オスバルド・フレセド

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オスバルド・フレセド
別名 El pibe de La Paternal
パテルナルの坊や
生誕 1897年3月5日
出身地 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
ブエノスアイレス
死没 (1984-11-18) 1984年11月18日(87歳没)
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
ブエノスアイレス
ジャンル タンゴ
職業 指揮者バンドネオン奏者作曲家
担当楽器 バンドネオン

オスバルド・フレセドOsvaldo Fresedo, 1897年3月5日 - 1984年11月18日)は、タンゴの楽団代表、作曲家、バンドネオン奏者として活躍したアルゼンチンの音楽家。

生涯[編集]

1897年3月5日に、アルゼンチンのブエノスアイレスに生まれる。ピアノ教師の母親の元に育つ。

十代より、プロのバンドネオン奏者として活躍する。1918年に、自身が代表を務めるタンゴ楽団を結成する。オスバルド・フレセド楽団は、タンゴ黄金期で一斉を風靡したオデオン五大楽団[1]の一つとなる。1920年アメリカ合衆国に演奏旅行をした際、最初のレコード録音をする。1928年より、フランス・パリのキャバレーで活躍する。その後、ブエノスアイレスに戻り活動を長きに渡り続け、1980年に引退している。オスバルド・フレセド楽団の特徴としては、ハープドラムなどの楽器を加えたり、トランペットと共演するなどの、斬新性がある。

1984年11月18日に死去。

音源[編集]

YouTubeに、いくつかオスバルド・フレセド楽団の録音が、アップロードされている[2][3][4]。このほか、残された録音は多い。

主要作品[編集]

  • 私のタンゴ Tango mio
  • エル・オンセ El Once
  • アラバレーロ Arrabalero

脚注[編集]

外部リンク[編集]