コーサラ国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コーサラ国
未詳 (紀元前1100年頃) - 未詳 (紀元前500年頃) 十六大国
コーサラ国の位置
後期ヴェーダ時代のコーサラ国およびその他の国々
宗教 ヴェーダ教
ヒンドゥー教
仏教
ジャイナ教
首都 アヨーディヤー
シュラーヴァスティー
Janak
不明 - 不明 イクシュヴァーク
不明 - 不明マハーコーサラ
不明(紀元前6世紀 - 紀元前5世紀) - 不明(紀元前6世紀 - 紀元前5世紀)プラセーナジット
不明(紀元前6世紀 - 紀元前5世紀) - 不明(紀元前6世紀 - 紀元前5世紀)ヴィドゥーダバ
変遷
建国 未詳(紀元前1100年頃)
マガダ国に併合未詳(紀元前500年頃)
コーサラ王(発行の銅貨が)確認― 紀元前1世紀頃

コーサラ国(もしくはコーサラ王国、: Kosalaサンスクリット: कोसल)は、古代インドの王国で、その版図はおおむねアワド地方[1]、つまり現在のインドウッタル・プラデーシュ州に相当する。後期ヴェーダ時代にジャナパダ英語版(Janapada)と呼ばれる小国(領域)群のひとつとして勃興し、近隣のヴィデーハ英語版国と交流があった[2][3]仏教経典の『増支部』(漢訳仏典における『阿含経』の1つ『増一阿含経』に相当)や、ジャイナ教の教典の『バガヴァティー・スートラ英語版』によれば、コーサラ国は紀元前6世紀から5世紀における十六大国のひとつに数えられ[4]、文化的・政治的に大国の地位を得ていた。しかし、マガダ国との一連の戦争により弱体化し、紀元前4世紀には最終的に併合されてしまった。

コーサラ国には、アヨーディヤーサケット英語版(Saket)、シュラーヴァスティー(漢訳:舎衛城)の3大都市をはじめ、セータヴィヤ(Setavya)、ウカッタ(Ukattha)[5]、ダンダカッパ(Dandakappa)、ナラカパナ(Nalakapana)、パンカダ(Pankadha)などの町があった[6]。(ヒンドゥー教の聖典)プラーナ文献や、叙事詩ラーマーヤナ』によれば、コーサラ国の首都は、イクシュヴァーク王の治世下においてはアヨーディヤー[7]十六大国時代(紀元前6~5世紀)においてはシュラーヴァスティーであった[8]マウリヤ朝滅亡後の時代(紀元前2~1世紀)には、コーサラ王は(再び)アヨーディヤーにおいて硬貨を発行していた。

プラーナ文献の時代[編集]

コーサラ国の首都シュラーヴァスティーの市壁跡

コーサラは、初期のヴェーダ文献には言及されていないが、『シャタパタ・ブラーフマナ』や『カルパ・スートラ英語版』など後期の文献においては、ひとつの地域として言及されている[9]

十六大国時代のコーサラ国

『ラーマーヤナ』、『マハーバーラタ』、プラーナ文献などによれば、コーサラ国の王家はイクシュヴァーク王に遡るとされている。プラーナ文献にはイクシュヴァーク王からプラセーナジット王までの王の名が記されている[10]。『ラーマーヤナ』によれば、ラーマが首都アヨーディヤーからコーサラ国を支配したとされる。

仏教経典の『マッジマ・ニカーヤ』(中阿含経)には、ゴータマ・ブッダがコーサラ国の者である[11]こと(コーサラ国が、ゴータマ・ブッダの出身と信じられている釈迦族を属国としていたこと)[12]ジャイナ教において24番目(にして最後)のティールタンカラ(祖師)であるマハーヴィーラがコーサラで説法をしたことが述べられている。マハーコーサラ王の時代に、近隣のカーシー国を征服・併合した[13]。マハーコーサラ王の後を継いだのがプラセーナジット王であり、ゴータマ・ブッダを信奉していた。プラセーナジット王が不在の間、大臣のディーガ・チャラヤナ(Digha Charayana)が息子のヴィドゥーダバを王位につけた[14]。それから遠からず、コーサラ王国は隣国のマガダ国に併合された。

マウリヤ朝以前[編集]

イクシュヴァーク王朝英語版アワド地方のコーサラの民を治めていた[15]マガダ国ハリヤナ王朝英語版アジャータシャトル王との戦いに敗れた[15]

マウリヤ朝期[編集]

