ルイス・レヴァンドフスキ

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ルイス・レヴァンドフスキ
Louis Lewandowski
基本情報
生誕 1821年4月23日
プロイセン王国の旗 プロイセン王国 ヴレッシェン
死没 (1894-02-04) 1894年2月4日(72歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国 ベルリン
ジャンル クラシック
職業 作曲家

ルイス・レヴァンドフスキ(Louis Lewandowski, 1821年4月23日 - 1894年2月4日)は、ドイツユダヤ音楽の作曲家

生涯[編集]

ドイツの切手に描かれたレヴァンドフスキ 1990年

レヴァンドフスキはプロイセンのポーゼン地方[注 1]のヴレッシェン(Wreschen[注 2]に生まれた。12歳でベルリンへと赴き、そこでピアノ声楽を学んでシナゴーグボーイソプラノ独唱者となった。その後3年間アドルフ・ベルンハルト・マルクスの薫陶を受け、プロイセン芸術アカデミー[注 3]の作曲家に入学した。アカデミーではカール・フリードリヒ・ルンゲンハーゲンエドゥアルド・グレルドイツ語版より教えを受けた。高い成績で卒業したレヴァンドフスキは、1840年にベルリンのシナゴーグで合唱指揮者となる。そこで彼は、シナゴーグの式典が音楽的に発展を遂げるために極めて貴重な礼拝音楽を作曲した。彼の主要作品には合唱曲「Kol Rinnah u-Tefillah」、混声合唱と独唱、オルガンのための「Todah ve-Zimrah」、独唱、合唱とオルガンのための40の詩篇、交響曲、序曲、カンタータ、歌曲がある。

1866年、レヴァンドフスキは『ロイヤル・ミュージック・ディレクター』の称号に与る。まもなく、彼はベルリンのノイエ・シナゴーグ英語版の合唱指揮者に任用され、シナゴーグのために完全な礼拝音楽の作曲を行う。彼が合唱、カントール[注 4]、オルガンのために編曲した古代ヘブライの旋律群は偉大な作品であるとみなされており、非常に簡素ながらも深い宗教的心情が込められている。レヴァンドフスキの門下からは多くの優れたカントールが巣立った。彼は老齢・貧窮音楽家協会(Institute for Aged and Indigent Musicians)を設立し、自ら運営して成功に導いた。

レヴァンドフスキは1894年にベルリンでこの世を去った。彼と妻のヘレネ(Helene)はヴァイセンゼー墓地英語版[注 5]に眠っている。墓石には次のような刻印がある。「愛が旋律を不滅にする! Liebe macht das Lied unsterblich!

脚注[編集]

注釈

  1. ^ 訳注:ポズナン大公国ポーゼン州英語版が位置していたプロイセンの行政管区。(Posen
  2. ^ 現在のポーランドヴィエルコポルスカ県ヴゼスニャ群英語版
  3. ^ 訳注:1694年から1696年の設立、ブランデンブルク辺境伯領ベルリンの芸術学校1954年西ドイツにそれぞれアカデミーが出来たのを機に解体され、両アカデミーは現在のベルリン芸術アカデミーとなっている。(Prussian Academy of Arts
  4. ^ 訳注:ユダヤ教において、「祈祷文の独唱部分を歌う役」[1]
  5. ^ 訳注:1880年建設、ベルリン、ヴァイセンゼー英語版のユダヤ人墓地(en)。

出典

  1. ^ プログレッシブ英和中辞典 小学館

参考文献[編集]

 この記事にはパブリックドメインである次の文書本文が含まれる: Singer, Isidore [in 英語]; et al., eds. (1901–1906). The Jewish Encyclopedia. New York: Funk & Wagnalls. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明) ジューイッシュ・エンサイクロペディアの記事は以下の文献を参考にしている。

  • Mendel, Hermann and August Reissmann, editors. Musikalisches Konversations-Lexikon (12 volumes). Berlin, 1870-1873.
  • Champlin, J. D. and W. F. Apthorp, editors. Cyclopedia of Music and Musicians (3 volumes). New York, 1888-90.
  • Riemann, Hugo, editor. Musik-Lexikon (5th edition). Leipzig, 1900.

外部リンク[編集]