ギジェルモ・モスコーソ

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ギジェルモ・モスコーソ
Guillermo Moscoso
横浜DeNAベイスターズ時代
(2014年3月9日、横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 アラグア州マラカイ
生年月日 (1983-11-14) 1983年11月14日(40歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 アマチュア・フリーエージェント
初出場 MLB / 2009年5月30日
NPB / 2014年4月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
国際大会
代表チーム コロンビアの旗 コロンビア
WBC 2017年

ギジェルモ・アレハンドロ・モスコーソGuillermo Alejandro Moscoso , 1983年11月14日 - )は、ベネズエラアラグア州マラカイ出身のプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

タイガース傘下時代[編集]

2003年に、アマチュアFAでデトロイト・タイガースと契約。

レンジャース時代[編集]

2008年12月にジェラルド・レアードとの交換で、マイナー1選手と共にテキサス・レンジャーズへ移籍した[1]

2009年5月30日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビュー。このシーズンは全てリリーフで10試合に登板したが勝敗は付かなかった。

2010年は、主にAAA級オクラホマシティ・レッドホークスでプレー。メジャーでの登板は1試合のみだった。オフには、ベネズエラウィンターリーグであるリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル所属のレオネス・デル・カラカスでプレーし、10試合(先発8)に登板して3勝0敗、防御率2.66という成績だった[2][3]

アスレチックス時代[編集]

オークランド・アスレチックス時代
(2011年6月7日)

2011年1月8日にライアン・ケリー英語版とのトレードでオークランド・アスレチックスに移籍した[2]。5月24日に故障者リスト入りしたタイソン・ロスと入れ替わる形でメジャーに昇格すると、その後は先発ローテの一角としてメジャーに定着した。9月7日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦では、8回二死からサルバドール・ペレスに右前打を許すまで、ノーヒットノーランという好投を見せた[4]。23試合の登板で8勝10敗だった。

ロッキーズ時代[編集]

2012年1月16日にセス・スミスとのトレードでジョシュ・アウトマンと共にコロラド・ロッキーズへ移籍した[5]

ロッキーズ時代

カブス傘下時代[編集]

2012年11月3日にウェーバーでカンザスシティ・ロイヤルズに移籍した[6]

2013年3月13日に放出された[7]。3月27日にシカゴ・カブスと契約[8]

ジャイアンツ時代[編集]

2013年7月26日にトレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍[9]。13試合に登板し2勝2敗。11月20日にDFAとなり、翌日の11月21日にFAとなった。

DeNA時代[編集]

2013年12月26日に横浜DeNAベイスターズが獲得したことが発表された[10]

2014年シーズンの開幕から先発ローテーションの一角に定着。ユリエスキ・グリエルの加入に伴う外国人枠の関係で一時は二軍落ちするも、トニ・ブランコの故障で再度一軍昇格。その後はローテーションを外れることなく、シーズン最終登板で規定投球回に到達。9勝を挙げ、2003年ドミンゴ・グスマンが記録したベイスターズの外国人投手シーズン最多勝記録(8勝)を更新した。10月7日に2015年シーズンも契約する事が発表された。[11]

2015年は前年と同じく先発として起用され、3・4月は4試合に投げて3勝1敗と活躍していた。しかし4月22日の対阪神タイガース戦で負傷緊急降板し[12]、それ以降は1勝もあげることができず成績不振に陥った。一時的にリリーフへ配置転換されたが、救援防御率16.20と活躍することはできなかった。

2016年には序盤不振が続くも、5月の読売ジャイアンツ戦で初完投勝利を収める。しかし、その後再び不振が続き、7月に二軍落ち。すると、9月17日に再び一軍登録され、阪神戦(甲子園)に先発。6回2失点で勝利投手となった。これが自身の日本での最後の勝利となった。また、チームは3位となり11年ぶりのAクラスを達成。球団史上初のクライマックスシリーズに進出し、巨人を相手に2勝1敗で1stステージを突破。ファイナルステージでは10月12日の対広島東洋カープ戦の初戦で先発し、7回途中まで2失点と粘るも、集中打を浴びノックアウトされる。これがNPBでの最後の登板となった。12月2日に自由契約公示された[13]

DeNA退団後[編集]

2017年は、第4回WBCにベネズエラ出身ながらもコロンビア代表として選出。3月10日の1次ラウンドプールCにおけるアメリカ合衆国戦で、2-2の同点の場面に9回一死からリリーフとして登板。延長10回二死まで追い込むも、2四球などで二・三塁とピンチを作り、アダム・ジョーンズに2ストライクから真ん中に入ったスライダーをサヨナラ中前打にされ、敗戦投手となった[14][15]。3月7日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルレオン・ブラボーズと契約。16試合に登板し7勝3敗、防御率3.89[3]。オフはベネズエラのウィンターリーグに参加し、ティグレス・デ・アラグアに所属した。14試合に全て先発として登板。5勝2敗、防御率2.05[3]の好成績を残し、ベネズエラの年間最優秀投手賞を獲得した[16]

2018年2月7日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ[17]。6月29日にFAとなった。7月3日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルレオン・ブラボーズに復帰。

2019年は当初メキシコシティ・レッドデビルズと契約したが、登板がないまま4月23日にレオン・ブラボーズに移籍した。7月2日にトレードでプエブラ・パロッツに移籍[18]。11月29日に再びトレードでレオン・ブラボーズに復帰[18]

