兼森義則

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兼森 義則(かねもり よしのり、1949年5月23日 - )は、広島県呉市出身の日本男性アニメーターキャラクターデザイナー監督作画監督演出家である。マッドハウス所属。東京デザイナー学院アニメーション科卒業。日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。

1980年代東映動画作品で、1990年代から2000年代まではマッドハウス作品で、数々の漫画を原作とするテレビアニメキャラクターデザインを手がけて来た。演出家としては、広島出身ということもあり、プロ野球球団「広島東洋カープ」設立を題材としたアニメ映画の監督を任せられた。

略歴[編集]

5歳の時に生まれて初めてに乗ってから船に夢中になり、それ以来高校生時代まで将来は船長になることだったという[1]。船長を目指して神戸商船大学を受験するも不合格で浪人生活に入るも、その生活が嫌になって東京へ行き、目的が無くてはしょうがないとして雑誌をめくっているうちに広告で見つけた東京デザイナー学院に、本格的に上京して入学[1]。このような経緯から、本人は「アニメーターになったのはほんの偶然」と話す[1]東京デザイナー学院(現東京ネットウエイブ)を卒業後、アニメ制作会社朝日フィルムへ入社[1]。朝日フィルムは東映動画作品の外注を主にこなす会社で、兼森はここでテレビアニメゲゲゲの鬼太郎』(第2作)や『マジンガーZ』の作画をこなす。『マジンガーZ』の途中で、海外とのアニメの合作を主にするトップクラフトへ移籍[1]。さらに洋燈社を経て、1976年に作画スタジオスタジオバードを設立[1]、メンバーは兼森の専門学校の同期生で、朝日フィルムから行動を共にして来たアニメーターの稲野義信(秋野洋一)、及川博史である。

1970年代後半から1980年代前半は、スタジオバードで東映動画作品を中心に活動し、特にテレビ版『銀河鉄道999』では主力の作画スタジオとなって活躍した。これが認められて、後番組のテレビ版『新竹取物語 1000年女王』(1981年)ではスタジオバードの面々がキャラクターデザインに抜擢され、兼森は総作画監督の責を負った。東映動画ではこの後も、1983年ストップ!! ひばりくん!』、1984年夢戦士ウイングマン』、1985年ゲゲゲの鬼太郎』、1988年ひみつのアッコちゃん』と立て続けにキャラクターデザインを任せられた。

やがて、稲野がサンライズを仕事の中心にするなどして、兼森も東映動画中心のスタジオバードから、1989年のテレビアニメ『YAWARA!』のキャラクターデザインの仕事から仕事の拠点をマッドハウスへと移した。以後、演出にも進出しながら、数々の作品をこなした。一般のアニメ以外にも、1993年にはテレビ朝日ニュース番組ニュースステーション』のオープニングアニメーションの作画を担当している。

参加作品[編集]

テレビアニメ[編集]

OVA[編集]

劇場アニメ[編集]

その他[編集]

  • 〜宇宙とコミュニケート〜Let's Talk!(1988年、キャラクターデザイン、瀬戸大橋博'88岡山でのNTTパビリオン内上映アニメ)
  • ニュースステーション(1993年、オープニングアニメ原画、テレビ番組、マッドハウス)
  • みんなのうた月のワルツ」(2004年、作画[3]、マッドハウス)
  • Young Alive! 〜iPS細胞がひらく未来〜(2010年、アニメーション監督・キャラクターデザイン、日本科学未来館ドームシアターガイア上映アニメ、マッドハウス)
  • 明治 果汁グミ Tweet Love Story 「メグミとタイヨウ」(2011年、アニメーションキャラクターデザイン・作画監督、TVCM、マッドハウス)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f ジ・アニメ(近代映画社)1984年4月号 p.121 - 125「アニメ人間インタビュー」
  2. ^ ほえろブンブン”. マッドハウス. 2016年6月26日閲覧。
  3. ^ マッドハウス風雲録 其の二 いしづかあつこインターネットアーカイブのキャッシュ)

関連項目[編集]