ミュールハイム・アム・マイン

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紋章 地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州: ヘッセン州
行政管区: ダルムシュタット行政管区
郡: オッフェンバッハ郡
緯度経度: 北緯50度07分33秒 東経08度49分48秒 / 北緯50.12583度 東経8.83000度 / 50.12583; 8.83000座標: 北緯50度07分33秒 東経08度49分48秒 / 北緯50.12583度 東経8.83000度 / 50.12583; 8.83000
標高: 海抜 103 m
面積: 20.67 km2
人口:

28,902人(2021年12月31日現在) [1]

人口密度: 1,398 人/km2
郵便番号: 63165
市外局番: 06108
ナンバープレート: OF
自治体コード:

06 4 38 008

行政庁舎の住所: Friedensstraße 20
63165 Mühlheim am Main
ウェブサイト: www.muehlheim.de
首長: ダニエル・チブセック (Daniel Tybussek)
郡内の位置
地図
地図

ミュールハイム・アム・マイン (ドイツ語: Mühlheim am Main, ドイツ語発音: [ˈmyːlha‿im][2]) は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州オッフェンバッハ郡の市である。本市はマイン川左岸に位置し、面積は 20.67 km2 である。

地理[編集]

ディーテスハイム地区中心部

位置[編集]

ミュールハイム・アム・マイン市はオッフェンバッハ郡に属す13市町村の一つである。ライン=マイン地域に含まれ、オッフェンバッハ・アム・マインハーナウとの間のマイン川南岸に位置する。歴史上はマインガウに属した。ミュールハイム市内でビーバー川がローダウ川に注ぎ、その後ローダウ川がマイン川に合流する。

隣接する市町村[編集]

ミュールハイム・アム・マインは、北はマイン川を挟んでマインタールと、東はハーナウ(ともにマイン=キンツィヒ郡)、南はオーベルツハウゼンオッフェンバッハ郡)、西は郡独立市のオッフェンバッハ・アム・マインと境を接している。

市の構成[編集]

ミュールハイム・アム・マインは、ミュールハイム、ディーテスハイム、レンマーシュピールの 3市区からなる。ミュールハイム市区には、旧中心市街の他、マルクトヴァルト住宅地とローテ・ヴァルテ住宅地が含まれる。

市内には、かつてマイエルスハイムという集落があったが、現在は廃村となっている。

ブリュッケン・ミューレ

地名[編集]

ミュールハイム (Mühlheim) という地名は、かつてローダウ川やビーバー川の畔に10基の水車 (Mühle) があったことに由来する。現在は、ブリュッケン・ミューレ 1基だけ遺っている。この水車小屋は、聖霊降臨祭の月曜日(ドイツ水車の日)に見学することができる。

歴史[編集]

中世[編集]

皇帝ルートヴィヒ敬虔帝は、815年にウンターミュールハイム全域をオーバーミュールハイム(現在はゼーリゲンシュタット市内)とともに、当時フラク王国マインガウにいたアインハルトに贈った。ミュールハイムと、かつては独立していたディーテスハイムおよびレンマーシュピールはビーバーマルク(マインガウ内の小地区)に属し、周辺の森はドライアイヒ御狩場の一部となっていた。

ミュールハイムの教会は、中世においては長い間、ビュルゲル、オッフェンバッハ、ビーバー、ホイゼンシュタム、ディーテスハイム、レンマーシュピールの教会の母教会であった。

その後ミュールハイムはアムト・シュタインハイム(アムトは中世の行政単位)に属した。このアムトは、初めエップシュタイン家の所領であったが、1371年からは借金の担保としてカッツェンアインボーゲン伯家とハーナウ家が半分ずつ領していた。1393年からはクロンベルク家が全域を担保として領した。1425年にゴットフリート・フォン・エップシュタインはアムト・シュタインハイムをマインツ選帝侯に売却した。

近世以降[編集]

三十年戦争の間、1631年から1634年まで、グスタフ2世アドルフは、このアムトを戦利品として接収し、同盟関係にあったハーナウ家のハインリヒ・ルートヴィヒ・フォン・ハーナウ=ミュンツェンベルク(1609年 - 1632年)とヤーコプ・ヨハン・フォン・ハーナウ=ミュンツェンベルク(1612年 - 1636年)とに与えた[3]。両伯の死後ヴェストファーレン条約により、ミュールハイムは再びマインツ選帝侯領となり、この体制が1803年まで続いた。この年の世俗化以後、この地域はヘッセン=ダルムシュタット方伯、後のヘッセン大公の所領となった。

