サッカーパラグアイ代表

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サッカーパラグアイ代表
国または地域 パラグアイの旗 パラグアイ
協会 パラグアイサッカー協会
FIFAコード PAR
愛称 Los Guaraníes (先住民グアラニー族に由来)
La Albirroja (白と赤の意)
監督 アルゼンチンの旗 ギジェルモ・バロス・スケロット
キャプテン グスタボ・ゴメス
最多出場選手 パウロ・ダ・シルバ(148試合)
最多得点選手 ロケ・サンタ・クルス(32得点)
ホームスタジアム ディフェンソーレス・デル・チャコ
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合
 パラグアイ 1-5  アルゼンチン
アスンシオン, 1919年5月11日)
最大差勝利試合
 パラグアイ 7-0  ボリビア
リオデジャネイロ, 1949年4月30日)
 香港 0-7  パラグアイ
湾仔区銅鑼湾, 2010年11月17日)
最大差敗戦試合
 アルゼンチン 8-0  パラグアイ
サンティアゴ, 1926年10月20日)
FIFAワールドカップ
出場回数 8回(初出場は1930
最高成績 ベスト8 (2010)
コパ・アメリカ
出場回数 38回
最高成績 優勝 (1953, 1979)

サッカーパラグアイ代表(サッカーパラグアイだいひょう、西: Selección nacional de fútbol de Paraguay)は、パラグアイサッカー協会(APF)によって構成される、パラグアイサッカーナショナルチームである。ホームスタジアムは、首都アスンシオンにあるエスタディオ・ディフェンソーレス・デル・チャコ

概要[編集]

通算8回のFIFAワールドカップ出場経験があり、最高順位は2010年大会南アフリカ開催)のベスト8。コパ・アメリカでは1953年大会1979年大会で優勝を果たしている。FIFAランキングでは最高順位は2001年3月に記録した8位、最低順位は1995年5月に記録した103位。

歴史[編集]

第1回W杯への参加[編集]

サッカー南米選手権1929英語版でのパラグアイ代表

1930年、ウルグアイで開催された第1回ワールドカップに参加した。グループの首位のみが突破となる1次リーグで、アメリカに0-3の敗戦、ベルギーには1-0の勝利で1勝1敗となり決勝トーナメントには進めなかった。

1930年代 – 1970年代[編集]

南米選手権(現コパ・アメリカ)1929、19471949でそれぞれ準優勝を果たし、1950 FIFAワールドカップ・予選では辞退国が出たため自動的に20年ぶりとなるFIFAワールドカップ出場を決めた。本大会ではスウェーデンイタリアと同組になったが1分1敗に留まり、決勝トーナメント進出を逃している。

南米選手権1953ブラジル開催)で南米選手権初優勝を遂げた。出場8カ国が総当たりを行う1次リーグをブラジルと並ぶ6勝1敗で終え、それに伴い行われた決勝戦でブラジルを3-2で破った[1]

1958 FIFAワールドカップではフランススコットランドユーゴスラビアと共にグループ2に入ったが1勝1分1敗でグループ3位となり、またしてもグループリーグ敗退となった。

1970年代 – 1990年代[編集]

W杯予選では前述のスウェーデン大会以降、南米予選敗退が続いたが、コパ・アメリカでは断続的に好成績を残した。

コパ・アメリカ1979ではグループリーグで強豪ウルグアイエクアドルが属するグループCとなったが、2勝2分と無敗で決勝トーナメントに進出。準決勝ではブラジルを打ち合いの末4-3で、決勝ではチリを3-1で下し、26年ぶりに南米王者に輝いた[2]

予選を勝ち抜き、実に28年ぶりの出場となった1986 FIFAワールドカップメキシコ開催)では、ロベルト・フェルナンデスロランド・チラベルトなどの好選手を揃えて参加。グループリーグの初戦でイラクを1-0で破ると、メキシコ、ベルギーにはそれぞれ1-1、2-2での引き分け。通算で1勝2分となり、3回目の出場にして初めて16強に進出した。決勝トーナメント1回戦ではイングランドに0-3で敗れた[3]

黄金期(1998年 – 2011年)[編集]

