フクイサウルス

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フクイサウルス
生息年代: 131.0–125.0 Ma
福井県立恐竜博物館に展示されている、全身骨格の復元ディスプレイです。
全身骨格復元ディスプレイ(福井県立恐竜博物館
地質時代
オーテリビアン後期 - バレミアン [1]
(約1億3100万年前[注 1] - 約1億2500万年前)
中生代白亜紀前期〈前期白亜紀〉の半ば)
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 爬虫綱 Reptilia
亜綱 : 双弓亜綱 Diapsida
下綱 : 主竜形下綱 Archosauromorpha
上目 : 恐竜上目 Dinosauria
: 鳥盤目 Ornithischia
亜目 : 鳥脚亜目 Ornithopoda
階級なし : イグアノドン類 Iguanodontia
階級なし : ドリオモルファ Dryomorpha
階級なし : アンキロポレクシア Ankylopollexia
スティラコステルナ Styracosterna
上科 : (未定のクレード
: (未定のクレード)
: フクイサウルス属 Fukuisaurus
学名
Fukuisaurus tetoriensis
Kobayashi et Azuma, 2003 [2]
和名
フクイサウルス
  • Fukuisaurus tetoriensis
    Kobayashi et Azuma, 2003 [2]

フクイサウルス学名Fukuisaurus)は、中生代白亜紀前期(前期白亜紀)の半ばにあたるオーテリビアン後期からバレミアンにかけての時代[1]アジア大陸の中緯度・東岸部[注 2]に棲息していた植物食恐竜鳥盤目鳥脚亜目イグアノドン類アンキロポレクシアに分類される。tetoriensis の1(テトリエンシス種[4])のみが知られている。

1989年平成元年)、日本福井県勝山市にある手取層群北谷層英語版地質時代:125.0–115.0 Ma)から産出した[2]。日本での記載前からの別名で「フクイリュウ福井竜)」ともいう。

名称[編集]

学名Fukuisaurus tetoriensis と命名され、テイラーアンドフランシス学術雑誌Journal of Vertebrate Paleontology英語版』の2003年4月11日刊行号に記載された[2]。これを受けて標準和名日本語慣習読みで「フクイサウルス・テトリエンシス」になった。

学名[編集]

Fukui-saurus[編集]

属名 Fukuisaurus の "Fukui" は、産出地が属する県の名でもある地名「福井ふくい)」から採っている。"saurus" のほうは、「トカゲ」を意味する古代ギリシア語普通名詞 "σαῦρος(サウロス)" に由来する分類学新ラテン語名詞接尾辞 "-saurus(サウルス)" [5]であり、「爬虫類」を意味するが、恐竜に用いられることが多いため、「恐竜」と意訳して[5]差し支えない。

tetori-ensis[編集]

種小名 tetoriensis の "tetori" は、本種化石を産出した北谷層が属する「手取層群てとり そうぐん)」から名を採っている。これを「…産の」を意味するラテン語接尾辞 "-ēnsis(エーンシス)" [6]組み合わせた混種語が種小名で、ここでの語意は「手取産の」である。

別名[編集]

発見された当時から記載されるまでの間、本種の日本語通称は「フクイリュウ福井竜)」であった。本種が新属新種として学名を与えられ、これに伴って標準和名「フクイサウルス」が成立してからは、「フクイリュウ(福井竜)」は日本における別名/異名(標準和名以外の和名)となった(シノニム分類学上の異名〉とは異なる)。

福井龍[編集]

中国語では "Fukuisaurus'" を「福井龍簡体字: 福井龙)」、Fukuisaurus tetoriensis を「手取福井龍簡体字: 手取福井龙)」と漢訳している。

歴史[編集]

1989年昭和64年/平成元年)から始まった恐竜化石調査で発見された[4]。比較的保存状態の良い頭蓋骨が採取されている[4]

1994年(平成6年)秋には全身骨格の復元が行われており、これは恐竜としては日本初の例となった[7]

