入間川 (埼玉県)

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入間川
飯能市阿須付近(2011/9/13撮影)
加治橋から見た入間川
水系 一級水系 荒川
種別 一級河川
延長 63.0[1] km
平均流量 -- m³/s
流域面積 721.0[1] km²
水源 埼玉県飯能市
水源の標高 1,197 m
河口・合流先 荒川(川越市)
流域 日本の旗 日本 埼玉県
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入間川(いるまがわ)は、埼玉県を流れる荒川水系一級河川である。上流部は名栗川(なぐりがわ)とも呼ばれる[2][3]。荒川の支流としては最長である。川越市古谷付近で荒川に合流する。

江戸時代の頃は、舟運が江戸の市中まで通じた。

地理[編集]

標高1,294 mの大持山の南東斜面に源を発し[4]飯能市入間市狭山市を流れ、その間に成木川霞川越辺川などの支流を合わせ、さいたま市川越市の境界付近の川越市大字古谷本郷で荒川に合流する。

豊水橋から初雁橋間の左岸、および初雁橋から入間大橋間の右岸に自転車道(22.6 km)が整備されている。

名称[編集]

飯能河原の先、岩根橋より上流[2][3]の旧名栗村の地域では名栗川と呼ばれているが、埼玉県では「入間川(清流 名栗川)」としている。さらに名栗の「名郷(なごう)」集落より上流の源流域では、横倉入(ナギノ入)と呼ばれている。

狭山市の流域には1954年まで埼玉県入間郡入間川町が存在していた。現在も「狭山市入間川」という地名として残されている。最寄の西武新宿線狭山市駅の旧称も「入間川駅」であった。

歴史[編集]

古代の入間川は単独で東京湾へ注いでいた(最下流は隅田川)。荒川は入間川とは合流していなかったが[注釈 1]江戸時代1629年に荒川の付替えが行われ、熊谷市久下から現在の荒川合流点まで開削し、現在の流れが形作られた(利根川東遷事業も参照)。

また、さらに古くは現在の入間川が荒川に合流するあたりから下流の旧入間川は現在の流路より北部を蛇行して流れていた。今より浦和市街に近い位置で、大宮台地を避けるように蛇行していた。流路はいくつかの河川や排水路として現在も面影をとどめている。

また昭和期の航空写真では旧流路に人家が少なく、河道だった場所に水田などの農地があり、川岸に形成された自然堤防に沿って集落があったため、くっきりと流路が確認できる。現在の河川に則すると新川鴨川、大久保排水路、作田排水路、合野谷排水路、田島排水路辻用水芝川(網代橋~青木水門)、毛長川あたりを流れていた[注釈 2]1596年慶長元年)に関東で発生した100年に一度と云われた大洪水が契機となり、土屋村(現さいたま市西区土屋)付近に伊奈忠次により堤[注釈 3]が築かれて乱流していた入間川が締め切られて西側の現在の荒川に近い流れに纏められた。これにより旧流路は上述の河川群となった[5]

江戸では火災が多発し木材が足りなくなると、入間川を使い、名栗村から大量の木材を運び入れた。その木材は、江戸の西の川から運んだことから「西川材」と呼ばれるようになった。

生物[編集]

サケが遡上するのは本州太平洋側では利根川以北とされており[6]、入間川にサケは生息していないと見られていた。しかし、釣り人の証言と上流にイワナやヤマメが生息していた事から、広く環境教育として「入間川にサケを放す会」がサケを放流している(市報『広報川越』にも掲載)。一部では入間川の生態系破壊する行為だとして論争となっていた。荒川水系の水質保全活動に関する各団体で構成される「新河岸川水系水環境連絡会」は、ウェブサイト上に「もともとその川にいないサケを放すことに賛同できない」[7]との意見を掲載するなど、サケの放流に懸念を表明していた。また、埼玉県生態系保護協会においても、研究員の安東正行が「国も特定外来生物被害防止基本方針の中で、人為的な放流に懸念を示している。サケの分布は太平洋側では利根川以北で、荒川水系への放流は地域生物多様性に影響を及ぼす恐れがある」[7]と述べるなど、入間川へのサケの放流は生物多様性を破壊する行為だと指摘している。一方、入間川にサケを放す会の会長は「外来魚ブラックバスを放すのとは違う」[7]「利根川より南でもサケが上ることはよくある」[7]と反論している。

また、サケの回帰率は南にいくほど低くなり、北海道では約5パーセントに達するのに対して茨城県では約1パーセントに過ぎない[7]。そのため、利根川以南の入間川でサケを放流しても、遡上する可能性は極めて低いと考えられている。安東正行はその点に言及し「帰ってくる見込みがほとんどない稚魚を放流して命の大切さを教えるのはどうだろうか」[7]と指摘している。一方、入間川にサケを放す会の会長は「荒川は利根川とほぼ同じ緯度経度を流れているので問題ない」[7]と反論するとともに、さいたま市の秋ケ瀬取水堰でサケを釣った人がいた[7]、などと主張している。さらに、取水堰の存在がサケの遡上を妨害していると主張し、もともと生息していなかったサケのために魚道を整備するよう国や県に要求している[7]