1819年、ビーバーマルクの分割後ミュールハイムはマルクヴァルトを獲得した。1873年、新たに開通した鉄道フランクフルト - ベーブラ線(現キンツィヒ鉄道)の駅がミュールハイムに造られた。

ミュールハイムにはユダヤ人コミュニティがあったが、国家社会主義者テロ行為により消滅した。

1939年4月1日、国家社会主義的行政改革に伴ってミュールハイムはディーテスハイムと合併してミュールハイム・アム・マインとして都市権を与えられた[4]1949年からミュールハイム・アム・マインはヘッセン州市町村連合(旧ヘッセン自治体会議)の本部所在地となった。1977年1月1日、ヘッセン州の地域再編に伴って、それまで独立した町村であったレンマーシュピールが条例に基づいて合併した[5]

宗教[編集]

ミュールハイムの聖マルクス教会

行政[編集]

ミュールハイム・アム・マイン市庁舎

市議会[編集]

ミュールハイム・アム・マインの市議会は、45議席からなる[6]

紋章[編集]

ミュールハイム・アム・マインは、1948年から固有の紋章を有している。紋章は、青地に水車の輪が描かれており、その上部に金の蘂を持つ銀の花 (Immertreu) が3輪配されている。水車の輪は、10基の水車に至る町の歴史を表し、3輪の花は最初の農場を象徴し、青い背景は水際に位置するその立地を想起させるものである。

姉妹都市[編集]

2009年以降ミュールハイム・アム・マインは、サン=プリエストおよび ヌナブルキナファソ)と三者相互姉妹都市協定を結んだ。

文化と見所[編集]

演劇[編集]

風刺劇の劇団「ゲルダス・クライネ・ヴェルトビューネ」は 30年以上前からミュールハイムの文化生活に確固として重きをなしており、市外でもよく知られ、愛されている。公演は、しばしば1か月前から売り切れとなる。

かつてシュタール=シャンツ社の研修所だった建物を改造した文化ホール「シャンツ」では、「文化工房アイゲンアート」が1998年から毎週、演劇、演芸、演奏会を開催している。

博物館[編集]

ミュールハイムには私立博物館がある。この他、民営のコレクション・ギャラリーもある。ミュールハイムの企業ハンス=ギュンター・ツァハが運営するロールス・ロイス博物館もその一つである。

建築[編集]

ミュールハイムの水道塔は、ミュールハイム駅の近くに建つ古い玄武岩の建物で、広い範囲から見ることができるミュールハイムの象徴的建造物である。この水道塔は現在も使用されている。

ディーテスハイムの旧石切場

自然文化財[編集]

自然保護地区ディーテスハイマー・シュタインブリューヒェ(直訳すると「ディーテスハイムの石切場」)は、ライン=マイン地域で類例を見ない自然環境である。ここは、ディーテスハイム地区の旧玄武岩採石場周辺地域で、玄武岩の採石が行われなくなった後、再自然化し立ち入りができるよう公開された。特に印象深いのは、フォーゲルスベルク湖沿いの玄武岩の山腹である。

ツーリズム[編集]

ヘッセン・アップルワイン・果樹園ルートやマイン自転車道が市内を通っている。また、ビーバー川とローダウ川に沿ってミューレン遊歩道が通っている。

スポーツ[編集]

様々な球技スポーツ施設の他に、レンマーシュピール市区に屋内プールと屋外プールがある。マイン川ではボート競技も可能である。また、ミュールハイム=ディーテスハイム射撃会では射撃競技を行うことができる。この他にディーテスハイム、ミュールハイム、レンマーシュピールの各市区に、SpVggディーテスハイムやキッカーズ・ヴィクトリア・ミュールハイムをはじめ、多くのテニス、卓球、サッカーなどのクラブが存在している。

年中行事[編集]

ディーテスハイム市区とミュールハイム市区ではバラの月曜日に、レンマーシュピール市区では謝肉祭の金曜日に行われるカーニバルのパレードにはこの地方全域から多くの見物客が訪れる。7月末に旧採石場で文化サークル・アーティフィシャル・ファミリーによる人気の音楽祭が開催される。毎年8月15日の週の週末に開催されるディーテスハイムの教会開基祭もこの地方では人気があり、多くの人々が訪れる。ミュールハイム市区の旧市街祭やクリスマスマーケットも人気である。

経済と社会資本[編集]

マイン川のミュールハイム堰

1970年代後半までミュールハイムはオッフェンバッハ郡の重要な工業都市であった。特にディーテスハイム採石場での玄武岩採掘、化学産業(レオンハルト染色場やゴム加工業)、砂利採掘、皮革加工業、金属産業、電子産業などが重要な経済因子であった。1970年代末以降、ミュールハイムには多彩な中規模企業が創設され、現在ではこの町に大企業はほとんど見られない。