2003年(平成15年)に新属新種の恐竜として命名・記載された[4]

科学的知見[編集]

ホロタイプ(正基準標本)は FPDM-V-40-1 と FPDM-V-40-2 で[8]、前者は右上顎骨 (A right maxilla)、後者は右頬骨 (A right jugal) [8]。パラタイプ(従基準標本)と合わせで総計16点で[8]、多くは頭蓋骨の構成物である。

分類[編集]

系統分類上での本種の位置については、亜目・下目・小目あたりに相当する階級未定の上位クレード(上位系統群)はおおよそ特定されているが、上科・科・亜科のクレードについては特定されていない。原記載論文も、一説にはイグアノドン上科 (Iguanodontidea) イグアノドン科 (Iguanodontidaeに分類されると言及している[9]が、はっきりしたことは分からない。大きくはイグアノドン類の一種であり、アンキロポレクシアのクレードに属しているが[2]、その下位の進化型クレードであるハドロサウルス形類 (Hadrosauriformes) には含まれない[2]

形質[編集]

全長 約4.7 m[4]の特徴はモンゴルで発見されたアルティリヌスと似ている[2][4]。頑丈な上顎骨の構造(頑丈な上顎鋤骨関節[2])はフクイサウルス特有のものである[4]

関係者[編集]

主要な研究者
(1971- )  日本人層序学者古生物学者。本種の記載者の一人(筆頭著者)。記載当時(2003年)は福井県立恐竜博物館所属研究員であった。北海道大学総合博物館教授、ほか。日本古生物学会会員。カムイサウルスヤマトサウルスの研究でも有名。
(1949- )  日本人。古生物学者。本種の記載者の一人(共著者)。日本における恐竜研究の第一人者。記載当時(2003年)は福井県立恐竜博物館館長(※その後、特別館長に就任している。)。ほか。

記載論文[編集]

参考文献[編集]

雑誌、広報、論文、ほか
  • ふくいミュージアム No.26」(PDF)『ふくいミュージアム』No.26、福井県立恐竜博物館、1994年10月30日。 
    • 川越光洋「フクイリュウ全身骨格復元はじまる」< 恐竜化石発掘ニュース6頁。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ オーテリビアンを前後期に分ける指標が無いため、年代区分 132.6 – 129.4 Ma の中間値である 131.0 Ma を本項での数値とした。
  2. ^ 現在とは様相が異なる"当時のアジア大陸"の、その中核部分である安定地塊シナ地塊英語版」の東岸部[3]

出典[編集]

  1. ^ a b jPaleoDB, 検索結果より FPDM-V-40-1 の詳細情報:"年代(階) LATE HAUTERIVIAN TO BARREMIAN"
  2. ^ a b c d e f g h Kobayashi et Azuma, 2003.
  3. ^ DPF.
  4. ^ a b c d e f g FPDM-Db.
  5. ^ a b -saurus” (English). Online Etymology Dictionary. 2021年5月10日閲覧。
  6. ^ -ensis”. 英辞郎 on the WEB. アルク. 2021年5月10日閲覧。
  7. ^ 川越 (1994), p. 6.
  8. ^ a b c jPaleoDB.
  9. ^ Kobayashi et Azuma, 2003, "(...), referred to as Iguanodontidae by some.".

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

当事者発信
関係者発信
  • 標本詳細検索”. jPaleoDB(ジェイ・パレオ・ディービー:日本古生物標本横断データベース). 2021年5月12日閲覧。
※キーワード「Fukuisaurus」で検索。
他者発信
※中生代の北半球を描いたCG動画を本種の棲息した時代のものとして表示しているが、実際にはずっと後の時代である新生代初期から中期にかけての様子になっている(日本列島がすでに形成され始めており、日本海は湖として一旦できあがっている。)ので注意。前期白亜紀でこれは考えられない。ただ、世界の大陸の配置は大きくは変わらないことから、一応の参考にはなる。