サン=サテュルナン (ピュイ=ド=ドーム県)

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Saint-Saturnin

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) ピュイ=ド=ドーム県
(arrondissement) クレルモン=フェラン郡
小郡 (canton) オルシーヌ小郡
INSEEコード 63396
郵便番号 63450
市長任期 クリスティアン・パルー[1]
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Les Cheires
人口動態
人口 1024人
2012年
人口密度 61人/km2
住民の呼称 Saint-Saturninois
地理
座標 北緯45度39分37秒 東経3度05分35秒 / 北緯45.6603度 東経3.0931度 / 45.6603; 3.0931座標: 北緯45度39分37秒 東経3度05分35秒 / 北緯45.6603度 東経3.0931度 / 45.6603; 3.0931
標高 平均:m
最低:460m
最高:890m
面積 16.86km2
Saint-Saturninの位置(フランス内)
Saint-Saturnin
Saint-Saturnin
公式サイト http://www.saint-saturnin63.fr/
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サン=サテュルナンSaint-Saturnin)は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ピュイ=ド=ドーム県コミューンクレルモン=フェラン都市圏に含まれる[2]。かつてフランスの最も美しい村に登録されていた。

地理[編集]

クレルモン=フェランの南約15kmのところにある。村はモンヌ川の谷の中にあり、川はさらに下るとヴェイル川に合流する。

2015年3月まではサンタマン・タランド小郡に属したが、再編により現在はオルシーヌ小郡に属する[3]

歴史[編集]

サン=サテュルナンは、ラ・トゥール・ドーヴェルニュ家の男爵たち(のちにオーヴェルニュ伯となる)の住まいがあった。この家系の出身者にはカトリーヌ・ド・メディシスがいる(カトリーヌの生母マドレーヌがオーヴェルニュ伯家出身であった)。カトリーヌはアンリ2世と結婚してフランス王妃となった。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
526 606 719 764 788 964 1120 1024

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[4]、2004年以降INSEE[5][6]

史跡[編集]

13世紀に建てられたサン=サテュルナン城は、中世の重要な要塞である。14世紀と15世紀に再建が行われている。現在、城はフランス式庭園で飾られている。壁や堀が1889年より、庭園が1992年より歴史文化財になった[7]

教会と城の中間にある16世紀の泉は、1889年に歴史文化財になった[8]

ブシュリー門は中世の城壁の名残で、1988年に歴史文化財になった[9]。ブシュリー通りにある塔を備えた15世紀の住宅は、1988年より歴史文化財である[10]

サン=サテュルナンのノートルダム教会は、クレルモン=フェランのノートルダム・デュ・ポール大聖堂、オルシヴァルのバジリク・ノートルダム、イソワールのサントステルモワヌ教会、サン=ネクテールの教会に並ぶ、オーヴェルニュの5大教会堂の1つに数えられる。

起源は12世紀にさかのぼる。教会は、モンペルーのブロンド色した花崗砂岩、多色の外観を与えるヴォルヴィックの溶岩を用いて建てられた。柱頭は溶岩に刻まれている。鐘楼はオーヴェルニュ有数の保存状態の良いもので、八角形である。1862年に歴史文化財になっている[11]

  • サント・マグドレーヌ礼拝堂 - 教会の右隣にある。12世紀ロマネスク様式。
  • シャドラ教会
  • サンタンヌ礼拝堂
  • 十字架の道

姉妹都市[編集]

脚注[編集]