倉田隆文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
くらた たかふみ
倉田 隆文
生誕 (1923-05-15) 1923年5月15日
日本の旗 日本
死没 (1998-05-09) 1998年5月9日(74歳没)
三重県四日市
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京商科大学
職業 実業家
活動期間 20世紀
活動拠点 日本の旗 日本
肩書き ノリタケカンパニーリミテド社長
中部経済同友会代表幹事
前任者 杉本悌二郎 (ノリタケ)
雲井洋 (中部経済同友会)
後任者 佐伯進 (ノリタケ)
多賀潤一郎 (中部経済同友会)
受賞 スリランカラトナ勲章
テンプレートを表示

倉田 隆文(くらた たかふみ、1923年5月15日 - 1998年5月9日)は、日本実業家。伊勢電子工業(のちのノリタケ伊勢電子)社長として同社を再建したのち、ノリタケカンパニーリミテド社長・会長や中部経済同友会代表幹事を務めた。スリランカラトナ勲章受章。

人物[編集]

東京都出身。神田の本屋街で育つ。1948年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業、日本陶器入社[1]

ニューヨーク支店、社長室、海外事業部長、常務等を経て、1974年から1981年まで経営悪化に陥っていた伊勢電子工業(のちのノリタケ伊勢電子)の社長を兼務。工場や従業員を半減するなど減量経営を行い、6年で再建を果たす[2]

1981年1月専務、1981年8月副社長を経て、1982年、杉本悌二郎の後任としてノリタケカンパニーリミテド社長就任[3]カナダアメリカ合衆国向けの陶磁器の輸出を増やした。また消費における女性の影響が高まってきたことから20代、30代の女性向けのデザイン開発のため、自社開発のみでなく、国内外のデザイナーにデザインを委託。ニーズの多様化に合わせ、大量生産だけではなく、多品種少量生産の可能な工場建設も進めた[4]

1984年から1986年まで中部経済同友会代表幹事[5]。取締役時代からスリランカなどの海外生産工場、子会社への生産移管を進めた功績などから、1992年スリランカラトナ勲章受章[6]

趣味は小説を読むこと[1]

1998年5月9日三重県四日市市の病院で死去、享年74[7]

栄典[編集]

スリランカラトナ勲章

脚注[編集]

  1. ^ a b 1982/06/15, 日本経済新聞
  2. ^ 1982/06/15, 日本経済新聞 
  3. ^ 1982/01/28, 日経産業新聞、1982/01/27, 日本経済新聞
  4. ^ 1984/09/12, 日本経済新聞
  5. ^ 1986/08/09, 日本経済新聞、1990/01/17, 日本経済新聞
  6. ^ 1992/05/27, 日経産業新聞、1982/06/15, 日本経済新聞 
  7. ^ 1998/05/11, 日本経済新聞


先代
杉本悌二郎
ノリタケカンパニーリミテド社長
1982年 - 1987年
次代
佐伯進
先代
雲井洋
中部経済同友会筆頭代表幹事
1986年 - 1987年
次代
多賀潤一郎