オットー・デンプヴォルフ

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オットー・デンプヴォルフ
人物情報
生誕 (1871-05-25) 1871年5月25日
ロシア帝国ピラウ(現ロシアの旗 ロシア カリーニングラード州バルチースク)
死没 1938年11月27日(1938-11-27)(67歳)
ドイツの旗 ドイツ ハンブルク
出身校 ハンブルク大学
学問
研究分野 医学言語学
研究機関 ハンブルク大学
学位 博士
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オットー・デンプヴォルフドイツ語: Otto Heinrich Louis August Dempwolff, 1871年5月25日ピラウ(現ロシアカリーニングラード州バルチースク) - 1938年11月27日ハンブルク)はドイツ医師言語学者人類学者

経歴[編集]

1871年、ロシア帝国ピラウ(現ロシアカリーニングラード州バルチースク)に生まれた。医学を修め、ドイツ領ニューギニアドイツ領東アフリカで医師として勤務。その傍ら、言語学の研究を始め、ハンブルク大学カール・マインホフ(Carl Meinhof)の下で研鑽を積んだ。1892年、ベルリン大学で博士号を取得。船医としての長い航海を経て、1911年からハンブルク大学で教職に就き、1918年ハンブルク大学の教授に就任した。

研究内容・業績[編集]

デンプヴォルフはアウストロネシア語族の研究で有名。東南アジア、マダガスカルからオセアニアの島嶼部の諸言語を初めて包括的に比較研究し、アウストロネシア(マレー・ポリネシア)諸語が1つの語族に属することを明らかにし、その祖語再構を試みた。現在もデンプヴォルフの成果を基礎にして研究が行われている。

著作[編集]

脚注[編集]