オリジナル10

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オリジナル10(オリジナルテン)は、1992年日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)発足時に加盟した10クラブを指す通称。いずれもJリーグを支える名門クラブである。該当するクラブの公式サイト[1][2][3]や一部の報道[4][5][6]で用いられるが、この用語の発祥時期や命名者については詳しくは分かっていない。

Jリーグが開幕するまでは、10クラブのうち清水エスパルスを除く9クラブが日本サッカーリーグ(JSL)所属で、うち鹿島アントラーズを除く8クラブはJSL1部に所属していた。1999年に横浜フリューゲルス横浜マリノスが統合したため、現存するクラブは9。

選定の経緯[編集]

Jリーグの発足に当たり、初代Jリーグチェアマンを務めた川淵三郎をはじめとする準備メンバーは、「クラブの法人化」「ホームタウンの確立」「1万5000人以上収容可能なナイター設備付きの競技場の確保」「18人以上のプロ選手との契約」「下部組織の運営」など7つの参加要件を提示[7]。大半のサッカーチームが企業の傘下にある実業団だった当時としては相応に高いハードルとも思われたが[8]、1990年6月までに合計20団体から応募があった。当初はここから8クラブにまで絞り込む予定であったが、14クラブにまで絞り込んだ時点で「バブル景気の下、当時活発だった企業の社会貢献メセナ)ブームもあって、加盟を熱望する団体があまりにも多いため」(川淵談[7])、初年度参加クラブを10クラブに枠を広げることとなった[8]

選定の過程で、地域バランスなどを考慮して、JSL1部加盟クラブである古河電工(東日本JR古河)三菱自工読売クラブ日産自動車全日空(全日空佐藤工業)トヨタ自動車松下電器マツダの8クラブの加盟が内定し、残りの2枠を清水市民クラブ、ヤマハ発動機ヤンマー日立製作所フジタ住友金属の6クラブで争うこととなった[7]。清水とヤマハは共に静岡県をホームタウンとし、参加希望を募った時点で検討委員会が両者の一本化を働きかけたが、結果的にそれぞれが単独で参加を希望した[8]

この中で、清水市民クラブは母体である清水FC(後の清水エスパルス)が日本サッカーのリーグ構成における「4部」相当のリーグである静岡県リーグ[注釈 1]所属にとどまっており戦力面での問題があったものの、1991年の高校総体サッカー競技のためにつくられた日本平運動公園球技場があったこと[8]など、他の参加要件が他クラブに比べて頭一つ抜けており、まず一枠を清水とすることでまとまった[7]

カシマスタジアム

残り一枠については、天皇杯優勝経験のあるヤマハ・ヤンマー・日立・フジタの中から1クラブを選出することがほぼ決まっており、JSL2部所属で天皇杯優勝経験もない住友金属については当時の鹿島町長や住友金属幹部らに川淵が「住友金属さんが加盟できる確率はほとんどゼロなのです。99.9999%無理ですよ」と公言するほど分が悪かったという[7]。それでもあきらめない住友金属関係者に対し、川淵は参加を諦めさせる最後の手段として「(当時の日本にはなかった)観客席に屋根の付いた1万5000人収容のサッカー専用競技場を建設できるなら考えましょう」と発言[7][注釈 2]。これに対して当時の茨城県知事・竹内藤男が屋根付きの専用スタジアム(=カシマスタジアム)を建設することを確約したことが決定的な要因になり、逆転で住友金属が最後の一枠に滑り込んだ形となったという[8]

最後まで選考対象に残りながら落選したヤマハ(後のジュビロ磐田)・ヤンマー(セレッソ大阪)・日立(柏レイソル)・フジタ(後の湘南ベルマーレ)はジャパンフットボールリーグ(旧JFL)を経てそれぞれ1995年までにJリーグ参入。Jリーグ開幕前年の1991-1992年シーズンにJSL1部に所属していた12クラブのうち、初年度加入の8クラブとヤマハ・日立を除く2クラブ、すなわち東芝本田技研工業はJリーグ入会を希望せず旧JFLで活動を継続した。東芝は本拠地を北海道に移してコンサドーレ札幌として1998年にJリーグに加盟した一方、本田技研工業は2024年現在、未だJリーグに未加盟である。

オリジナル10一覧[編集]

