ビック・ダルチニアン

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ビック・ダルチニアン
基本情報
本名 Vakhtang Darchinyan
通称 Raging Bull(怒れる雄牛)
階級 スーパーバンタム級
身長 166cm
リーチ 164cm
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
誕生日 (1976-01-07) 1976年1月7日(48歳)
出身地 アルメニア・ソビエト社会主義共和国ヴァナゾル
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 53
勝ち 43
KO勝ち 32
敗け 9
引き分け 1
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ビック・ダルチニアン(Vic Darchinyan, アルメニア語: Վախթանգ Դարչինյան, 1976年1月7日 - )は、オーストラリア男性プロボクサー。元IBF世界フライ級王者。元WBAWBC・IBF世界スーパーフライ級王者[1]アルメニアヴァナゾル出身。アルメニア人初の世界王者。変則的なリズムを刻みながら相手を惑わし殴りかかる獰猛なスタイルから「レイジング・ブル(怒れる雄牛)」の異名を持つ[2]

来歴[編集]

父親のルーベン・ダルチニアンはアルメニアのレスリングオリンピック代表コーチ[3]。5歳頃からボクシングの世界王者になることが夢であったが、アルメニアにプロボクシング協会が無かったことから、父親の助言もありレスリングで格闘技のキャリアをスタートさせた。2004年7月7日にオーストラリアの市民権を取得している。

幼少・アマチュア時代[編集]

8歳でボクシングを始める。ジュニアアマチュアボクシングで実力を発揮し始め、48kg級で12歳から16歳までアルメニアのチャンピオンに君臨し続けた。

1997年ハンガリーブダペストで開催された1997年世界ボクシング選手権大会にフライ級(51kg)で出場するも準々決勝で敗退した[4]

1999年、アメリカのヒューストンで開催された1999年世界ボクシング選手権大会にフライ級(51kg)で出場するも2回戦で敗退した[5]

2000年アルメニア代表としてシドニーオリンピックボクシングフライ級に出場し、準々決勝まで進んだ。

アマチュア時代の戦績は158勝18敗。

プロボクサー時代[編集]

フライ級[編集]

2000年11月3日、オーストラリアでプロデビュー。

2001年10月18日、オーストラリアフライ級王座を獲得した。なおこの頃からオーストラリア初の3階級制覇王者でもあるジェフ・フェネックの指導を受け、10年間コンビを組むことになる。

2002年6月14日、ジュニア・ファザン・アリ(フィジー)を6回TKOで下し、OBAオセアニアバンタム級王座を獲得した。

2002年8月2日、IBFパンパシフィックフライ級王座を獲得。その後も勝利を積み重ねていき同王座は3度防衛した。

2003年12月12日、元WBC世界ミニマム級王者で元WBC世界ライトフライ級暫定王者ワンディー・シンワンチャーとIBF世界フライ級挑戦者決定戦を行い、5回KO勝利で指名挑戦権を獲得した。

2004年12月16日、アメリカ合衆国フロリダ州ハリウッドハードロック・ホテル・アンド・カジノでIBF世界フライ級王者イレーネ・パチェココロンビア)と対戦し11回TKO勝ちで王座を獲得した。

2005年3月27日、ニューサウスウェールズ州シドニーホームブッシュ・ベイ地区のシドニー・オリンピック公園内にあるステート・スポーツ・センターIBO世界フライ級王者ムズキシ・シカリ南アフリカ)と対戦し、8回TKO勝利でIBF王座の初防衛とIBO王座獲得に成功した。

2005年8月24日、オーストラリアニューサウスウェールズ州シドニーのシドニー・エンターテイメント・センターにてハイル・ヒメネス(コロンビア)と対戦し、5回TKO勝利でIBFは2度目、IBOは初防衛に成功した。

2006年3月3日、カリフォルニア州サンタイネズのチュマッシュ・カジノで同級3位のディオサダド・ガビ(フィリピン)と対戦し、8回TKO勝ちでIBFは3度目、IBOは2度目の防衛に成功した。

2006年6月3日、ネバダ州ラスベガストーマス&マック・センターでルイス・マルドナド(メキシコ)と対戦し、8回TKO勝ちでIBFは4度目、IBOは3度目の防衛に成功した。

