ヴェールール

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ヴェールール
வேலூர்
Vellore
ヴェールール城塞
ヴェールール城塞
タミル・ナードゥ州の位置を示したインドの地図
ヴェールールの位置
ヴェールール
ヴェールールの位置
タミル・ナードゥ州 とインド内)
座標: 北緯12度55分13秒 東経79度08分00秒 / 北緯12.920219度 東経79.133306度 / 12.920219; 79.133306
インドの旗 インド
タミル・ナードゥ州
行政区 ヴェールール県
人口
都市圏
185,895[1] (2011年現在)
481,966[2]
公用語 タミル語
標準時 IST (UTC+5:30)
面積
海抜

216 m

ヴェールールタミル語: வேலூர்英語: Vellore)は、インド南部のタミル・ナードゥ州にある都市。ヴェールール県の県庁所在地であり、同県ヴェールール郡の中心都市である。古くから周辺地域での権力闘争の激戦地であり、ヴェールール城塞を擁している。

地理[編集]

タミル・ナードゥ州北東部のヴェールール県の中央、パーラール川沿いに位置する。州内の主要都市までの距離を以下に示す。

歴史[編集]

ヴェールールはヴィジャヤナガル王国の時代、領主であるナーヤカが都市としての基礎を築き、16世紀チンナ・ボンミ・ナーヤカティンマ・レッディ・ナーヤカによって城塞(ヴェールール城)が建築された。

17世紀初頭、ヴィジャヤナガル王ヴェンカタ2世は、ビジャープル王国ゴールコンダ王国の圧迫から逃れるために、チャンドラギリからこの地へ遷都した。

17世紀の中頃には、ビジャープル王国がこの町を治めていたが、その後マラーター人などの支配を受けた。マラーター王国からムガル帝国に支配権が移ったのちには、アルコットナワーブの管轄となった。

1760年、この町はイギリス東インド会社の支配下に入った。1799年イギリスがティプー・スルターンを破った後、彼の息子たちはこの町に幽閉された。

1806年7月10日セポイたちがイギリスに抵抗してこの町で蜂起したが、イギリスによって一日で鎮圧され、大勢が殺害された(ヴェールール蜂起)。

政治[編集]

ヴェールールからは、2001年の統一地方選挙に引き続き、2006年の統一地方選挙においてもINCC・ニャーナシェーカランが連続当選した。

画像[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]