ラディスラフ・スロヴァーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラディスラフ・スロヴァーク
生誕 (1909-09-10) 1909年9月10日
出身地 スロベニアの旗 スロベニア ヴェリキー・レヴァーリ
死没 (1999-07-22) 1999年7月22日(89歳没)
学歴 ブラチスラヴァ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン

ラディスラフ・スロヴァークスロベニア語: Ladislav Slovák1909年9月10日 ヴェリキー・レヴァーリ~ 1999年7月22日 ブラチスラヴァ)はスロバキア指揮者

概要[編集]

1909年 ヴェリキー・レヴァーリ生まれ。ブラチスラヴァ音楽院で、はじめオルガンを、後に指揮法を学ぶ。同音楽院卒業後はスロバキア放送に勤務し、合唱団を創設してその指揮を執った。1953年、ブラチスラヴァでヴァーツラフ・ターリヒに指揮法を学んだ後、1954年から1955年にかけて、レニングラードエフゲニー・ムラヴィンスキーアシスタントを務め、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団を指揮している。

帰国後は、1956年から1961年までスロヴァキア放送交響楽団の首席指揮者、1961年から1981年までスロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、1972年から1976年までプラハ交響楽団の首席指揮者を務めた。

主な録音には、ナクソスに録音したショスタコーヴィチ交響曲全集、マルコ・ポーロに録音したモイゼスの交響曲全集などがある。

1999年、ブラチスラヴァで没。

家族・親族[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]


先代
ルドヴィート・ライテル
スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者
1961–1981
次代
リボール・ペシェク
先代
ヴァーツラフ・スメターチェク
プラハ交響楽団首席指揮者
1972–1976
次代
インドジフ・ロハン