2006年10月7日、ネバダ州ラスベガスでグレン・ドネア(フィリピン)に6回1分27秒3-0(3者とも60-53)の負傷判定勝ちを収めIBFは5度目、IBOは4度目の防衛に成功した。

2007年3月3日、元IBF世界ライトフライ級王者のホセ・ビクトル・ブルゴス(メキシコ)と対戦し、12回TKO勝ちでIBFは6度目、IBOは5度目の防衛に成功した。試合後にブルゴスは脳の出血が見つかり頭開手術を受けボクシングから引退した。

2007年7月7日、コネチカット州ノニト・ドネア(フィリピン)と対戦し、プロ初黒星となる5回1分38秒TKO負けを喫しIBF王座の7度目の防衛とIBO王座の6度目の防衛に失敗、IBF・IBO王座からも陥落した。

スーパーフライ級[編集]

2007年10月20日、スーパーフライ級に転向しての再起戦としてフェデリコ・カツベイ(フィリピン)とIBO世界スーパーフライ級王座決定戦並びにIBFオーストラリアスーパーフライ級王座決定戦を行い、12回2分3秒TKO勝ちを収めたため王座を獲得し、IBO王座で2階級制覇に成功と共にIBFオーストラリア王座を獲得し再起に成功した。

2008年8月2日、ワシントンD.C.タコマのエメラルドクイーンホテル&カジノでIBF世界スーパーフライ級王者ディミトリー・キリロフロシア)に挑戦し、終始荒々しい攻めでペースを支配していき5回に2度目のダウンを奪った所で相手が起き上がれず試合がストップ5回KO勝ちで2階級制覇に成功した。

2008年11月1日、カリフォルニア州カーソンホーム・デポ・センターWBA・WBC世界スーパーフライ級王者のクリスチャン・ミハレス(メキシコ)と王座統一戦で対戦。老獪なテクニックが持ち味のミハレスから初回終了間際に右ストレートでダウンを奪うと全く寄せ付けず、9回終了時にコンビネーションでダウンを奪うと、ミハレスは失神しレフェリーがカウントを途中でストップし9回終了時KO勝ちを収め三団体王座統一に成功した[6]

2009年2月7日、カリフォルニア州アナハイムホンダ・センターでWBA世界スーパーフライ級暫定王者ホルヘ・アルセ(メキシコ)と対戦し、初回から激しい打撃戦になりアルセに猛攻。その後有効打でカットしたアルセの右目尻の傷が悪化してドクターストップがかかり11回終了時棄権。WBA王座は王座統一による初防衛、WBC王座は初防衛、IBF王座2度目の防衛に成功した。

2009年7月11日、フロリダ州サンライズバンクアトランティック・センターにて1階級上のIBF世界バンタム級王者ジョゼフ・アグベコガーナ)に挑戦するも、0-3の判定負けを喫し、3階級制覇に失敗した[7]。この試合の前、WBCを通じて長谷川穂積へ対戦要求し、長谷川陣営も受けて立つ意向だったが、敗戦により白紙になった。

2009年7月28日、IBF世界スーパーフライ級王座を返上。

2009年12月12日、カリフォルニア州でWBC世界スーパーフライ級暫定王者のトマス・ロハス(メキシコ)と対戦し、2回コンビネーションで痛烈なダウンを奪うとミハレス戦に続いてロハスを失神させてカウントを途中でストップとなる2回2分54秒KO勝ちを収めWBA王座は2度目、WBC王座は王座統一による2度目の防衛に成功した[8]

2010年3月6日、カリフォルニア州ランチョミラージュアグアカリエンテカジノリゾートスパにてロドリゴ・ゲレロ(メキシコ)と対戦し、12回3-0(120-108、118-110、117-111)の判定勝ちを収めWBA・WBC王座の3度目の防衛に成功した。

バンタム級[編集]

2010年5月20日、オーストラリアニューサウスウェールズ州パラマタのリーグクラブにてエリック・バルセロナ(フィリピン)と空位のIBO世界バンタム級王座決定戦を行い、3-0の判定勝ちで王座を獲得。IBO3階級制覇に成功した。ただし、WBA・WBC・IBF・WBOの主要4大団体で世界戴冠を果たしての3階級制覇程の偉業ではない。

