ワレリアン・ゾリン

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ワレリアン・アレクサンドロヴィチ・ゾリンロシア語: Валериан Александрович Зорин、Valerian Aleksandrovich Zorin、1902年1月1日 - 1986年1月14日)は、ソビエト連邦外交官

経歴[編集]

ノヴォチェルカッスクの教師の家庭に生まれる。

1922年、ロシア共産党(ボリシェヴィキ)に入党。1922年から1932年、コムソモールモスクワ委員会と中央委員会で働く。

1935年、最高共産主義教育大学を卒業し、党の教育業務に従事。

1941年、外務人民委員部(外務省)に移り、総書記補佐官に任命。1943年から1945年、第4欧州課主任。1945年3月から駐チェコスロバキア大使となり、チェコスロバキア社会主義共和国政府の活動を指導した。

1947年から1955年、外務次官になると同時に、1952年から1953年まで国連大使(国連常任代表)を兼任する。1955年、駐西ドイツ大使。

1956年、モスクワに戻り、再び外務次官となる。1956年からソ連共産党中央委員会委員候補、1961年~1971年、委員。1960年から1962年、再び駐国連常任代表となる。1965年から駐仏大使。

1971年、高齢のため、名誉職である特別委任大使に任命された。