ゲノフェーファ

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ゲノフェーファOp.81 (Genoveva)は、ロベルト・シューマンが作曲した4幕からなるオペラ。読みによっては『ゲノヴェーヴァ』とも表記されるが、読みは一定しない。

作曲の経緯[編集]

着想から作曲、完成まで[編集]

シューマンは『ゲノフェーファ』を作曲する以前の1844年に『海賊』(Der Korsar)と題する最初のオペラを作曲したが、途中で満足できなかったのかそのまま放棄され、現在は断片のみが現存するだけである。『ゲノフェーファ』はシューマンが唯一完成したオペラということになる。

『海賊』の作曲を経て、一時期はオペラの作曲から離れるが、精神疾患に悩まされながらも、1847年3月頃に再びオペラの創作を考え始める。同年の4月1日に、以前からすでに読み終えていたクリスティアン・フリードリヒ・ヘッベル戯曲『ゲノフェーファ』の作曲を決意し、台本の作成を友人で詩人のロベルト・ライニック(Robert Reinick)に依頼する。しかしライニックのテキストに不満を示し、5月14日に原作者のヘッベル本人に助言を求めて直接訪問しているが、ヘッベルからは何も得ることは出来なかったようである[1]。最終的にヘッベルの原作とルートヴィヒ・ティーク(Ludwig Tieck)の戯曲(または悲劇)『聖女ゲノフェーファの生と死』(1820年)を参考したうえ、ライニックの台本を基にシューマン自身が書き改めることになる。

作曲は4月5日序曲の構想及びスケッチを大まかに書き上げており、5月頃には本格的に序曲のスケッチに着手する。同年の12月26日に序曲が完成し、完成後間もなく1848年1月3日に第1幕のスケッチに着手、2月4日に第2幕のスケッチがほぼ終え、3月30日に総譜を完成。第3幕は4月24日に着手したうち5月3日に終わらせ、第4幕を6月27日に終了している。全体の完成は同年の8月4日に完了したが、翌年の1849年まで細部の手直しを行う。

初演と出版[編集]

1850年6月25日[2]に、ライプツィヒの国立歌劇場でシューマン自身の指揮で行われたが[3]、評判は芳しくなく、大きな成功を収めることはできなかった[4]。初演を見た批評家のエドゥアルト・ハンスリックは「叙事詩的」と評している。なお6月30日に友人リーツの指揮による3回目の上演は成功している。初演から30年の間、ドイツの各地で17回上演された記録が残されているが、いずれも成功を収めることはなかった。

1851年に序曲とピアノ・スコアのみが出版され、オペラの総譜は1880年にライプツィヒのペータース社から出版された。

楽器編成[編集]

舞台上(バンダ)
  • 木管楽器:ピッコロ2、クラリネット2
  • 金管楽器:トランペット4、バストロンボーン、トロンボーン3(任意)

登場人物[編集]

人物名 声域
ゲノフェーファ ソプラノ 伯爵の妻
ジークフリート バリトン パルティン領の伯爵
ゴロー テノール ジークフリートの友人、家臣
ヒドゥルフス バリトン トリエルの司教
マルガレータ アルト ゴローの乳母、魔女
ドラゴ バス 侍従
バルトハーザー テノール 猟夫
カスパール バリトン 猟夫

その他(合唱):使用人たち、兵士たち

演奏時間[編集]

全曲は約2時間。第1幕(約30分)、第2幕(約25分)、第3幕(約25分)、第4幕(約30分)

あらすじ[編集]

時と場所:730年頃。ジークフリートの城とその周辺、及び戦地のストラスブール

脚注[編集]

  1. ^ しかしヘッベルは夏にシューマンの許に訪れ、台本の進展について訪ねている。
  2. ^ 当初2月に準備する目的で訪問し、そこで準備する予定だったが、マイアベーアのオペラ『予言者』の上演のために延期される。
  3. ^ 初演当日はフランツ・リストや友人たちが臨席していた
  4. ^ 初演の当日にゴロー役のテノール歌手が第3幕で歌詞を忘れ、混乱するハプニングが起こったが、事なきを得た。

参考資料[編集]

  • 作曲家別名曲解説ライブラリー シューマン(音楽之友社)、他

関連項目[編集]

外部リンク[編集]