  • クラブの名称、ホームタウンの自治体名および範囲は当時のもの。
  • 2023年現在、J2降格経験がないのは鹿島と横浜FMの2クラブ。
チーム呼称 登録チーム名 ホームタウン 前身組織 Jリーグ開幕
前年度成績
備考
カシマ/鹿島アントラーズ 鹿島アントラーズ カシマ/茨城県鹿島郡鹿島町ほか[† 1] スミトモ/住友金属 JSL2部・2位
シエフ/ジェフユナイテッド市原 東日本JR古河サッカークラブ イチハラ/千葉県市原市 フルカワ/古河電工 JSL1部・07位 現チーム呼称:ジェフユナイテッド千葉
現登録チーム名:ジェフユナイテッド市原・千葉
ウラワ/浦和レッドダイヤモンズ 三菱浦和フットボールクラブ ウラワ/埼玉県浦和市 ミツビシ/三菱自工 JSL1部・11位 現チーム呼称:浦和レッズ
現登録チーム名:浦和レッドダイヤモンズ
ウエル/ヴェルディ川崎 読売日本サッカークラブ カワサキ/神奈川県川崎市 ヨミウリ/読売クラブ JSL1部・01位/優勝 現チーム呼称:東京ヴェルディ
現登録チーム名:東京ヴェルディ1969
ヨコハママ/横浜マリノス 日産F.C.横浜マリノス ヨコハママ/神奈川県横浜市 ニッサン/日産自動車 JSL1部・02位 1999年に統合。
現チーム呼称・登録チーム名:横浜F・マリノス
ヨコハマフ/横浜フリューゲルス 全日空佐藤工業サッカークラブ ヨコハマフ/神奈川県横浜市[† 2] ゼンニツクウ/全日空 JSL1部・08位
シミズ/清水エスパルス 清水FCエスパルス シミズ/静岡県清水市 シミズ/清水FC 現登録チーム名:清水エスパルス
ナゴヤ/名古屋グランパスエイト 名古屋グランパスエイト ナゴヤ/愛知県名古屋市 トヨタ/トヨタ自動車 JSL1部・12位 現チーム呼称:名古屋グランパス
オオサカ/ガンバ大阪 パナソニックガンバ大阪 スイタ/大阪府吹田市 マツシタ/松下電器 JSL1部・05位 現登録チーム名:ガンバ大阪
ヒロシマ/サンフレッチェ広島 サンフレッチェ広島F.C ヒロシマ/広島県広島市 マツダ/マツダ JSL1部・06位
  1. ^ 鹿島郡鹿島町・大野村神栖町波崎町行方郡潮来町
  2. ^ 当初は長崎県熊本県鹿児島県を特別活動区域としていた。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 当時はJSLが2部制、JSLの下位リーグである東海リーグ地域リーグ)が1部制であった。
  2. ^ ただし、後の川淵の回顧によると、この条件提示は(大半のスタジアムの建設管理主体である)行政機関のいわゆる「前例主義」に着目し、「観客席に屋根があり、しかも1万5000人収容できるサッカー専用の競技場という、これからのリーグ発展を強力に後押しするような良き前例を、われわれとしても作っておきたかった」との思惑があったことを明かし、単に住友金属に参加を断念させるための方便だけではなかったとも説明している[7]

出典[編集]

  1. ^ 2014.05.10 13:00 Rival Match”. 名古屋グランパス. 2024年2月18日閲覧。
  2. ^ 3/16(日)千葉戦でJリーグスタジアムグルメ大賞、殿堂入りの名店「喜作」が味スタに登場!”. 東京ヴェルディ (2014年3月11日). 2024年2月18日閲覧。
  3. ^ 3連戦最後となるホーム鹿島戦で勝利を”. 浦和レッズ (2014年7月25日). 2024年2月18日閲覧。
  4. ^ “清水 執念ドローで残留「オリジナル10」のプライド守った”. スポーツニッポン. (2014年12月7日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/12/07/kiji/K20141207009414410.html 2015年5月24日閲覧。 
  5. ^ 相沢光一 (2014年12月9日). “今季のJリーグが終了。優勝、残留、昇格争いに老舗「オリジナル10」に含まれるチームが絡む”. ダイヤモンドオンライン. 2015年5月24日閲覧。
  6. ^ 名古屋が初のJ2降格”. 日本放送協会 (2016年11月3日). 2016年11月3日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g 河原潤 (2010年2月2日). “「走りながら考えて、幾多の障壁を乗り越えていく」――川淵三郎氏が語る、日本サッカー変革の軌跡”. ITmediaエグゼクティブ. 2017年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月20日閲覧。
  8. ^ a b c d e 大住良之 (2012年6月26日). “順風満帆ではなかったプロサッカーの船出 Jリーグを創った男・佐々木一樹 第2回”. スポーツナビ. 2023年6月10日閲覧。

関連項目[編集]