エリコ大虐殺

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ジャン・フーケ『エリコの奪取』 1485年頃 フランス国立図書館

エリコ大虐殺(エリコだいぎゃくさつ)は、紀元前1300年〜紀元前1200年前後の時代に、パレスチナエリコ(イェリコ、ジェリコ)の民(カナーン人)に対して行われたと伝えられる大量虐殺である。

イスラエル人の指導者ヨシュアと古代イスラエルの連合軍によってなされた。『旧約聖書』が伝えるところでは、エリコの民は女性子供乳幼児も含めて全員が虐殺されたという。

考古学的検証[編集]

考古学上の研究によれば、古代のイスラエル人がカナーンに入植した当時、エリコは既に土砂に埋まっており、廃墟であったとされている。

例えば、アメリカの考古学者ウィリアム・F・オルブライトは、紀元前12世紀に激しい戦闘によりラキシュやハツォルのような都市が破壊された事実を確認した。しかしながら、ヨシュアが征服したとされる他の都市では破壊の痕跡を発見できなかった。さらに、アイやエリコについて人が住んでいた証拠を発見できなかった。

よって、旧約聖書のエリコにおけるイスラエルの大勝利の記述は史実ではなく、かなりの部分が後世の創作であると考えられている[1]

脚注[編集]

  1. ^ 高橋正男監修、ジョン・ロジャーソン著 『旧約聖書の王歴代誌』 創元社、51-53頁。

関連項目[編集]