ジャスティン・ホール

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ジャスティン・ホール
2008年
生誕 Justin Hall
(1974-12-16) 1974年12月16日(49歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
住居 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ
国籍 アメリカ人
職業 リクルーター、文化コミュニケーション部長
著名な実績 ブロギングThe Nethernet
公式サイト Links.net
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ジャスティン・ホール英語: Justin Hall1974年12月16日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ生まれのアメリカ人ジャーナリスト、及び、起業家であり、先駆的ブロガーとしてもっとも有名である。

略歴[編集]

ホールはシカゴで生まれ、1993年にフランシス・W・パーカー高校を卒業。1994年、スワースモア大学の学生だった時、ジャスティンは、初期のウェブガイドの一つとなった、ウェブ形式の日記、ジャスティンのアンダーグラウンドからのリンクを始めた。[1] 時がたつにつれて、当サイトはホールの生活の詳細に焦点をあてた物となった。 2004年12月、ニューヨーク・タイムズ・マガジンは、彼のことを「個人ブログの発明者」と呼んだ。[2]

1994年大学を休学中、ホールはワイヤード誌内で発足した、最初の商業ウェブマガジン「ホットワイヤード」に加わった。[3] そこで彼は、批評家、作家、そして教師でもあるハワード・ラインゴールドと、長期パートナーシップを結ぶ。[4] のちに、ホールはフリーランスジャーナリストになり、ビデオゲーム、モバイル技術、インターネット文化などの記事を扱うようになる。彼は2002年に、初めてのインディー・ゲーム・ジャムを録音する。 2001年後半から2003年にかけて、ホールは日本、主に東京都秋田に拠点を置き、ガイドブック、ジャスト・イン・トウキョウを執筆する。[5]

2007年に、ホールは南カリフォルニア大学インタラクティブ・メディア学部で美術修士号を取得する。彼の論文のプロジェクトは、ウェブサーフィングをマルチプレーヤーゲーム、PMOG( Passively Multiplayer Online Gameの略)にすることを試みたものだった。ホールは、ゲームレイヤーズ社のCEOとなり、そこで$200万の資金を調達し、PMOGをファイヤフォックスのツールバー用MMO(多人数参加型オンラインゲーム)、Nethernetに変えた。[6] 最初の投資家は伊藤穰一。Nethernetは利益を出すことに失敗したため、ゲームレイヤーズ社は倒産した。Nethernetのサーバーと、クライアントソフトはオープンソースとしてリリースされ[7] 、ホールは「ゲームレイヤーズの物語。私たちの事業プロセスをオープンソースにしたこと。」を出版した。[8]

現在、ホールはカリフォルニア州サンフランシスコ市に住んでいる。サンフランシスコに移り住んでから、彼は ngmoco:)'のタッチペットシリーズのプロデュースを手掛け、それからngmoco:)'sの文化コミュニケーション部門のディレクターを務める。[9] ngmoco:)'sの親会社、DeNAでリクルーターとして働いたのち、ホールは2013年中旬に同社を退職。2015年、自己プロデュースの短編ドキュメンタリー、 Overshare: the Links.net Story をリリース。中で、「非常に個人的なブログ」を扱っている。[10] 今日ホールは、東京に本拠地を持つ投資会社、デジタルガレージの子会社でインキュベーションセンター兼コーワーキング・イベントスペース「DG717」のコミュニティマネージャーを務めている。

主な作品[編集]

  • プレイング・ア・ライフ・オンライン Playing a Life Online - 2006年3月11日録音(アメリカ合衆国テキサス州オースティンのサウス・バイ・サウスウェストで行われたスピーチ)
  •  ファンタジー・ライフ・オブ・コーダー・ボーイズ "The Fantasy Life of Coder Boys", 2003年4月、Wired誌 
  • ウェア・ザ・ギークス・アー "Where the Geeks Are", 1999年8月19日、ローリングストーンズ誌
  •  ツデーズ・ビジョンズ・オブ・ザ・サイエンス・オブ・ツモロー "Today's Visions of the Science of Tomorrow", 2003年1月4日、ニューヨークタイムズ誌op-ed
  • ザ・ゲーミング・ウォーズ "The Gaming Wars", 2001年5月18日、Salon.com(E-3の見直し)
  • ハイヤ・ジス・ボーイ・ツー・プレイ・ヨー・ビデオ・ゲームズ "Hire This Boy To Play Your Video Games", 2000年10月12日、ローリングストーンズ誌
  • ジャスト・イン・トウキョウ Just In Tokyo, 2002年, Garrett County 出版. ISBN 978-1-891053-50-4

寄稿[編集]

  • J・ゴールドシュタインとJ・ラエッセンス、 Handbook of Computer Game Studies, MIT プレス, 2005年: "Future of Games: Mobile Gaming"の章 
  • T. フラートンと C. スワイン, Game Design Workshop, CMP ブックス, 2004年: "The Indie Game Jam."のサイドバーと章 
  • V. バーンハム, Supercade: A Visual History of the Videogame Age, MIT プレス, 2001年、 Essays on the Apple ][, Burger Time and Spy Hunter.

映画[編集]

  • ホールはドキュメンタリー映画、ホームページ Home Pageに出演。[11]
  • 映画「ブラッド」では、ヌードで出演[12]
  • ホールは、SF映画「ラジオ・フリー・スティーブ」Radio Free Steveに出演。[13]

更なる読み物[編集]

  • ジャスティン・ホール、受動的マルチプルプレーヤー・オンライン・ゲーム。International Journal of Communication, 2006年11月16日 
  • Yahoo Internet Life誌, 2001年5月, 「フー・レット・ザ・ブロッグス・アウト?」"Who let the Blogs out?" 
  • ジェフリー・ローゼン、「ヨー・ブロッグ・オア・マイン?」 Your Blog or Mine? ニューヨークタイムズ誌、2004年12月19日。 
  • スコット・ローゼンバーグ, 「セイ・エブリシング:ハウ・ブロッギング・ビギャン、ホワット・イッツ・ビカミング・アンド・ホワイ・イット・マターズ、」,ニューヨーク:クラウン出版社、2009年 ISBN 978-0-307-45136-1

参考文献[編集]

  1. ^ Harmanci, Reyhan.
  2. ^ Rosen, Jeffrey.
  3. ^ Hall, Justin, "Justin Hall @ HotWired", Justin's Links, 2012年12月6日閲覧
  4. ^ Rosenberg, Scott (2009), Say Everything: How Blogging Began, What It's Becoming, and Why It Matters, Crown, 2012年12月6日閲覧
  5. ^ Hall, Justin (May 2002), Just In Tokyo, New Orleans, Louisiana: Garrett County Press, p. 66, ISBN 1891053507, 2011年10月16日閲覧
  6. ^ Arrington, Michael, "Play A Multiplayer Online Game While Surfing The Web: PMOG", TechCrunch, 2013年2月23日閲覧
  7. ^ PMOG Open Source, Github, 2012年12月6日閲覧
  8. ^ Hall, Justin, "A Story of GameLayers", Justin's Links, 2012年12月6日閲覧
  9. ^ Walker, Joeseph (15 November 2011), "For Tech's Elite, Mobile Gaming Is a Big Play", The Wall Street Journal, 2013年2月21日閲覧
  10. ^ Wickman, Kase (25 August 2015), "One Of The First Webloggers Shares 6 Things He's Learned On The Internet", MTV News, 2017年2月8日閲覧
  11. ^ Home Page - IMDb(英語)(英語)
  12. ^ Blood
  13. ^ Radio Free Steve - IMDb(英語)