度までに300店舗にしたい」と強気な姿勢を示していた[3]

2011年(平成23年)5月、経営する焼肉店が供出したユッケなどの肉を食べた多数の客が腸管出血性大腸菌感染による食中毒を起こす事件が発生した。5月2日には、事件の原因は自分たちもしくは卸業者にあるとした釈明会見を開いたが、5月5日には一転して土下座して謝罪している[4]。この会見態度は非難轟々を浴びた。2012年4月27日、富山地裁高岡支部に自己破産を申し立てた(負債総額は約13億2000万円、うち被害者への賠償額が約7億5000万円)[5]

2018年3月13日東京地方裁判所において富山県の遺族ら9人がフーズ・フォーラスと当時の社長らに約2億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が出た。会社の責任を認めて約1億6900万円の支払いを命じる一方、元社長の賠償責任は認めなかった。遺族らは、同年4月7日までに、元社長らの責任を認めなかった東京地裁判決を不服として控訴している[6]

経歴[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b ユッケ食中毒事件 『サンデースクランブル』(テレビ朝日) 平成23年5月8日放送
  2. ^ 外食.com 新春特別講義 強力なチームづくりが、幸せな人生を実現する ~「えびすストーリー」
  3. ^ 残ったユッケ翌日も提供 焼き肉チェーン捜索 『日本経済新聞』 平成23年5月7日朝刊
  4. ^ 逆ギレしたかと思うと涙の土下座 「集団食中毒」社長態度一変の理由 J-CASTニュース 2011年5月6日
  5. ^ 「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件の元社長が自己破産申し立て
  6. ^ 生肉集団食中毒で遺族控訴 元社長らの責任を問う”. 京都新聞社 (2018年4月7日). 2018年9月1日閲覧。