マイク・バーンズ

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マイク・バーンズ
名前
本名 マイケル・トーマス・バーンズ
Michael Thomas Burns
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1970-09-14) 1970年9月14日(53歳)
出身地 マールボロ
身長 175cm
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995 デンマークの旗ヴィボーFF 15 (0)
1996-2000 アメリカ合衆国の旗 ニューイングランド・レボリューション 108 (3)
2000 アメリカ合衆国の旗 サンノゼ・アースクエイクス 18 (0)
2001-2002 アメリカ合衆国の旗 カンザスシティー・ウィザーズ 43 (0)
代表歴
1992-1998 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 75 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マイク・バーンズ(Michael Thomas Burns、1970年9月14日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州マルボーロ出身の元サッカー選手である。現役時代はデンマークヴィボーFFMLSの3クラブ、そしてアメリカ代表として活躍した。

現在、MLSのニューイングランド・レボリューションGM職に就いている[1]

選手経歴[編集]

ユース年代[編集]

マサチューセッツ州マールボロで生まれ育ったバーンズは、6歳の時に、地域のリクリエーションリーグでサッカーを始めたが、クラブチームには参加しなかった。マールボロ高校に進学したとき、サッカー部に入り、1987年に年間優秀選手として表彰された。

高校生活を終えたバーンズは、1988年から1991年の間、ハートウィックカレッジ英語版に籍を置いた[2]カレッジを卒業した彼のもとには、国内からいくつかのプロ契約の誘いがあったが、1992年の夏季五輪のため、アマチュアのアメリカ五輪代表チームでプレーすることを選んだ。それまでに、彼は1987年のU-16ワールドカップ、1989年のU-20ワールドカップにも参加し、特にU-20の大会では世界4位となることができた。

プロキャリア[編集]

1995年にMLSは拡大路線を始め、リーグに新しい2クラブを加えることとなった。1996年シーズンの新規選手分配にあたり、バーンズはニューイングランド・レボリューションに割り当てられた。それに先立って、1995年8月、MLSデンマークのクラブ、ヴィボーFFへ彼をローン移籍させることにした。レボリューションはバーンズの保有権を持っていたため、翌年には彼はレボリューションに戻り、プレーをした。1998年、MLSオールスターゲームに選出された。翌年1999年のオフシーズンには、欧州でのプレーを目指し、渡欧してユトレヒトボルトンハーツといったクラブの門を叩いたが、どのクラブも彼に興味を示すことはなく、結局はレボリューションでのプレーを選択するに至った。2000年6月、同じクラブのダニエル・カリッチマンと共に、サンノゼ・アースクエイクスマウリシオ・ライト英語版とのトレードが成立した。バーンズは同年いっぱいでアースクエイクスとの契約を終え、2002年に行われるMLSスーパードラフト英語版での便宜を図る目的も手伝って、2001年3月のトレードでカンザスシティー・ウィザーズにトレードされた。2シーズンに渡り、ウィザーズでプレーし、2002年には再びMLSオールスターゲームに選ばれた。2002年シーズンの終わりに、彼はプロ選手としてのキャリアに幕を引くことを発表した。

代表[編集]

バーンズは、どの年代においても能力を発揮した。1987年のU-17ワールドカップ、1989年のワールドユース、1992年の五輪競技、そしてFIFAワールドカップでは1994年ベンチを温めていたものの、1998年のワールドカップでは出場している。

引退後[編集]

2005年4月10日、バーンズはレボリューションのダイレクターに着任した[3]。選手人事職に昇任する2008年まで職を全うし、2011年11月9日、GMに昇級した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b [1]
  2. ^ Pave, Marvin (1999-08-29), Burns has thrown himself into soccer As a child and pro, the game's his life, Boston Globe 
  3. ^ アーカイブされたコピー”. 2007年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年4月13日閲覧。

外部リンク[編集]