2010年8月、WBCから名誉王座認定を受けた。

2010年9月、WBA世界スーパーフライ級スーパー王座を返上した。

2010年12月11日、アブネル・マレス、ジョゼフ・アグベコ、ヨニー・ペレスと共に出場したSuper Six World Boxing Classicのバンタム級版としてShowtimeが主催するトーナメントであるバンタム級スーパー4の準決勝でWBC世界バンタム級シルバー王座決定戦とダルチニアンの持つタイトルを賭けてマレスと対戦し、12回1-2(115-111、112-113、111-115)の判定負けでIBO王座初防衛に失敗し王座から陥落、WBCシルバー王座獲得に失敗し準決勝で敗退した。

2011年4月23日、バンタム級スーパー4の3位決定戦を兼ねたIBO世界バンタム級王座決定戦で元IBF世界バンタム級王者ヨニー・ペレス(コロンビア)と行い、5回1分7秒、3-0(3者とも50-44)の負傷判定勝ちでIBO王座返り咲きに成功し、ダルチニアンがバンタム級スーパー4の3位となった[9]

2011年9月3日、母国アルメニアで初めての試合、エレバンでエバンス・ムバンバ(南アフリカ)と対戦し、3-0の判定勝ちで王座防衛に成功し故郷凱旋試合を白星で飾った。

2011年12月3日、カリフォルニア州アナハイムのホンダセンターでWBA世界バンタム級スーパー王者アンセルモ・モレノパナマ)と対戦し12回0-3(111-116、110-117、107-120)と最大13点差がついた判定負けという完敗を喫しWBAスーパー王座獲得での3階級制覇に失敗、IBO王座から陥落した[10]。この後、2012年1月からは、約2年ぶりに復帰したオーストラリア人トレーナー、ジョニー・ルイス(これまでにジェフ・フェネックコンスタンチン・チューを世界王座へ導いた)の指導を受け、パワー頼みのKOを意識した戦い方を我慢し、本来のジャブを中心にコンビネーションを組み立てる基本的なボクシングスタイルへ戻すトレーニングに専念した[11]

2012年4月6日、東京国際フォーラムでWBC世界バンタム級王者山中慎介(日本/帝拳)に挑戦したが、序盤こそ互角の攻防を繰り広げたものの中盤以降は王者のアウトボクシングに翻弄された末に、0-3の判定負けでまたも3階級制覇に失敗した[12]。試合後アウトボクシングをした王者に対し不満を漏らした[13]

スーパーバンタム級[編集]

2012年9月29日、コネチカット州レッドヤード市フォックスウッズ・リゾート・カジノ内MGMグランド・アット・フォックスウッズで、WBA世界フェザー級4位で16戦無敗のホープルイス・オルランド・デル・バーレプエルトリコ)とNABF北米スーパーバンタム級王座決定戦を行い、10回3-0(2者が99-91、96-94)の判定勝ちで王座獲得に成功した[14]。ダルチニアンはこの試合がHBOデビュー戦だった。

その後、ダニエル・ポンセ・デ・レオンアブネル・マレスを擁する大口マネージャでもあるフランク・エスピノーサと契約を交わし、ボブ・アラムのトップランクと契約を交わした[15]

2013年5月11日、テキサス州ラレドユニ・トレード・スタジアムでハビエル・ガジョとスーパーバンタム級契約10回戦を行い、3年5か月振りのKO勝ちとなる4回26秒KO勝ちを収めた[16]

フェザー級[編集]

2013年11月9日、テキサス州コーパスクリスティアメリカン・バンク・センターでノニト・ドネアとフェザー級契約10回戦で6年ぶりに再戦。終盤まで優位に試合を進めるが、9回にダウンを奪われると最後は連打をまとめられて試合終了。9回2分6秒TKO負けを喫し6年前のリベンジには失敗したが、試合終了回までの採点を78-74でドネアの負けとつけていたジャッジが2人(1人は76-76で引き分け)いたほど善戦、あわやという所までドネアを追い詰めた[17]

2014年5月9日、WBAが最新ランキングを発表し、ダルチニアンはWBA世界フェザー級13位にランクインした[18]

