オスカー・フェルツマン

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オスカー・ボリソヴィチ・フェルツマン
基本情報
生誕 (1921-02-18) 1921年2月18日
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の旗 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国オデッサ
出身地  ウクライナ
死没 (2013-02-03) 2013年2月3日(91歳没)
ロシアの旗 ロシア モスクワ
ジャンル クラシック音楽
活動期間 1940年代 - 2013年
公式サイト 公式サイト
ウラジーミル・プーチン大統領(左)とオスカー・フェルツマン(2001年)

オスカー・ボリソヴィチ・フェルツマンロシア語: Оскар Борисович Фельцман, ラテン文字:Oscar Borisovich Feltsman, 1921年2月18日 - 2013年2月3日)は、ウクライナ出身のロシア連邦作曲家ピアニストヴラジーミル・フェルツマンの父。

日本語表記では名と姓がそれぞれ「オスカル」「フェリツマン」などと表記されることもある。

人物[編集]

ウクライナオデッサ出身。父は整形外科医だったがプロ並みのピアノの腕前を持っていた。オスカーも5歳からピアノとヴァイオリンを学んだ。6歳の時に早くもピアノ曲を作曲している。1939年モスクワ音楽院に入学し、ヴィッサリオン・シェバリーンに作曲を師事した。

独ソ戦が始まるとノヴォシビルスクに避難し、20歳でシベリア作曲家連盟の書記となった。この時期にはレニングラード・アレクサンドリンスキー劇場やベラルーシ・ユダヤ劇場のためにオーケストラ曲を提供している。また同時期に作曲したオペレッタ『青いスカーフ』はプラウダで批判された。

1945年モスクワに帰還した後は、数々のオペレッタを作曲する一方、クラシック音楽の手法を用いてサーカスのための音楽や子どものためのバラエティーショーの音楽も作曲している。1952年には『ヴァイオリン協奏曲』を作曲したが、それ以降作曲の中心は歌曲に移った。ダークダックスが歌い、日本ではロシア民謡として紹介された「すずらん」(ロシア語: Ландыши)はフェルツマンの歌曲分野での代表作である[1]

2013年2月3日、モスクワ市内の病院にて急性心不全により永眠[2]。91歳没。

脚注[編集]

  1. ^ ソ連では、1959年の発表直後、広く愛唱されたが、後に当局より社会主義の精神に反する歌とされ、長い間、公の場で演奏されることがなくなった。
  2. ^ Author of Yury Gagarin's song Oscar Feltsman dies at 92 プラウダ 2013-2-4

参考文献[編集]

外部リンク[編集]