W杯メキシコ大会で好成績を残したパラグアイ代表だが、続く1990年大会1994年大会では南米予選敗退に終わった。

1992年、バルセロナ五輪に出場。グループステージを2位で勝ち抜いたが、準々決勝でガーナに敗れた[4] 。この大会では、カルロス・ガマーラセルソ・アジャラホセ・ルイス・チラベルトフランシスコ・アルセホセ・カルドーソといった才能ある若手が台頭し、後にこの世代はW杯で好成績を残し、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイに並ぶ南米強豪国となったため、黄金世代と呼ばれている。

1998 W杯[編集]

南米予選では、勝ち点差僅か1でアルゼンチンに次ぐ2位となり、1986年大会以来となる本大会出場権を獲得した。

本大会ではブルガリアスペインナイジェリアが入るグループDに振り分けられた。ブルガリア、スペインとの試合をいずれも0-0のスコアレスドローで終えた[5]。最終戦は既に1次リーグ突破を決めているナイジェリアとの一戦であったが、これに3-1で勝利。1986年大会同様、1勝2分で決勝トーナメントに進出した。

ベスト8を賭けた決勝T1回戦では、主力のジネディーヌ・ジダンを欠く開催国・フランスと対戦。前後半90分で0-0と決着がつかず、延長戦に突入。ところが、延長後半9分にローラン・ブランに先制点を許した。この大会から導入されたゴールデンゴール方式により、これが決勝点となりベスト16で散った[6]。大会後、今大会のオールスターチームDFのカルロス・ガマーラ、GKであり主将のホセ・ルイス・チラベルトが選出された。

コパ・アメリカ1999・2001[編集]

地元開催となったコパ・アメリカ1999では、ボリビア、コパ・アメリカ初挑戦の招待国日本ペルーが入るグループAとなった。開幕戦となったボリビア戦は0-0のドローに終わったが、第2戦で日本に4-0と完勝、最終戦でもペルーを1-0で下し勝ち点7の首位でグループリーグを突破した。準々決勝ではグループCを辛くも3位で突破したウルグアイと対戦。120分間で1-1と決着がつかずに行われたPK戦で敗れ、ベスト8敗退となった。

コパ・アメリカ2001コロンビア開催)には、国内組主体のチームで挑んだ。強豪ブラジル、メキシコとペルーが入る厳しい組み合わせとなり、メキシコ、ペルーとは引き分け、ブラジルには1-3で敗れ2分1敗のグループ最下位で敗退した。

2002 W杯[編集]

南米予選ではペルーに対し黒星スタートとなったが、ウルグアイに2戦2勝するなど南米4位で予選突破を決めた。本大会には、チラベルトを始めとした前回大会に出場した選手主体のチームで挑んだ。

フランス大会に続いて日韓大会でも主将を務めたチラベルト

パラグアイが入ったのはグループBで、南アフリカスペインスロベニアと同組になった。初戦の南アフリカ戦で引き分け、第2戦のスペイン戦では敗れ、勝利が絶対条件となったスロベニア戦で3-1の快勝。南アフリカと勝ち点、得失点差共に並んだが、総得点で1上回り[7]、2大会連続決勝トーナメントに進んだ[8]

初のベスト8を賭けた決勝T1回戦では、優勝経験3回という経歴を持つドイツとの勝負になった。試合はドイツが優勢に試合を進めていたが、パラグアイも無失点で耐え忍んでいた。延長突入直前の後半43分、オリバー・ノイビルに均衡を破る先制点を奪われ、初のベスト8進出は叶わなかった[9]

2010年代以降[編集]

コパ・アメリカ2004でのネルソン・アエド・バルデス

2010年の南アフリカ大会では守りを強化して決勝トーナメント1回戦で日本PK戦の末、勝利して初のベスト8入りを果たし、コパ・アメリカ2011では48年ぶりの準優勝という成績を収めた。

このように近年では、ブラジルアルゼンチンウルグアイの南米3大勢力に続く実力国としての地位をキープしてきた。しかし、直近の3大会は予選敗退が続いており、2014年のブラジル大会では南米予選最下位で予選敗退し、2018年のロシア大会南米予選でも、第17節時点では7位に付け、同時刻キックオフで行われた最終節のベネズエラ戦で勝利すれば、他のカードの結果次第で本大会出場もしくは大陸間プレーオフへ出場出来たが、最終的にベネズエラに敗れて敗退した[10]

