ロベルト・アラーニャ

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ロベルト・アラーニャ
ロベルト・アラーニャ(2004年)
基本情報
出生名 Roberto Alagna
生誕 (1963-06-07) 1963年6月7日(60歳)
出身地 フランスの旗 フランスパリ
ジャンル オペラ
職業 テノール歌手
活動期間 1988年 -
公式サイト Roberto Alagna Site official
2008年 オランジュ音楽祭

ロベルト・アラーニャ(Roberto Alagna, 1963年6月7日 - )は、フランステノール歌手。叙情的な歌唱スタイルと秀でた演技力で、現代を代表するテノールの一人である。

生い立ち[編集]

シチリア出身の両親のもと、フランスのパリ郊外クリシー=ス=ボワに生まれる。10代からパリのナイトクラブでポップスを歌い始めるが、マリオ・ランツァの映画『歌劇王カルーソ』や、歴史的テノールの録音に影響を受けオペラを志す。しかしその大部分は独学であった。現在フランスとイタリア両国の国籍を持ち、パリ在住。

経歴[編集]

1988年にフィラデルフィアで開催されたルチアーノ・パヴァロッティ国際声楽コンクールで優勝し、同年にグラインドボーン・ツアー・オペラの『椿姫』のアルフレード役でデビューした。椿姫をフランスとイタリアの小都市を中心に150回以上歌い、その間に評判を得て主要な劇場に招かれる。1990年にスカラ座、1992年にコヴェントガーデン、1996年にメトロポリタン歌劇場にデビューしている。1994年にコヴェントガーデンでシャルル・グノーの「ロメオとジュリエット」のロメオ役で大成功をおさめローレンス・オリヴィエ賞を受賞[1]、国際的スターの座を得る。

2006年12月にスカラ座の2006/07シーズンの『アイーダ』でラダメス役をつとめたが、2回目の公演の1幕のアリア「清きアイーダ」で天井桟敷からブーイングを受けたことに抗議して上演途中で退場、上演の残りを代役が普段着のまま歌ったことで話題になった。スカラ座の聴衆は演奏家に厳しいことで有名で、頻繁に起きるブーイングの習慣については批判も多い。翌年のメトロポリタン歌劇場で同じラダメスを歌ったアラーニャに、聴衆はスタンディングオベーションを与えている。その後スカラ座には出演していなかったが、2013年9月、スカラ座より出演依頼を受けていることを明かしており、再三の出演要請に応じる形で2020年12月の開幕ガラコンサートで復帰している[2]

フランスのオランジュ音楽祭(フランスの公共TVでゴールデンタイムに生中継される)と、米国のメトロポリタン歌劇場ライブHD(世界中の映画館に生中継される)の常連であり、オランジュ音楽祭では『椿姫』、『リゴレット』、『ロメオとジュリエット』、『カルメン』、『ラ・ボエーム』、『イル・トロヴァトーレ』、『ファウスト』、『アイーダ』、『道化師』、『カヴァレリア・ルスティカーナ』、『トスカ』、『トゥーランドット』、『オテロ』、『サムソンとデリラ』を、メトロポリタン歌劇場のライブHDでは『ロメオとジュリエット』、『ドン・カルロ』、『つばめ』、『カルメン』、『アイーダ』、『トスカ』、『マノン・レスコー』、『蝶々夫人』、『サムソンとデリラ』を歌っている。

フランス政府は2008年にアラーニャに レジオン・ドヌール勲章(シュヴァリエ)を、2021年に同勲章(オフィシエ)を与えている[3]

レパートリー[編集]

イタリア語とフランス語のオペラを主なレパートリーとしている。特にフランス語の言葉遣い(ディクション)の明瞭さが特徴であり、自然で美しいフランス語、巻き舌にしないRを使える稀な歌手である。

20代から30代は明るい声質を生かし、『ロメオとジュリエット』のロメオ、『ラ・ボエーム』のロドルフォなど軽いリリコの役が中心であったが、徐々に声質が重くなるに合わせ、『カルメン』のドン・ホセ、『イル・トロヴァトーレ』のマンリーコなどスピントの役柄に移行、現在は『アイーダ』のラダメスや『トゥーランドット』のカラフなどドラマティックな役もレパートリーとしている。しかし本質的にリリック・テノールであり、ロマンティックで情熱的な情感に溢れる歌唱が持ち味である。

特に顕著な功績として、上演機会の少ないフランスの作品の復活に力を入れており、 アルファーノの『シラノ・ド・ベルジュラック』、マスネの『ノートルダムの曲芸師』、『ル・シッド』、『ナヴァラの娘』、ラロの『フィエスク』、ベルリオーズの『レリオ』、ドビュッシー の『放蕩息子』、ヴェルディの『ドン・カルロス』(フランス語原典版)、ドニゼッティの『ランメルモールのルチア』(フランス語版)などを録音すると同時に、新作ウラジミール・コスマ英語版の『マリウスとファニー英語版』を初演している。また、近年再評価の機運が高まっているグランド・オペラにも積極的であり、ベルリオーズの『トロイアの人々』、マイアベーアの『ヴァスコ・ダ・ガマ(アフリカの女)』、アレヴィの『ユダヤの女』、ショーソンの『アルテュス王』を歌っている。