なお、環境省の所管する国立環境研究所では、外来生物を収録した「侵入生物データベース」において、ブラックバスと同じくサケも外来生物のひとつとして分類している。「侵入生物データベース」によれば、日本におけるサケの自然分布は「日本沿岸北海道、本州の利根川以北太平洋側と九州以北日本海側)」[6]とされており、そのほかの「千葉栗山川[注釈 4])、東京多摩川)等」[9]にてみられるサケは外来生物(国内外来種)として侵入したものだとされている。そのため、入間川小学校の生徒たちが夏場に入間川に直接入って、業者と外来生物の除去作業を行っていた。

近年は観光的なイベントとしてブラックバスなど外来種の試食会が開かれている。

流域の自治体[編集]

埼玉県
飯能市入間市狭山市川越市比企郡川島町

支流[編集]

上流から

用水路[編集]

  • 入間北部第二用水路(飯能市小瀬戸付近を流れる入間川より取水した宮沢湖の水を導水している[10]
  • 根堀用水(笹井ダムより取水し西へ流れる)
  • 赤間川(「入間第二用水」・「入間川第二用水」と称する。笹井ダムより取水し北東に流れ、新河岸川に合流する)
  • 伊佐沼代用水路(菅間堰より取水し南へ流れ、一部は伊佐沼に流入する。)

河川施設[編集]

有間ダム
  • 有間ダム
  • 笹井ダム

流域の観光地[編集]

飯能河原を流れる入間川
吾妻峡・ドレミファ橋

橋梁[編集]

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割岩橋
入間川橋梁(西武池袋線)
新豊水橋より
広瀬橋
入間川と荒川の合流点

上流より記載

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 古代の荒川は東寄りの現在の元荒川を流れ当時の利根川に合流した。
  2. ^ 国土地理院の『治水地形分類図』等を参照。
  3. ^ 指扇駅や指扇駅前郵便局前から南西方向に向かい荒川左岸堤防に至る道路およびその近辺がその名残と思われる。
  4. ^ 栗山川全体での遡上数の記録は残されていないが、高度成長期に回帰が途絶える以前、毎年いくらかのサケが上流の旧山田町(現・香取市、サケの神社:山倉大神がある)まで遡上していた[8]

出典[編集]

  1. ^ a b 入間川 - 国土交通省 関東地方整備局 荒川下流河川事務所(2013年2月7日付けのアーカイブキャッシュ)
  2. ^ a b かわはくNo.14 (PDF) p.4 - さいたま川の博物館
  3. ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』636頁。
  4. ^ 展示図録 8ページ
  5. ^ 上尾の戦中・戦後を知り記録する会 編『わがまち 上尾を知ろう 上尾の戦中・戦後の姿 増補改訂版』三恵社、2019年10月30日、194-195頁。ISBN 978-4-86693-133-3 
  6. ^ a b 「基本情報」『サケ / 国立環境研究所 侵入生物DB国立環境研究所生物・生態系環境研究センター侵入生物研究チーム
  7. ^ a b c d e f g h i 松村康史「荒川水系サケ放流に賛否――環境教育VS.生態系に影響」『朝日新聞』44135号、第2東京14版、朝日新聞東京本社2009年3月4日、30面。
  8. ^ 「千葉県でのサケ増殖事業の経緯」『栗山川におけるシロザケの種苗放流事業30年の歴史』千葉県水産総合研究センター。
  9. ^ 「侵入情報」『サケ / 国立環境研究所 侵入生物DB国立環境研究所生物・生態系環境研究センター侵入生物研究チーム
  10. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』833頁。
  11. ^ a b ちょこたび埼玉 吾妻峡”. 埼玉県・埼玉県物産観光協会. 2019年11月12日閲覧。
  12. ^ a b c 写真で綴る狭山の橋” (PDF). 狭山市立博物館. pp. 3-6 (2008年3月). 2022年4月10日閲覧。
  13. ^ 荒川上流河川維持管理計画 【国土交通大臣管理区間編】” (PDF). 国土交通省関東地方整備局 荒川上流河川事務所. p. 21 (2012年3月). 2013年2月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月27日閲覧。
  14. ^ 川島町 橋梁長寿命化修繕計画” (PDF). 川島町役場. p. 6 (2013年2月). 2022年4月9日閲覧。

参考文献[編集]

  • 埼玉県西部地域博物館入間川展合同企画協議会 編『入間川4市1村合同企画展 展示図録 入間川再発見! ―身近な川の自然・歴史・文化をさぐって―』文化新聞社、2004年9月30日。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104 

関連項目[編集]