ノート:ヘロドトス

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ちょっと気になっていたので、けっこう前に書いたものを・・・ 願わくば世界史教科書の編集者方も原典を最低限通読するくらいのことを行ってほしい。 そしてナイル河がエジプトを潤したことに対する感嘆の一句として引用する前にせめて一考してほしい。


「エジプトはナイルのたまもの」の誤解について

 この言葉はエジプトの地理や歴史を紹介する際、必ずといっていいほど登場します。古代イオニアの歴史学者ヘロドトスが彼の著作「歴史」(Historiae)の中で使った言葉です。ナイル川の氾濫がエジプトに豊かな収穫をもたらしていることの比喩という見解が定着しているようです。

 しかしながら、この言葉はそもそもそれ自体文節ではなく、前後のつながりを持った文の一部でした。これだけを論じるということは「私はにんにく入りのパスタを食べた」をみて「私はにんにく」という意味をくみ上げているに等しいのです。

 では、そもそもヘロドトスがこの言葉(およびその前後)を本来どのような意味で使ったのか、出典をたどってみることにします。この言葉が登場するのは「歴史」の第二巻、ヘレニズム時代には「エウテルペの巻」と呼ばれた部分の第5節です。「エジプトの国土に関する彼らの話はもっともであると私には思われた。というのは、いやしくも物のわかる者ならば、たとえ予備の知識を持たずとも一見すれば明らかなことであるが、今日ギリシア人が通航しているエジプトの地域は、いわば(ナイル)河の賜物ともいうべきもので、エジプト人にとっては新しく獲得した土地なのである。・・・」

 これだけでもわかるように、ここで「賜物」として指しているのは「ギリシア人が通航している地域」つまり下エジプトーナイルデルタのことです。それも「土地」が目的語になっています。

 ではなぜ「賜物」「新しく獲得した土地」なのか。この節は第4節を受けているので、そちらをみてみましょう。第4節ではヘロドトスがメンピス(メンフィス)、ヘリオポリス、テバイ(テーベ)の神官や住民から聞いた話がまとめられています。まず、一年を12ヶ月にわけ、365日としたのがエジプト人が最初であること、それは天体観測で得られた知識であることが述べられ、ヘロドトス自身はエジプト人の暦法のほうがギリシアよりも合理的であるように思えたようです。次に、十二神(本題と関係がないと思われるので詳細は省略)の呼称がエジプト生まれであること、祭壇や神殿、神像の作り方、また石の彫刻を発明したのもエジプト人であることを神官たちは実証しながら説明したとされています。最後の部分で、エジプト初代の王がミンという人物で、その時代にはテバイ州以外の地域が沼で、現在のデルタ地域はすべて水面下にあったことが述べられています。

 この最後の部分をうけて、ナイルによってもたらされた堆積物が隆起を引き起こし、デルタを出現させたことを「新しく獲得した土地」や「賜物」としているのです。  同じ巻の第6~9節ではエジプトの国土の測量データが述べられていますが、第10節で河による堆積の話題がまた出てきます。ヘロドトスは紅海とエジプトを対比的にとらえて、ナイルによる堆積で紅海のような湾が埋まったのがエジプトである、と信じているようです。

 ここで改めて「エジプトはナイルのたまもの」という言葉の意味を整理してみると、それは農業とはまったく意味的な関連はなく、ヘロドトスが考えた河の堆積が陸地を生む、という進化論や現代地質学に通ずるような思想を体現しているのです。賜物とは氾濫の恩恵でも、豊かな産物でもなく、文字通り、エジプトの国土を指しているのです。

参考文献: 「歴史」-ヘロドトス著、松平千秋訳 岩波文庫