マウリヤ朝の時代、コーサラはコーサンビー総督の支配下にあったと考えられている[16]マウリヤ朝の王チャンドラグプタが発行したと考えられている、ソガウラ(Sohgaura:インドウッタル・プラデーシュ州の地名)の銅板の銘には、シュラーヴァスティーにおいて飢饉があり、これについての官僚の対策が描かれている[17]。サンスクリット文献『ガルガ・サンヒター英語版』の「ユガ・プラーナ英語版」の章では、マウリヤ朝最後の王ブリハドラタ英語版の治世に、(コーサラの)サケット英語版が、ヤヴァナ(Yavana:インド・グリーク朝アレクサンダー大王以後もインドにとどまったギリシャ人の国))に侵攻・占領されたことが記されている[18]

マウリヤ朝以後[編集]

マウリヤ朝以後の時代におけるコーサラの支配者の名は、彼らによって発行された四角形の銅貨によって知ることができる。その大部分はアヨーディヤーで発見された[19] 。ムラデーヴァ(Muladeva)、ヴァユデーヴァ(Vayudeva)、ヴィシャカデーヴァ(Vishakhadeva)、ダナデーヴァ(Dhanadeva )、ナラダッタ(Naradatta)、ジェシュタダッタ(Jyesthadatta)、シヴァダッタ(Shivadatta)の名が挙げられる。銅貨にあるムラデーヴァがシュンガ朝ヴァスミトラ英語版を殺害したムラデーヴァかどうかは解明されていない(歴史学者のジャガナート(Jagannath)が解明を試みた)[20] 。ダナデーヴァ王は、アヨーディヤーの碑文におけるダナデーヴァ王(紀元前1世紀)であると同定されている。このサンスクリット語の碑文において、カウシキプトラ・ダナデーヴァ王(King Kaushikiputra Dhanadeva)は父ファルグデーヴァ(Phalgudeva)の記念のため「ケタナ(ketana)」(旗手)の役職を設けたこと、彼自身がシュンガ朝プシャミトラ王から数えて6代目にあたることが記されている[21][22]

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ Mahajan 1960, p. 230.
  2. ^ Samuel, Geoffrey (2010), The Origins of Yoga and Tantra: Indic Religions to the Thirteenth Century, Cambridge University Press, pp. 61–63 .
  3. ^ Michael Witzel (1989), Tracing the Vedic dialects in Dialectes dans les litteratures Indo-Aryennes ed. Caillat, Paris, 97–265.
  4. ^ Raychaudhuri 1972, pp. 85–6.
  5. ^ Raychaudhuri 1972, p. 89.
  6. ^ Law 1973, p. 132.
  7. ^ Pargiter 1972, p. 257.
  8. ^ Samuel, p. 71.
  9. ^ Law 1926, pp. 34–85
  10. ^ Raychaudhuri 1972, pp. 89–90
  11. ^ Oldenburg 1822, p. 393.
  12. ^ Raychaudhuri 1972, pp. 88–9
  13. ^ Raychaudhuri 1972, p. 138
  14. ^ Raychaudhuri 1972, p. 186
  15. ^ a b Sastri 1988, p. 17.
  16. ^ Mahajan 1960, p. 318
  17. ^ Thapar 2001, pp. 7–8
  18. ^ Lahiri 1974, pp. 21–4
  19. ^ Bhandare (2006)
  20. ^ Lahiri 1974, p. 141n
  21. ^ Bhandare 2006, pp. 77–8, 87–8
  22. ^ Falk 2006, p. 149

参考文献[編集]

  1. Bhandare, S. (2006), Numismatic Overview of the Maurya-Gupta Interlude in P. Olivelle, ed., Between the Empires: Society in India 200 BCE to 400 CE, New York: Oxford University Press, ISBN 0-19-568935-6 .
  2. Falk, H. (2006), The Tidal Waves of Indian History in P. Olivelle, ed., Between the Empires: Society in India 200 BCE to 400 CE, New York: Oxford University Press, ISBN 0-19-568935-6 .
  3. Lahiri, B. (1974), Indigenous States of Northern India (Circa 300 B.C. to 200 A.D.), Calcutta: University of Calcutta .
  4. Law, B. C. (1973), Tribes in Ancient India, Poona: Bhandarkar Oriental Research Institute 
  5. Pargiter, F.E. (1972), Ancient Indian Historical Tradition, Delhi: Motilal Banarsidass .
  6. Raychaudhuri, H.C. (1972), Political History of Ancient India, Calcutta: University of Calcutta .
  7. Thapar, R. (2001), Aśoka and the Decline of the Mauryas, New Delhi: Oxford University Press, ISBN 0-19-564445-X