オスカー・ムーア

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オスカー・ムーア(左)、ナット・キング・コール(手前)、ウェズリー・プリンス(右)。1946年6月ころ、ウイリアム・ゴッドリーブ撮影。

オスカー・ムーアOscar Moore1916年12月25日 - 1981年10月8日)は、アメリカ合衆国スウィング・ジャズギタリスト

ムーアはテキサス州に生まれ、兄ジョニー (Johnny Moore) ともどもギターを演奏するようになった[1]1930年代になって、一家がロサンゼルスへ移り住むと、兄弟はギタリストとして頭角を現すようになった[1]

ムーアは、1937年から1947年まで、ナット・キング・コールが率いたザ・ナット・キング・コール・トリオの一員であり、当時コールが録音したほとんどすべてのレコードで演奏をしている。ムーアは優れた、影響力のあるギタリストであったが、自身はチャーリー・クリスチャンから影響を受けていた。バーニー・ケッセルは、スモール・コンボにおけるジャズ・ギタリストの役割を確立したのはムーアだったと述べたことがある。ムーアは、ライオネル・ハンプトンアート・テイタム1941年)、ザ・キャピトル・ジャズメン、レスター・ヤングなどとも吹き込みを行なった。

コールのトリオを離れた後のムーアは、運に恵まれず、大きな成功を収めることはなかった。1947年から1950年代半ばまでは、兄ジョニー・ムーアのグループであったジョニー・ムーアズ・スリー・ブレイザーズ (Johnny Moore's Three Blazers) に加わったが、ピアニストで歌手だったチャールズ・ブラウンがグループを離れた後、グループの人気は衰えていった。1953年から1954年にかけて、ムーアはヴァーヴとタンパ (Tampa)から3枚のレコードを出した。その後は、1965年に制作されたコールのトリビュート・アルバムに参加したのを唯一の例外として、音楽の世界を離れた。さらにその後は、ロサンゼルスに居を定め、れんが積み職人 (bricklayer) として働いていた。

出典・脚注[編集]

  1. ^ a b Chadbourne, Eugene. Johnny Moore - オールミュージック. 2013年12月24日閲覧。

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