ミッキー・ブラントリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミッキー・ブラントリー
Mickey Brantley
2006年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州キャッツキル英語版
生年月日 (1961-06-17) 1961年6月17日(62歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1983年 MLBドラフト2巡目でシアトル・マリナーズから指名
初出場 MLB / 1986年8月9日
NPB / 1993年7月17日
最終出場 MLB / 1989年6月1日
NPB / 1993年8月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

マイケル・チャールズ・ブラントリーMichael Charles "Mickey" Brantley , 1961年6月17日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州キャッツキル英語版出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

ヒューストン・アストロズに所属するマイケル・ブラントリーは息子。

来歴・人物[編集]

1982年MLBドラフトシンシナティ・レッズから8巡目(全体207位)で指名されたが入団せず。1983年MLBドラフトシアトル・マリナーズから2巡目(全体35位)で指名され入団。

1986年はAAA級カルガリー・キャノンズ英語版で30本塁打を打ち、8月にメジャー初昇格。27試合に出場した[1]

1987年は92試合に出場し、規定不足ながら打率.302、14本塁打、54打点、13盗塁の成績を残した[1]

1988年は149試合に出場し、初の規定打席に到達[2]。打率.263、15本塁打、56打点、18盗塁の成績を残した[1]

1989年は一転して34試合の出場にとどまった[1]

1990年は開幕からメジャーに昇格できず、7月にミルウォーキー・ブルワーズに移籍したが、移籍後もメジャーには昇格できなかった。

1991年もブルワーズ傘下AAA級でプレー。また秋季キャンプで読売ジャイアンツの入団テストを受けるも不合格となった[2]

1992年シンシナティ・レッズ傘下AAA級とヒューストン・アストロズ傘下AAA級でプレー。

1993年サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下AAA級フェニックス・ファイアーバーズ英語版で開幕から打ちまくり、打率.350を超える高打率をマーク。6月28日、ロイド・モスビージェシー・バーフィールドの両外国人がケガや不振のため、テコ入れ策として新外国人を探していた読売ジャイアンツが緊急獲得し入団。しかし、変化球を多投する日本野球に適応できず、モスビーやバーフィールド以上に成績は上がらなかったため、結局バーフィールドの復帰と同時に2軍に降格[2]。わずか13試合の出場で、打率.182、本塁打0本、長打は二塁打と三塁打が1本ずつという結果に終わり、オフにモスビー、バーフィールドと揃って解雇された[2]。この年限りで現役を引退。

1994年からサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のマイナー球団で指導者としてのキャリアをスタート。1996年からはニューヨーク・メッツ傘下に移り、1999年にはメッツで、2005年から2007年にはトロント・ブルージェイズでコーチを務めた[2]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1986 SEA 27 113 102 12 20 3 2 3 36 7 1 1 1 0 10 0 0 21 3 .196 .268 .353 .621
1987 92 378 351 52 106 23 2 14 175 54 13 4 0 3 24 0 0 44 2 .302 .344 .499 .842
1988 149 614 577 76 152 25 4 15 230 56 18 7 5 4 26 2 0 64 12 .263 .293 .399 .692
1989 34 117 108 14 17 5 0 0 22 8 2 2 1 1 7 0 0 7 1 .157 .207 .204 .411
1993 巨人 13 47 44 3 8 1 1 0 11 4 0 0 0 0 2 0 1 5 1 .182 .234 .250 .484
MLB:4年 302 1222 1138 154 295 56 8 32 463 125 34 14 7 8 67 2 0 136 18 .259 .298 .407 .705
NPB:1年 13 47 44 3 8 1 1 0 11 4 0 0 0 0 2 0 1 5 1 .182 .234 .250 .484

記録[編集]

NPB
  • 初出場:1993年7月17日、対ヤクルトスワローズ14回戦(東京ドーム)、6回裏に橋本清の代打、石井一久の前に凡打
  • 初先発出場:1993年7月17日、対ヤクルトスワローズ15回戦(東京ドーム)7番・右翼手で出場
  • 初安打:同上、荒木大輔から単打
  • 初打点 :1993年7月28日、対ヤクルトスワローズ17回戦(神宮球場)、1回表に石井一久から適時三塁打

背番号[編集]

  • 14(1986年 - 1989年, 2005年 - 2007年)
  • 93(1993年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d Mickey Brantley Minor & Japanese Leagues Statistics & History”. Baseball-Reference.com. 2021年10月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e 八木遊 (2021年6月27日). “ゲレロやタティスだけじゃない!MLBで躍動する“二世選手” 打率トップは元巨人の父を持つベテラン”. BASEBALL KING. 2021年10月16日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]