ジェフ・アメン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェフ・アメン
Jeff Ament
2009年撮影(左はドラマーのマット・キャメロン
基本情報
出生名 Jeffrey Allen Ament
生誕 (1963-03-10) 1963年3月10日(61歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 モンタナ州 ハヴァー
ジャンル オルタナティヴ・ロックハードロックグランジヘヴィメタルハードコア・パンクエクスペリメンタル・ロック
職業 ミュージシャンソングライター
担当楽器 ベースコントラバスボーカルギタースティックキーボード
活動期間 1981年 -
レーベル モンキーレンチ、ホームステッドサブ・ポップ、スタードッグ、マーキュリーA&MエピックJ
共同作業者 パール・ジャムグリーン・リヴァーマザー・ラヴ・ボーン、ウォー・ベイビーズ、テンプル・オブ・ザ・ドッグスリー・フィッシュ、ディランジド・ディクション、Tres Mts.、RNDM
著名使用楽器
フェンダー・ジャズベース

ジェフリー・アレン・アメンJeffrey Allen Ament1963年3月10日 - )は、アメリカ合衆国ミュージシャンソングライターロックバンドパール・ジャムベーシストとして最もよく知られる。それ以前にもグリーン・リヴァーマザー・ラヴ・ボーンで活動しており、他にも様々なバンドで旺盛に活動を行っている。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

モンタナ州の小都市ハヴァーにて5人兄弟の長男として生まれる。アメンは実家はとても貧しく[1]、厳格なカトリックの家庭だったと語っており[2]、一家はビッグ・サンディという人口700人に満たない小さな町で育った[3][4]。10代の頃からラモーンズザ・クラッシュポリスのレコードに合わせてベースギターを弾き始める。高校時代には音楽の他にバスケットボールサッカー陸上競技など様々なスポーツに取り組んだ。高校卒業後にモンタナ大学に進学するも中退し、1983年に自身のバンドであるディランジド・ディクションと共にシアトルへ引っ越す。アメンはバンド活動の傍らカフェで働いた。

グリーン・リヴァー[編集]

アメンはシアトルで活動していたミュージシャンであるマーク・アームスティーヴ・ターナーらと親しくなり、1984年にアームらが結成したグリーン・リヴァーに加入する。バンドには後にパール・ジャムのバンドメイトとなるストーン・ゴッサードも参加した。バンドは翌1985年5月にホームステッド・レコードよりEP『Come on Down』でデビューを果たす。ターナーはメンバー間の音楽的嗜好の違いにより脱退し、ディランジド・ディクションのバンドメイトだったブルース・フェアウェザーが新しく加入した。1987年7月にはサブ・ポップからの初リリースとなるEP『Dry as a Bone』をリリースした[5]1988年6月に唯一のフルアルバム『Rehab Doll』をリリースするが、インディーズ志向のアームと、メジャー志向のアメン、及びゴッサードの対立により解散。

マザー・ラヴ・ボーン[編集]

グリーン・リヴァー解散後にアメンは新バンドマザー・ラヴ・ボーンに参加した。グリーン・リヴァーのバンドメイトであるフェアウェザーとゴッサードも加入した。フロントマンはマルファンクションヴォーカリストであるアンドリュー・ウッドが、ドラマースキン・ヤードのグレッグ・ギルモアが務めた。結成からすぐにバンドはレコーディングとライヴを開始し、1989年始めにポリグラムと契約する。バンドは3月にEP『Shine』でデビューを果たす。1stアルバムを1990年3月にリリース予定だったが、3月にウッドがヘロインオーバードースにより死去する。バンドはそのまま解散し、ウッドの死後4ヵ月後に唯一のアルバム『アップル』がリリースされた。

テンプル・オブ・ザ・ドッグ[編集]

ウッドの死後、アメンはウォー・ベイビーズというヘヴィメタルバンドに参加し、ゴッサードとは別に活動していたが、マザー・ラヴ・ボーン解散後の同年にゴッサードと、子供の頃からの幼馴染であり後のパール・ジャムリードギタリストとなるマイク・マクレディを誘いテンプル・オブ・ザ・ドッグを結成。このバンドはアンドリュー・ウッドを追悼するために結成され、同バンドにはグリーン・リヴァー時代からのバンドメイトであるジェフ・アメン、ウッドのルームメイトであったサウンドガーデンクリス・コーネルが加入。その後パール・ジャムのドラマーとなるマット・キャメロンも加入し、バンドはコーネルがウッドの生前に書いた楽曲やゴッサードとアメンが以前に作成したデモ曲のリハーサルを開始する[6]。またオーディションによりパール・ジャムのフロントマンとなるエディ・ヴェダーも、コーネルとのデュエットやバックコーラス等で参加した。1991年4月に唯一のアルバム『テンプル・オブ・ザ・ドッグ』をA&Mレコードよりリリースした。

パール・ジャム[編集]

テンプル・オブ・ザ・ドッグ活動停止後パール・ジャムは1990年にアメン、ゴッサード、マクレディで結成され[7]、後にテンプル・オブ・ザ・ドッグに参加したヴォーカリストのヴェダーも加入。バンドは1991年エピック・レコードと契約し、デビューアルバム『ten』をリリースした。1990年代初頭のグランジ・シーンにおいて高い評価を獲得し、現在も活動を行っている。

それ以外の活動[編集]

1994年スリー・フィッシュを結成し、1996年セルフタイトルアルバムでデビュー。1999年に2ndアルバム『The Quiet Table』をリリースし、同年に解散した。2008年にはアルバム『Tone』でソロデビューを果たした。2011年に新バンドTres Mtsの結成をパール・ジャムの公式サイト上で報告し、3月にアルバム『Three Mountains』をリリースした。2012年にはまた別の新バンドRNDMを結成した。

脚注[編集]

  1. ^ Vaziri, Aidin. "Q & A With Pearl Jam's Jeff Ament". San Francisco Chronicle. October 29, 2000.
  2. ^ Weisel, Al. "Jeff Ament of Pearl Jam". ローリング・ストーン. August 8, 1996.
  3. ^ Tribune Staff. “125 Montana Newsmakers: Jeff Ament”. Great Falls Tribune. 2015年3月20日閲覧。
  4. ^ Jeff Ament”. Montana Kids. Montana Office of Tourism. 2015年3月20日閲覧。
  5. ^ Sub Pop Records biography”. Subpop.com. 2015年3月18日閲覧。
  6. ^ Alden, Grant. "Requiem for a Heavyweight." Guitar World. July 1997
  7. ^ Crowe, Cameron (1993年10月28日). “Five Against the World”. ローリング・ストーン. 2015年3月18日閲覧。

外部リンク[編集]