2014年5月31日、マカオザ・ベネチアン・マカオコタイ・アリーナでノニト・ドネアVSシンピウィ・ベトイェカの前座でWBA世界フェザー級王者ニコラス・ウォータースと対戦するが、2回に右アッパーでダウンを奪われると防戦に回り5回にボディからフックを返されるとダルチニアンはグロッキーになりフック多用でダウンを奪われ、最後は左フックで痛烈に失神。5回2分22秒KO敗けを喫し悲願の3階級制覇はならなかった[19]

2015年2月7日、メキシコのキンタナ・ロー州チェトゥマルでフアン・ヒメネス(メキシコ)と対戦し、9回2分48秒TKO勝ちで再起戦を白星で飾った[20]

2015年6月6日、スタブハブ・センター・テニスコートでWBA世界フェザー級王者ヘスス・クエジャルと対戦し、8回にダウンを奪われ、ダルチニアンは立ち上がったもののダルチニアン陣営からタオルが投げ込まれ、8回1分4秒、ダルチニアンの棄権によりまたも3階級制覇に失敗した[21][22]

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ビック ダルチニアンとは コトバンク
  2. ^ “閃光”と“雄牛”が6年ぶりに再戦=ドネアvs.ダルチニャン見所 スポーツナビ 2013年11月9日
  3. ^ Darchinyan keen to take on UFC”. Telegraph.com.au (2010年2月14日). 2014年2月10日閲覧。
  4. ^ 9.World Championships - Budapest, Hungary - October 18-26 1997”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2014年2月10日閲覧。
  5. ^ 10.World Championships - Houston, USA - August 20-27 1999”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2014年2月10日閲覧。
  6. ^ ダルチニヤン3冠統一 ミハレスを強烈KO ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2008年11月3日
  7. ^ キングコング、ダルチニヤン撃退 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年7月12日
  8. ^ ダルチニヤン、ブラッドリーとも暫定王者に圧勝 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年12月13日
  9. ^ ダルチニヤン、ペレスに負傷判定勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2011年4月24日
  10. ^ ダルチニアンが勝利すればWBAスーパー王座とIBO王座の統一王者となり、モレノが勝利したらIBO王座は空位となる変則的な統一王座決定戦だった為、IBO王座は空位となった。
  11. ^ Nick Walshaw (2012年3月23日). “World champion boxing trainer Johnny Lewis returns to the fight game”. デイリー・テレグラフ. 2012年3月29日閲覧。
  12. ^ [ボクシング]山中、大差判定で初防衛!元統一王者に完勝…WBC世界バンタム級 スポーツ報知 2012年4月7日閲覧
  13. ^ 負けた挑戦者、言いたい放題/ボクシング 日刊スポーツ 2012年4月7日
  14. ^ ダルチニアンが再起 新鋭に判定勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2012年9月30日
  15. ^ ラウンドアップ(海外版) ボクシングニュース「Box-on!」 2013年3月30日
  16. ^ ダルチニアン久々のKO勝ち 再起2勝目 ボクシングニュース「Box-on!」 2013年5月12日
  17. ^ ドネアTKOで再起、ダルチニアンを返り討ち Boxing News(ボクシングニュース) 2013年11月10日
  18. ^ World Boxing Association Ranking WBA公式サイト 2014年5月9日
  19. ^ ウォータースがダルチニアンを5回KO Boxing News(ボクシングニュース) 2014年5月31日
  20. ^ ダルチニアンがメキシコで再起 Boxing News(ボクシングニュース) 2015年2月10日
  21. ^ Cuellar retained by KO in California WBA公式サイト 2015年6月6日
  22. ^ クエジャールがダルチニアンをTKO、ゲレロ小差勝ち Boxing News(ボクシングニュース) 2015年6月7日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
イレーネ・パチェコ
IBF世界フライ級王者

2004年12月16日 - 2007年7月7日

次王者
ノニト・ドネア
前王者
ディミトリー・キリロフ
IBF世界スーパーフライ級王者

2008年8月2日 - 2009年7月28日(返上)

空位
次タイトル獲得者
シンピウェ・ノンクアイ
前スーパー王者
クリスチャン・ミハレス
WBA世界スーパーフライ級スーパー王者
2008年11月1日 - 2010年9月(返上)
次スーパー王者
返上により消滅
前王者
クリスチャン・ミハレス
WBC世界スーパーフライ級王者

2008年11月1日 - 2010年8月(名誉王座認定)

空位
次タイトル獲得者
トマス・ロハス