ジョージ・アーバン

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ジョージ・アーバン
生誕 (1921-04-12) 1921年4月12日
ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国 ミシュコルツ
死没 (1997-10-03) 1997年10月3日(76歳没)
出身校 エトヴェシュ・ロラーンド大学
職業 著作家
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ジョージ・ロバート・アーバン(George Robert Urban、1921年4月12日 - 1997年10月3日)は、当時のハンガリー王国ミシュコルツに生まれたハンガリー人著作家で、特にラジオ・フリー・ヨーロッパ (RFE) のブロードキャスターとして知られていた。反共自由主義の闘士であった[1]

生い立ち[編集]

ジョージ・アーバンは、1921年4月12日に当時のハンガリー王国ミシュコルツに生まれた。一般的にブダペスト大学として知られるエトヴェシュ・ロラーンド大学1947年に卒業し[1]第二共和国時代の1948年にハンガリーを離れ、イギリスに渡った。ロンドン大学に進み、1956年にドイツ語の詩と言語の分野におけるPh.D.を取得した[1]

経歴[編集]

やがてアーバンは、1948年のうちに英国放送協会 (BBC) のハンガリー語放送で働くようになった[1]BBCワールドサービスで、多年にわたりラジオのブロードキャスターを務めた後、1960年にRFEに転じた[1]。RFEでアーバンは、ラジオ放送大学 (Radio University of the Air) という企画を実現させ、ヨーロッパの代表的な知識人たちを放送に登場させ、中には、共産主義から転向したアーサー・ケストラーイニャツィオ・シローネのような人々も含まれていた[2]

また、1967年から1970年にかけて、南カリフォルニア大学のシニア・リサーチ・アソシエート(上席研究助手)も務め、1968年からはロサンゼルスに滞在した[1]1982年から1986年にかけては、RFE のディレクターを務めた[1]

アーバンは、雑誌『Encounter』への寄稿でも知られていた。彼のジャーナリズムへの寄稿や、書籍の執筆は、RFEにおける業績である、名だたる知識人たちや政治家など、冷戦に関わる覚悟をもった人々との長時間にわたる対話、事実上の長尺インタビューに、多くを依拠していた。彼はまた、オルゲ=クライスドイツ語版についての研究も発表していたが、これは若い頃から熱心に取り組んだもので、彼の態度を形成し続けたものでもあった。

私生活[編集]

アーバンは、2度、結婚した。

おもな著作[編集]

  • The Nineteen Days (1957)
  • Kinesis and stasis; a study in the attitude of Stefan George and his circle to the musical arts (1962)
  • The Sino-Soviet Conflict (1965) with Leo Labedz
  • Toynbee on Toynbee: A Conversation between Arnold J. Toynbee and G. R. Urban (1974)
  • Détente (1976)
  • What is Eurocommunism? (1977) editor
  • Eurocommunism: Its Roots and Future in Italy and Elsewhere (1978)
  • Communist Reformation: Nationalism, Internationalism, and Change in the World Communist Movement (1979)
  • Can the Soviet System Survive Reform?: Seven Colloquies About the State of Soviet Socialism Seventy Years After the Bolshevik Revolution (1989)
  • End of Empire: The Demise of the Soviet Union (1992)
  • Diplomacy and Disillusion at the Court of Margaret Thatcher: An Insider's View (1996)
  • Radio Free Europe and the Pursuit of Democracy: My War Within the Cold War (1997)

このほか、日本語で読める文献として、吉田美枝訳による、ガリーナ・ヴィシネフスカヤへのインタビューがある[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h Urban, Andrew L.. “Dr George R. Urban April 12, 1921 – October 3, 1997”. Pursue Democracy. 2017年4月2日閲覧。
  2. ^ Puddington, Arch (2003). Broadcasting Freedom: The Cold War Triumph of Radio Free Europe and Radio Liberty. University Press of Kentucky. p. 263  Google books
  3. ^ インタヴューズ3(毛沢東からジョン・レノンまで)クリストファー・シルヴェスター 編,新庄哲夫 他訳”. 国立国会図書館. 2017年4月2日閲覧。