2020年2月17日にレオン・ブラボーズを自由契約となった。この年は春から秋まではプレーせず、ベネズエラのウィンターリーグのみでプレーし、カリビアンシリーズにも出場した。

2021年も春から秋まではプレーせず、ベネズエラのウィンターリーグのみでプレー。12月20日にレオン・ブラボーズと契約[19]

選手としての特徴[編集]

主な球種は、平均91マイル(約146.4km/h)の速球と、カーブチェンジアップ、スライダー[20]

フライボールピッチャーであり、2011年はゴロ率が26.8%だったのに対し、フライ率は55.5%に達した[20]。 なお、日本での最速球速は、150km/h[21]である。

人物[編集]

愛称は「ジーモ[22]

2016年4月に生まれた娘にはミドルネームに「サクラ」と付けた[23][24]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2009 TEX 10 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 64 14.0 15 1 6 0 1 12 4 0 7 5 3.21 1.50
2010 1 0 0 0 0 0 1 0 0 ---- 7 0.2 2 0 2 0 1 2 0 0 2 2 27.00 6.00
2011 OAK 23 21 0 0 0 8 10 0 0 .444 526 128.0 102 14 38 1 2 74 0 1 59 48 3.38 1.09
2012 COL 23 3 0 0 0 3 2 0 1 .600 231 50.0 67 8 19 0 1 47 5 0 34 34 6.12 1.72
2013 SF 13 2 0 0 0 2 2 0 0 .500 128 30.0 20 5 21 3 3 31 5 0 17 17 5.10 1.37
2014 DeNA 24 24 2 0 0 9 9 0 0 .500 608 146.0 133 15 45 0 2 96 1 3 57 55 3.39 1.22
2015 15 11 0 0 0 3 6 0 2 .333 267 60.2 62 8 27 1 1 54 2 0 36 35 5.19 1.47
2016 13 13 1 0 0 5 7 0 0 .417 342 80.0 88 15 19 1 0 65 5 0 47 46 5.18 1.34
MLB:5年 70 26 0 0 0 13 14 0 1 .481 956 222.2 206 28 86 4 8 166 14 1 119 106 4.28 1.31
NPB:3年 52 48 3 0 0 17 22 0 2 .436 1217 286.2 283 38 91 2 3 215 8 3 140 136 4.27 1.30
  • 2020年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

NPB
投手記録
打撃記録

背番号[編集]

  • 58 (2009年 - 2010年)
  • 52 (2011年)
  • 56 (2012年)
  • 34 (2013年)
  • 49 (2014年 - 2016年)

脚注[編集]

  1. ^ Rangers trade Laird to Tigers for pair of pitchers. USATODAY.com(英語). 2011年10月2日閲覧
  2. ^ a b Lee, Jane(2011-01-08). A's bring over Moscoso in trade with Texas. oaklandathletics.com(英語). 2011年10月2日閲覧
  3. ^ a b c Guillermo MoscosoBaseball-Reference.com
  4. ^ Lee, Jane(2011-09-07). A's Moscoso flirts with history against KC. MLB.com(英語). 2011年10月2日閲覧
  5. ^ Dierkes, Tim(2012-01-16). Athletics Acquire Seth Smith. MLBTraderRumors.com(英語). 2012年1月24日閲覧
  6. ^ Royals claim RHP Moscoso, C Hayes off waivers Yahoo! Sports
  7. ^ Royals To Release Guillermo Moscoso MLB Trade Rumors
  8. ^ Cubs claim reliever Moscoso off waivers ESPN Chicago
  9. ^ Giants officially add Moscoso, drop Petit MLB.com
  10. ^ 選手獲得のお知らせ横浜球団公式サイト 2013年12月26日配信
  11. ^ 2015年度 選手契約について公式サイト 2014年10月7日配信
  12. ^ DeNAモスコーソ、負傷緊急降板も「次は大丈夫」 - 日刊スポーツ(2015年4月23日)
  13. ^ 自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
  14. ^ 優勝候補アメリカ、コロンビアに大苦戦も延長10回サヨナラで初戦を飾る!World Baseball Classic(ワールドベースボールクラシック)
  15. ^ 1次ラウンド プールC アメリカ vs コロンビアWorld Baseball Classic(ワールドベースボールクラシック)
  16. ^ 元DeNAモスコーソ、ベネズエラ年間最優秀投手に 目標は「メジャー復帰」Full-count 2018年1月18日配信
  17. ^ 元DeNAモスコーソがド軍とマイナー契約 34歳右腕は5年ぶりメジャー復帰なるかFull-count 2018年1月22日配信
  18. ^ a b MLB公式プロフィール参照。2021年12月25日閲覧。
  19. ^ Guillermo Moscoso se une a los regresos de Bravos de León para 2022”. Deporte Digital MX (2021年12月20日). 2021年12月25日閲覧。(スペイン語)
  20. ^ a b Guillermo Moscoso » Statistics » Pitching | FanGraphs Baseball
  21. ^ 2014年4月27日阪神戦 他3試合で記録。
  22. ^ “モスコーソ「ジーモと呼んで」 覚えた日本語は「ヤキニク」”. スポニチ Sponichi Annex. (2014年1月30日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/01/30/kiji/K20140130007487120.html 2015年12月2日閲覧。 
  23. ^ Deモスコーソ 愛娘サクラへ白星贈る
  24. ^ ベイスターズ情報@サンスポ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]