カーメン・ブラッカー

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カーメン・ブラッカー
人物情報
生誕 (1924-07-13) 1924年7月13日
イギリスの旗 イギリス ケンジントン
死没 2009年7月13日(2009-07-13)(85歳)
出身校 ロンドン大学東洋アフリカ研究学院慶應義塾大学
学問
研究分野 東洋学(日本学)、民俗学
研究機関 ケンブリッジ大学
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カーメン・ブラッカーCarmen Blacker1924年7月13日2009年7月13日)は、イギリスサリー出身の日本学者民俗学者ケンブリッジ大学東洋学部教授。1982年から1984年まで英国民俗学会長を務めた。

経歴[編集]

1924年、イギリスケンジントンで生まれた。父は優生学者のカルロス・ブラッカーロンドン大学東洋アフリカ研究学院で学んだ。第二次世界大戦中にブレッチリー・パークに置かれた政府暗号学校にスカウトされ、業務に従事。1947年、東洋アフリカ研究学院を卒業。同年、オックスフォードサマーヴィル・カレッジに入学。

1952年より日本を訪問。慶應義塾大学に留学し、福沢諭吉の研究も行った。1955年、ケンブリッジ大学助教に就任。1975年には南方熊楠に関する著書『The Catalpa Bow』、「あずさ弓 日本におけるシャーマン的行為」(秋山さと子訳、岩波書店)を著した。1997年には南方熊楠特別賞を受賞している[1]

2009年7月13日、85歳で亡くなっている[1][2]

家族・親族[編集]

著作[編集]

脚注[編集]