ケビン・クーズマノフ

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ケビン・クーズマノフ
Kevin Kouzmanoff
パドレス時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ニューポートビーチ
生年月日 (1981-07-25) 1981年7月25日(42歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 2003年 MLBドラフト6巡目
初出場 2006年9月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ケビン・クーズマノフ(Kevin Kouzmanoff, 1981年7月25日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ニューポートビーチ出身のプロ野球選手三塁手)。右投右打。

マケドニア系アメリカ人であるが、名前の響きからかクラッシン・ロシアン(The Crushin' Russian)という愛称がある[1]

経歴[編集]

インディアンズ時代[編集]

2003年クリーブランド・インディアンスからドラフト6巡目(全体168位)指名を受け入団。 2006年9月8日にトラビス・ハフナーの代役として、インディアンスとメジャー契約を結んだ。9月2日のレンジャーズ戦に7番・指名打者として先発しメジャーデビューすると、二死満塁で迎えた第1打席に初打席初本塁打を放った。「メジャー初打席で満塁本塁打」は史上3人目だった(1人目はビル・ダグリビーフィリーズ)で、1898年4月21日のジャイアンツ戦で記録。2人目はジェレミー・ハーミダマーリンズ)で、2005年8月31日のカージナルス戦で記録している。「初球を打って」となるとクーズマノフが史上初)。その後、シーズン終了まで16試合に出場し、打率.214ながら全12安打の半分近い5本が長打と、パワーを発揮した。

パドレス時代[編集]

2006年11月8日にジョシュ・バーフィールドとのトレードで、アンドリュー・ブラウンとともにサンディエゴ・パドレスへ移籍した。この年パドレスは、防御率リーグ1位の投手陣の活躍で地区優勝しているものの打線が貧弱だったため、強打者の獲得を補強の最優先事項としていた[2]。またこの年は三塁手を固定できず、ビニー・カスティーヤジェフ・ブラムなど6選手を起用したが、計18失策は全ポジション中最多だった[1]。これらの課題を解決する「強打の三塁手」としてクーズマノフに目をつけたパドレスは、150試合に出場して打率.280・13本塁打・58打点・21盗塁という成績を残したバーフィールドを交換相手にしてトレードを成立させた。チーム内からはクーズマノフをギャレット・アトキンスジェイソン・ベイらと比する声もあがっていたが、人気選手のバーフィールドを放出したトレードはファンにとっては不評だった[3]

2007年3月2日にパドレスと1年契約に合意。開幕から正三塁手としてプレイしたが、4月終了時点で打率.113という極度の不振に陥る。しかし5月に月間打率.303を記録し復調すると、後半戦には打率.317を記録するなど結果を残し、ポストシーズン進出争いが激しくなっていたシーズン最後の10試合中9試合で3番打者として先発出場するなど、チームの主軸となった。

アスレチックス時代[編集]

2010年1月16日に、マイナー選手1名とともにスコット・ヘアストンアーロン・カニンガムとのトレードでオークランド・アスレチックスに移籍。開幕から4番で起用され、守備ではDRS13を残したが、打撃では打率.247、16本塁打、OPS.679と低迷。特に四球が少なく出塁率.283を記録した他、得点圏打率.214とチャンスでの凡退が多かった。

2011年は46試合の出場で打率.247、4本塁打、OPS.615と不振に陥り、6月10日に40人枠から外れ、AAA級サクラメント・リバーキャッツへ降格した。

ロッキーズ時代[編集]

2011年8月23日にトレードでコロラド・ロッキーズに移籍。27試合に出場し、3本塁打16打点、打率.255だった。10月5日にFAとなった。

ロイヤルズ傘下時代[編集]

2012年1月13日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ。AAA級オマハ・ストームチェイサーズで56試合に出場し、31打点1盗塁、打率.262だった。7月にAA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズへ降格。34試合に出場し、2本塁打15打点1盗塁、打率.300だった。11月3日にFAとなった。

マーリンズ傘下時代[編集]

2012年11月4日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。

2013年はAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズで60試合に出場し、6本塁打42打点2盗塁、打率.294だった。11月5日にFAとなった。

レンジャーズ時代[編集]

2013年12月12日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ[4]

2014年は開幕をAAA級ラウンドロック・エクスプレスで迎え、4試合に出場後、4月9日にレンジャーズとメジャー契約を結んだ[5]。オフの10月9日に、FAとなった。[6]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2006 CLE 16 61 56 4 12 2 0 3 23 11 0 0 0 0 5 0 0 12 3 .214 .279 .411 .690
2007 SD 145 534 484 57 133 30 2 18 221 74 1 0 2 6 32 2 10 94 9 .275 .329 .457 .786
2008 154 668 624 71 162 31 4 23 270 84 0 0 0 6 23 3 15 139 14 .260 .299 .433 .732
2009 141 573 529 50 135 31 1 18 222 88 1 0 0 6 27 3 11 106 25 .255 .302 .420 .722
2010 OAK 143 586 551 59 136 32 1 16 218 71 2 1 0 5 24 2 6 96 20 .247 .283 .396 .679
2011 46 149 136 13 30 6 0 4 48 17 2 0 0 4 8 0 1 27 2 .221 .262 .353 .615
COL 27 108 98 11 25 5 0 3 39 16 0 0 0 1 4 1 5 19 2 .255 .315 .398 .713
'11計 73 257 234 24 55 11 0 7 87 33 2 0 0 5 12 1 6 46 4 .235 .284 .372 .656
2014 OAK 13 51 47 8 17 6 0 2 29 10 0 0 0 0 2 1 2 7 2 .362 .412 .617 1.029
MLB:7年 685 2730 2525 273 650 143 8 87 1070 371 6 1 2 28 125 12 50 500 77 .257 .302 .424 .726

脚注[編集]

  1. ^ a b Corey Brock / MLB.com, "Notes: Kouzmanoff catches praise / Known for his big bat, Padres third baseman flashing leather," The Official Site of The San Diego Padres, March 7, 2007. 2008年3月20日閲覧。
  2. ^ 三浦勝夫 「全30球団チーム別シーズン総括 サンディエゴ・パドレス/SD 投手陣の奮闘により2年連続地区優勝」 『月刊スラッガー』2007年1月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-1、83頁。
  3. ^ Tom Krasovic, "On Kooz control," The San Diego Union-Tribune, February 23, 2007. 2008年9月17日閲覧。
  4. ^ Rangers sign Kevin Kouzmanoff, Brent Lillibridge NBC Sports
  5. ^ Rangers Purchase Kouzmanoff from Round Rock; Designate Rosin for Assignment”. MLB.com Rangers Press Release (2014年4月9日). 2014年4月10日閲覧。
  6. ^ Kevin Kouzmanoff and J.P. Arencibia opt for free-agency

外部リンク[編集]