ルートヴィヒ7世 (バイエルン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルートヴィヒ7世
Ludwig VII.
上バイエルン=インゴルシュタット公
在位 1413年 - 1443年

出生 (1365-12-20) 1365年12月20日
死去 (1447-09-26) 1447年9月26日(81歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
下バイエルン=ランツフート公領ブルクハウゼン
配偶者 アンヌ・ド・ブルボン=ラ・マルシュ
  カトリーヌ・ダランソン
子女 ルートヴィヒ8世
ヨハン
ヨハン
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 上バイエルン=インゴルシュタット公シュテファン3世
母親 タデア・ヴィスコンティ
テンプレートを表示

ルートヴィヒ7世(Ludwig VII., 1365年12月20日 - 1447年9月26日)は、14世紀上バイエルン=インゴルシュタットシュテファン3世タデア・ヴィスコンティの子[1]

生涯[編集]

公位継承前の1408年、同族のリエージュ司教ヨハンとリエージュ市民が対立、ルートヴィヒ7世はヨハンの兄・下バイエルン=シュトラウビングヴィルヘルム2世ブルゴーニュ公ジャン無怖公と共に反乱を鎮圧した。また、妹イザベラフランス王シャルル6世に嫁いだ関係でフランスに滞在したこともある。

1413年、父の死によって相続した。1425年、下バイエルン=シュトラウビング公ヨハン3世(兄の死後、リエージュ司教を辞任した)の死後の遺領を巡って従兄弟のハインリヒ16世エルンストと対立、1429年に分割相続することで合意した。

しかし、1443年にハインリヒ16世と同盟を結んだ息子のルートヴィヒ8世の裏切りに遭い、投獄ののち廃位された。ルートヴィヒ7世は1447年に死ぬまで幽閉され、ルートヴィヒ8世も父に先立って死去、インゴルシュタット系は断絶、遺領はハインリヒ16世に奪われた。

家族[編集]

1402年にラ・マルシュ伯ジャン1世ブルボン公ルイ1世の孫)の娘アンヌと結婚した[1]

1413年アランソン伯ピエール2世の娘カトリーヌ(1462年没)と再婚[1]、2人の子を儲けたが夭折した。

  • ヨハン(1415年2月6日生) - 夭折
  • 娘 - 夭折

また、数人の愛妾との間に庶子をもうけている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c Adams 2010, p. 256.

参考文献[編集]

  • Adams, Tracy (2010). The Life and Afterlife of Isabeau of Bavaria. The Johns Hopkins University Press. ISBN 9780801899263. https://books.google.com/books?id=XlnwD9UTCZYC 
先代
シュテファン3世
上バイエルン=インゴルシュタット公
1413年 - 1443年
次代
ルートヴィヒ8世