ジャン=バティスト・バガザ

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1978年撮影

ジャン=バティスト・バガザJean-Baptiste Bagaza, 1946年 - 2016年5月4日[1])は、ブルンジ政治家軍人大統領ツチ。晩年、上院議員を務めた。

経歴[編集]

ベルギーの王立陸軍士官学校で学び1971年にブルンジへ帰国。ブルンジ陸軍参謀次長を務めていた1976年11月に、無血クーデターミシェル・ミコンベロ大統領から政権を奪取した[2]。軍事独裁機構として最高革命評議会を設立し、元首に相当する議長にはバガザ自身が就任。事実上の独裁体制を敷き、同年11月2日には大統領に就任。しかしツチ優遇の行き過ぎ、汚職などで内外から批判が高まり、1987年ピエール・ブヨヤによるクーデターで失脚し追放された。ツチ優勢の最大政党民族進歩連合(UPRONA)に所属していたが、1994年民族再生党(PARENA)を設立し、自らその党首となった。

脚注[編集]

  1. ^ Jean-Baptiste Bagaza, ousted Burundian president, dies at 69ワシントンポスト、2016年8月5日閲覧。
  2. ^ 新大統領にバガザ中佐 ブルンジ『朝日新聞』1976年(昭和51年)11月12日朝刊、13版、7面

関連項目[編集]

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