交通[編集]

オッフェンバッハ郡の他の市町村と同様に、ミュールハイム交通渋滞と騒音に悩まされている。オッフェンバッハとハーナウとの間に位置する事から連邦道 B43号線は特に渋滞する。この連邦道とほぼ並行して運行本数の多い鉄道フランクフルト - フルダ線が走っている。また、ミュールハイムはフランクフルト空港の離着陸緩衝地帯に位置している。

ミュールハイムは1995年から Sバーンの2つの路線が利用可能となった。ミュールハイム駅の他にディーテスハイムに新しい駅が設けられた。両駅にはヴィースバーデン - フランクフルト - ハーナウ線(S8 / S9号線)が発着し、これを利用するとオッフェンバッハ中心部には約 5 分、フランクフルト中心部には約 20 分、フランクフルト空港へは約 35 分で到着できる。Sバーンの開通に伴って市バス網の整備が行われ、これによりレンマーシュピール市区が公共近郊交通に接続した。

この他に、オッフェンバッハ・バス路線 103、107、120系統がミュールハイムを通って運行している。

メディア[編集]

日刊紙「オッフェンバッハ=ポスト」が地元メディアである。日刊紙を補足するものとして、人物や事件についてまとめた「ディー・ロカーレ・ツァイトゥング・フュア・ミュールハイム、ディーテスハイム・ウント・レンマーシュピール」が月ごとに刊行されている。この他に、多くの広報紙がある。ミュールハイムに関する詳細は、週刊の「ドライアイヒ=ツァイトゥング」と「シュタットポスト・ミュールハイム」にも掲載される。「フランクフルター・ルントシャウ」は、ローカル面でわずかながらミュールハイムに関するニュースを載せている。これに対して「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」ではライン=マイン=ツァイトゥング面でミュールハイムに関する記事をしばしば掲載している。

教育[編集]

ミュールハイムには以下の公共教育機関がある。

  • フリードリヒ=エーバート=ギムナジウム(ミュールハイム)
  • フリードリヒ=エーバート=シューレ(本課程・実科学校、ミュールハイム)
  • ゲーテシューレ(養護クラスを有する基礎課程学校、ミュールハイム)
  • ヨハン=ハインリヒ=ヴィヒェルン=シューレ(学習補助学校、ディーテスハイム)
  • マルクヴァルトシューレ(基礎課程学校、マルクヴァルト住宅地)
  • ローテ=ヴァルテ=シューレ(基礎課程学校、ローテ・ヴァルテ住宅地)
  • ブリューダー=グリム=シューレ(基礎課程学校、レンマーシュピール)
  • ゲシュヴィスター=ショル=シューレ(基礎課程学校、ディーテスハイム)
  • モンテッソーリ=シューレ・ミュールハイム(統合型総合学校、駅の南)

2006年からオッフェンバッハ郡で最初のモンテッソーリ教育の学校がミュールハイムに創立した。2012年に州の教育省は10学年に拡大することを許可した。民間が運営するこの学校には、2012年10月現在、1学年から7学年までの合計約 85人の生徒が、年齢混合の4クラスで学んでいる。

さらに警察専門学校であるヘッセン州立警察行政大学(旧行政専門大学)の分校やヘッセン警察アカデミーの警察犬専門施設がミュールハイム・アム・マインにある。

また、ミュールハイムには市民大学や音楽学校もある。

人物[編集]

ゆかりの人物[編集]

  • パウル・ヒンデミット(1895年 - 1963年)作曲家。5歳から5年間ミュールハイムに住み、基礎課程学校で学び、初等音楽教育を受けた。

引用[編集]

  1. ^ Hessisches Statistisches Landesamt: Bevölkerung in Hessen am 31.12.2021 nach Gemeinden
  2. ^ Max Mangold, ed (2005). Duden, Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverl. p. 567. ISBN 978-3-411-04066-7 
  3. ^ Richard Wille: Hanau im Dreißigjährigen Krieg. Hanau 1886, pp. 91, 593 - .
  4. ^ Erlaß des Reichsstatthalters in Hessen über den Zusammenschluß der Gemeinden Mühlheim und Dietesheim zu der Stadt Mühlheim am Main vom 28. Februar 1939. (Hess. Reg.Bl. pp. 26-27)
  5. ^ Gesetz zur Neugliederung des Landkreises Offenbach vom 26. Juni 1974 In: GVBl.I 1974/22(2012年12月28日 閲覧)
  6. ^ 2011年3月27日の市議会議員選挙結果、ヘッセン州統計局(2012年12月28日 閲覧)

外部リンク[編集]