オペラ以外にポップス歌手の一面を持ち、ルイス・マリアーノ英語版へのオマージュを歌ったCDは40万枚、両親の故郷シチリアの曲を歌ったシシリアンのCDは35万枚のヒットとなっている。フランス国内ではポピュラーコンサートの全国ツアーを複数回行っており、ポピュラーではオペラとは全く異なる発声で歌っている。

家族[編集]

最初の妻(Florence Lancien)は1994年に脳腫瘍のため死去。彼女との間には1991年生まれの娘がいる。

1996年にルーマニア出身のソプラノ歌手アンジェラ・ゲオルギューと再婚した。ステージとレコーディングで数多くの共演を行い、オペラ界のゴールデンカップルと呼ばれたが、2009年に、ゲオルギューが自身のウェブサイトで2年間別居状態であり離婚を望んでいることを公表した。その後2人はいったん和解し、共演も再開するが、2013年1月に離婚に合意したことを発表、同年5月に離婚が成立している。同年9月にアラーニャは、新しいパートナーであるポーランド出身のソプラノ歌手アレクサンドラ・クルジャクの懐妊を公表、2014年1月29日に女の子Malèna Alagnaが誕生している。クルジャクとは2015年11月に結婚し、多くの共演を行っている。

アラーニャは弟(舞台監督のフレデリコ・アラーニャ、および作曲家のダヴィド・アラーニャ英語版)といくつかのプロジェクトで一緒に仕事をしている。ダヴィドの作曲したオペラ『死刑囚最後の日』(原作・ヴィクトル・ユーゴー)に主演、録音を行っている。

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レパートリー
役名 作品名 作曲家
アルフレード 椿姫 ヴェルディ
ドン・カルロス ドン・カルロス(仏語版) ヴェルディ
ドン・カルロ ドン・カルロ ヴェルディ
マンリーコ イル・トロヴァトーレ ヴェルディ
マントヴァ公 リゴレット ヴェルディ
マクダフ マクベス ヴェルディ
ラダメス アイーダ ヴェルディ
リッカルド 仮面舞踏会 ヴェルディ
オテロ オテロ ヴェルディ
ガブリエーレ シモン・ボッカネグラ ヴェルディ
ロドルフォ ルイザ・ミラー ヴェルディ
ロメオ ロメオとジュリエット グノー
ファウスト ファウスト グノー
ドン・ジョゼ カルメン ビゼー
ナディール 真珠採り ビゼー
ウェルテル ウェルテル マスネ
デ・グリュー マノン マスネ
ジャン ノートルダムの曲芸師 マスネ
アラキル ナヴァラの娘 マスネ
ロドリーグ ル・シッド マスネ
ホフマン ホフマン物語 オッフェンバック
シラノ シラノ・ド・ベルジュラック アルファーノ
ロドルフォ ラ・ボエーム プッチーニ
マリオ・カヴァラドッシ トスカ プッチーニ
ルッジェーロ つばめ プッチーニ
ピンカートン 蝶々夫人 プッチーニ
リヌッチョ ジャンニ・スキッキ プッチーニ
カラフ トゥーランドット プッチーニ
デ・グリュー マノン・レスコー プッチーニ
ネモリーノ 愛の妙薬 ドニゼッティ
エドガルド ランメルモールのルチア ドニゼッティ
エドガー ランメルモールのルチア(仏語版) ドニゼッティ
ロベルト ロベルト・デヴリュー ドニゼッティ
フリッツ 友人フリッツ マスカーニ
トゥリドゥ カヴァレリア・ルスティカーナ マスカーニ
カニオ 道化師 レオンカヴァッロ
アンドレア・シェニエ アンドレア・シェニエ ジョルダーノ
ロリス・イパノフ伯爵 フェドーラ ジョルダーノ
パオロ フランチェスカ・ダ・リミニ ザンドナーイ
オルフェ オルフェとエウリディーチェ グルック
マリウス マリウスとファニー英語版 コスマ英語版
死刑囚 死刑囚最後の日 ダヴィド・アラーニャ英語版
マウリツィオ アドリアーナ・ルクヴルール チレア
フィエスク フィエスク ラロ
エネ トロイアの人々 ベルリオーズ
ウリッセ ペネロープ フォーレ
ランスロット アルテュス王 ショーソン
ヴァスコ・ダ・ガマ ヴァスコ・ダ・ガマ(アフリカの女 マイアベーア
アザエル 放蕩息子 ドビュッシー
エレアザル ユダヤの女 アレヴィ
サムソン サムソンとデリラ サン=サーンス
ローエングリン ローエングリン ワーグナー

関連項目[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]