ワイネル兄弟

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アルカージイ・ワイネル
Аркадий Вайнер
アルカージイ・ワイネル(中央)
誕生 1931年
ソビエト連邦 モスクワ
死没 2005年
ロシア モスクワ
職業 小説家脚本家、予審判事
言語 ロシア語
ジャンル ミステリ
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ゲオールギイ・ワイネル
Георгий Вайнер
誕生 1938年
ソビエト連邦 モスクワ
死没 2009年
アメリカ合衆国 ニューヨーク
職業 小説家脚本家、エンジニア、ジャーナリスト
言語 ロシア語
ジャンル ミステリ
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ワイネル兄弟(ワイネルきょうだい;ロシア語: Бра́тья Ва́йнеры)は、ソビエト連邦ロシア小説家推理作家脚本家。兄のアルカージイ・アレクサンドロヴィチ・ワイネルАркадий Александрович Вайнер1931年 - 2005年)と弟のゲオールギイ・アレクサンドロヴィチ・ワイネルГеоргий Александрович Вайнер1938年 - 2009年)の兄弟。ともにモスクワ生まれ。

略歴[編集]

ともに大学では法律を学んだ。兄のアルカージイは予審判事を長年務め、弟のゲオールギイはエンジニアを務めたほか、長い間ジャーナリストとして活動した。

1969年、合作の推理小説「真昼に手探りで」でデビュー。飯田規和「ソ連の推理小説」(1972)では、ヴィクトル・スミルノフロシア語版ニコライ・レオーノフロシア語版とともに「ソ連の推理小説界の新人三羽烏」と紹介されている。二人の経験を活かして、合作で推理小説・シナリオを多く執筆した。

弟のゲオールギイは1990年にアメリカに移住したが、それ以降も、ソ連初の推理小説専門誌『インターポール・モスクワ』の編集委員を務めるなどした。ゲオールギイは死去するまでアメリカに暮らした。

日本語訳作品[編集]

  • ミノトール訪問 (長編抄訳、泉清訳、『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号(通巻48号)、p.22-160) (Визит к Минотавру (1972)) ※合作

小説リスト[編集]

ロシア語で執筆。

合作[編集]

  • Ощупью в полдень (真昼に手探りで) (1969)
  • Часы для мистера Келли (ミスター・ケリーにとっての幾時間) (1970)
  • Визит к Минотавру (ミノトール訪問) (1972)
  • Я, следователь (私、予審判事) (1972)
  • Гонки по вертикали (垂直線での追跡) (1974)
  • Эра милосердия (1976)
  • Лекарство для Несмеяны (1978)
  • Не потерять человека (1978)
  • Город принял! (1980)
  • Карский рейд (1983)
  • Евангелие от палача (1991) (モスクワ版とニューヨーク版で異なる)
  • Петля и камень в зелёной траве (1991) (モスクワ版とニューヨーク版で異なる)

アルカージイ・ワイネル[編集]

  • Объезжайте на дорогах сбитых кошек и собак (1986)
  • Телеграмма с того света (1988)
  • Двое среди людей (1990)
  • Завещание Колумба (1991)

ゲオールギイ・ワイネル[編集]

脚本リスト[編集]

ロシア語で執筆。

合作[編集]

ゲオールギイ・ワイネル[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 飯田規和「ソ連の推理小説」(『世界ミステリ全集12』(早川書房、1972年)の月報に掲載)
  • イリーナ・ボガートコ「ソヴェートの推理小説 ―最近年間の作品の概観―」(訳:岡野肇、『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号(通巻48号))
  • 深見弾「ソビエト・ミステリ界の現状」(『ミステリマガジン』1991年12月号)
  • 『ミノトール訪問』(『季刊ソヴェート文学』1974年夏季号(通巻48号))に付された著者紹介