2022年のカタール大会南米予選でも、開幕から苦戦が続き予選8位で敗退した[11][12]。パラグアイはPK戦に強いチームでもあり、南アフリカ大会で日本にPK戦で勝利して以来、前述の2011年の南米選手権ではブラジルやベネズエラにもPK戦で勝利している[注釈 1]

成績[編集]

FIFAワールドカップ[編集]

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
ウルグアイの旗 1930 グループリーグ敗退 2 1 0 1 1 3
イタリアの旗 1934 不参加
フランスの旗 1938
ブラジルの旗 1950 グループリーグ敗退 2 0 1 1 2 4
スイスの旗 1954 予選敗退
スウェーデンの旗 1958 グループリーグ敗退 3 1 1 1 9 12
チリの旗 1962 予選敗退
イングランドの旗 1966
メキシコの旗 1970
西ドイツの旗 1974
アルゼンチンの旗 1978
スペインの旗 1982
メキシコの旗 1986 ベスト16 4 1 2 1 4 6
イタリアの旗 1990 予選敗退
アメリカ合衆国の旗 1994
フランスの旗 1998 ベスト16 4 1 2 1 3 2
大韓民国の旗 日本の旗 2002 4 1 1 2 6 7
ドイツの旗 2006 グループリーグ敗退 3 1 0 2 2 2
南アフリカ共和国の旗 2010 ベスト8 5 1 3 1 3 2
ブラジルの旗 2014 予選敗退
ロシアの旗 2018
カタールの旗 2022
合計 8/21 27 7 10 10 30 38

コパ・アメリカ[編集]

  • 2016 - グループリーグ敗退
  • 2019 - ベスト8
  • 2021 - ベスト8

歴代監督[編集]

歴代選手[編集]

歴代記録[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ グループリーグでは3試合3引き分け、準々決勝、準決勝ともにPK戦で勝ち上がり、決勝戦で敗れ1勝もせずに準優勝を果たす。

出典[編集]

  1. ^ Southamerican Championship 1953”. RSSSF (2008年4月18日). 2015年6月14日閲覧。
  2. ^ Copa Amжrica 1979”. RSSSF (2015年3月5日). 2015年6月14日閲覧。
  3. ^ [1] Archived 18 August 2004 at the Wayback Machine.
  4. ^ 1992年大会までは出場選手に23歳以下の制限がなされていなかったため、成績には含まれない。
  5. ^ FIFA World Cup™ Archive”. FIFA.com (2015年6月10日). 2015年6月14日閲覧。
  6. ^ FIFA World Cup™ Archive”. FIFA.com (2015年6月10日). 2015年6月14日閲覧。
  7. ^ パラグアイ6点、南アフリカ5点
  8. ^ “BBC SPORT | WORLD CUP | Slovenia v Paraguay | Paraguay snatch vital win”. BBC News. (2002年6月12日). http://news.bbc.co.uk/sport3/worldcup2002/hi/matches_wallchart/slovenia_v_paraguay/newsid_1927000/1927013.stm 2015年6月14日閲覧。 
  9. ^ “BBC SPORT | WORLD CUP | Germany v Paraguay | Germany edge out Paraguay”. BBC News. (2002年6月15日). http://news.bbc.co.uk/sport3/worldcup2002/hi/matches_wallchart/germany_v_paraguay/newsid_2040000/2040997.stm 2015年6月14日閲覧。 
  10. ^ アルゼンチンが逆転突破、ウルグアイらも本戦へ…チリは敗退/W杯南米予選サッカーキング 2017年10月11日
  11. ^ W杯出場困難なパラグアイ代表、新監督にボカやLAギャラクシーを率いたバロス・スケロット氏を招へい超WORLDサッカー! 2021年10月21日
  12. ^ エクアドル、ウルグアイの本大会出場決定! 大陸間PO争いは混戦に/W杯南米予選サッカーキング 2022年3月25日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]