レイ・フェルナンデス

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ハーキュリーズ
プロフィール
リングネーム ハーキュリーズ
ハーキュリーズ・ヘルナンデス
ヘラクレス・ヘルナンデス
マイティ・ハーキュリーズ
"ハーキュリーズ" レイ・フェルナンデス
スーパー・インベーダー
マスクド・アサシン2号
ミスター・レスリング3号
本名 レイモンド・フェルナンデス
ニックネーム 伝説の豪雄
身長 191cm - 193cm
体重 122kg - 127kg
誕生日 1956年5月7日
死亡日 (2004-03-06) 2004年3月6日(47歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
フロリダ州の旗 フロリダ州
ヒルズボロ郡タンパ
トレーナー ヒロ・マツダ
デビュー 1981年1979年説もあり)
引退 1999年
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ハーキュリーズ・ヘルナンデスHercules Hernandez)ことレイ・フェルナンデスRaymond Fernandez1956年5月7日 - 2004年3月6日)は、アメリカ合衆国プロレスラーフロリダ州タンパ出身。

ギリシア神話の英雄 "ヘーラクレース" の英語名であるハーキュリーズリングネームに冠し、その名に違わぬ筋骨隆々のパワーファイターとして活躍した[1]。日本ではヘラクレス・ヘルナンデスの呼称および表記で知られた[1]

来歴[編集]

1981年6月[1]エディ・グラハムが主宰していた地元のNWAフロリダ地区でデビュー(1979年にミッドサウス地区で覆面レスラーのミスター・レスリング3号としてデビューしたともされる[2])。1982年ハーキュリーズ・ヘルナンデスのリングネームで中西部NWAセントラル・ステーツ地区に入り、ハーリー・レイスマイク・ジョージらベテランと対戦してキャリアを積む。1983年1月にはヘラクレス・ヘルナンデス名義で全日本プロレスに初来日[1]。1月7日の高松大会ではジャンボ鶴田、1月20日の北茨城大会ではジャイアント馬場とのシングルマッチが組まれた[3]

以降、ジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区ビル・ワット主宰のMSWAなど、南部エリアを転戦。ミッドアトランティックではジョディ・ハミルトンが再編したジ・アサシンズの新メンバーとなり、1983年11月24日開催の『スターケード '83』ではルーファス・R・ジョーンズ&バグジー・マグローから勝利を収めた[4]

MSWAではジム・コルネットスカンドル・アクバのマネージメントのもと、ジム・ドゥガンジャンクヤード・ドッグテリー・テイラーと抗争。1984年12月3日には、テッド・デビアスと組んでロックンロール・エクスプレスリッキー・モートン&ロバート・ギブソン)からミッドサウス・タッグ王座を奪取した[5]

古巣のフロリダ地区では1985年5月26日にブライアン・ブレアーから南部ヘビー級王座を奪取[6]。6月30日にはヘクター・ゲレロを破りフロリダ・ヘビー級王座を獲得したが、控室でワフー・マクダニエルと乱闘騒ぎを起こしたため解雇されている[7]

1985年末よりWWFに登場し、初期はフレッド・ブラッシー、後にボビー・ヒーナンマネージャーに迎え、極太の鎖を首に巻きつけた大型ヒールとして活躍。リングネームをハーキュリーズに改め、同じ筋肉派のビリー・ジャック・ヘインズアルティメット・ウォリアーと抗争を展開[8]1986年11月15日収録(11月29日放送)の『サタデー・ナイツ・メイン・イベント』ではハルク・ホーガンWWF世界ヘビー級王座に挑戦した[9]1987年2月21日収録(3月14日放送)の同番組では、ホーガンやアンドレ・ザ・ジャイアントが参加したバトルロイヤルにおいて優勝を果たしている[10]

1988年からベビーフェイスに転向してテッド・デビアスらと抗争するが、1990年夏頃から再びヒールターンスリックをマネージャーに、ポール・ローマとのタッグチーム "パワー&グローリー" でタッグ戦線に進出する[8][11]。怪力のハーキュリーズ(パワー)とスピーディーなローマ(グローリー)という、それぞれの持ち味を活かしたコンビネーション・プレイを武器に、リージョン・オブ・ドゥームホーク&アニマル)、ハート・ファウンデーションブレット・ハート&ジム・ナイドハート)、ザ・ロッカーズマーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズ)らと抗争を繰り広げた[12]1991年6月には当時WWFと提携していたSWSにローマとのコンビで来日している[13]

1992年WCWへ移籍し、覆面レスラーのスーパー・インベーダーに変身[2][8]。同年9月2日の『クラッシュ・オブ・ザ・チャンピオンズ』ではジェイク・ロバーツリック・ルードベイダーと組み、スティングニキタ・コロフスタイナー・ブラザーズリック&スコット・スタイナー)のベビーフェイス勢とエリミネーション・マッチで対戦した[14]

1993年新日本プロレスに初参戦[15]。当時の新日本の外国人エースだったスコット・ノートンと "ジュラシック・パワーズ" を結成[8]、同年8月5日にヘルレイザーズ(ホーク&パワー・ウォリアー)からIWGPタッグ王座を奪取した[16]。新日本には翌1994年まで計9回、ノートンのパートナーとして来日している。

その後はイリノイ州シカゴのAWFなどインディー団体を転戦し、1999年に引退してトラック・ドライバーに転身した。2004年3月6日心臓発作のためフロリダ州タンパの自宅で死去[2][8][17]。47歳没。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

セントラル・ステーツ・レスリング
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:2回[6]
  • NWA南部ヘビー級王座:1回[7]
ミッドサウス・レスリング・アソシエーション
新日本プロレス
インディー
  • IWFカンナム王座:1回
  • IAWヘビー級王座:1回
  • IAWタッグ王座:1回(w / ポール・ローマ

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P63(2002年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c Hercules Hernandez”. Online World of Wrestling. 2009年6月8日閲覧。
  3. ^ The AJPW matches fought by Hercules Hernández in 1983”. Wrestlingdata.com. 2018年11月29日閲覧。
  4. ^ Starrcade 1983”. Pro Wrestling History.com. 2022年2月6日閲覧。
  5. ^ a b Mid-South Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年12月8日閲覧。
  6. ^ a b NWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月6日閲覧。
  7. ^ a b NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月6日閲覧。
  8. ^ a b c d e Hercules Hernandez dies”. Slam Wrestling (2001年3月7日). 2009年6月8日閲覧。
  9. ^ WWE Yearly Results 1986”. The History of WWE. 2011年5月6日閲覧。
  10. ^ WWE Yearly Results 1987”. The History of WWE. 2018年5月24日閲覧。
  11. ^ Power & Glory”. Online World of Wrestling. 2011年5月6日閲覧。
  12. ^ WWE Yearly Results 1991”. The History of WWE. 2017年1月24日閲覧。
  13. ^ The SWS matches fought by Hercules Hernandez in 1991”. Wrestlingdata.com. 2017年1月24日閲覧。
  14. ^ WCW Clash of the Champions XX”. Pro Wrestling History.com. 2011年5月6日閲覧。
  15. ^ The NJPW matches fought by Hercules Hernandez in 1993”. Wrestlingdata.com. 2017年1月24日閲覧。
  16. ^ a b IWGP Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月2日閲覧。
  17. ^ Raymond "Hercules Hernandez" Fernandez”. Find a Grave. 2010年2月3日閲覧。
  18. ^ NWA Central States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月20日閲覧。

外部リンク[編集]