ウィルフレード・カバジェロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィリー・カバジェロ
アルゼンチン代表でのカバジェロ(2018年)
名前
本名 ウィルフレード・ダニエル・カバジェロ・ラスカーノ
Wilfredo Daniel Caballero Lazcano
愛称 Willy
ラテン文字 Wilfredo CABALLERO
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1981-09-28) 1981年9月28日(42歳)
出身地 サンタ・エレナスペイン語版
身長 186cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2004 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 15 (0)
2004-2011 スペインの旗 エルチェ 186 (0)
2006 アルゼンチンの旗 アルセナル (loan) 13 (0)
2011-2014 スペインの旗 マラガ 117 (0)
2014-2017 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 23 (0)
2017-2021 イングランドの旗 チェルシー 11 (0)
2021-2023 イングランドの旗 サウサンプトン 2 (0)
通算 367 (0)
代表歴2
2001 アルゼンチンの旗 アルゼンチン U-20 2 (0)
2004  アルゼンチン U-23 0 (0)
2018 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 5 (0)
監督歴
2023- イングランドの旗 レスター・シティ(アシスタント)
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
2004 アテネ サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。2023年6月2日現在。
2. 2018年6月25日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ウィルフレード・ダニエル・カバジェロ・ラスカーノWilfredo Daniel Caballero Lazcano, 1981年9月28日 - )は、アルゼンチンエントレ・リオス州出身の元サッカー選手。元アルゼンチン代表。ポジションはゴールキーパー

愛称は「ウィリー (Willy) 」。

クラブ経歴[編集]

2001年にボカ・ジュニアーズでキャリアを始め、2003年に3つの主要なタイトルを獲得。12月14日、インターコンチネンタルカップACミランを3-1で破り優勝する瞬間をベンチから眺めていた。

2004年、スペインセグンダ・ディビシオンエルチェCFと契約を結び、2006年に母国のアルセナルFCへ貸し出された。エルチェでの加入1年目は10試合だったが、レンタルから復帰以降は正GKの座を掴み、2部で約200試合以上に出場した。

2011年2月10日、ルベン・マルティネスセルヒオ・アセンホが相次いで負傷してGK不足に陥っていたマラガCFに緊急補強として移籍金90万ユーロ・2年半の契約で加入[1]。2月20日、1-1で引き分けたビジャレアルCF戦でプリメーラ・ディビシオンデビューを果たし[2]、降格圏を抜け出し残留が決定するシーズン終了まで全試合に出場した。

10月1日のヘタフェCF戦で480分間無失点を達成。2001-02シーズンペドロ・コントレラスが残した429分のクラブ記録を塗り替えた。10月16日、レバンテUD戦でペナルティーエリア外で手でボールに触れたことにより前半途中に退場し、チームは0-3で敗れた[3]

2012年1月18日、マラガとの契約を2016年までに延長した[4]。3月25日、RCDエスパニョール戦で試合序盤に左手を骨折したことで、シーズン残りの欠場を余儀なくされた[5]

2014年7月、恩師マヌエル・ペレグリーニの誘いもありマンチェスター・シティFCに移籍決定。契約は3年間。始めはジョー・ハートの控えという立ち位置だったが、2016-17シーズンにジョゼップ・グアルディオラが監督に就任するとハートはトリノFCに放出され、先発の座をつかんだ。その後グアルディオラが教え子のクラウディオ・ブラーボを獲得すると再び控えに戻ったが、ブラーボが低調なパフォーマンスを繰り返したことで再び先発の座を掴み、そのままシーズン終了まで試合に出場した。シーズン終了後、契約満了によりマンチェスター・シティを退団。

2017年7月1日、フリートランスファーでチェルシーFCに加入[6]。以降約2シーズン半に渡り控えGKを務めていたが、2019-20シーズンは守護神ケパ・アリサバラガのパフォーマンスが安定せず、第25節のレスター戦以降は3試合にスターティングメンバーに名を連ねた[7]。また最終節でも先発出場、安定したプレーを見せて勝利に貢献[8]、来季のチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

2020‐21シーズンはエドゥアール・メンディの加入により、第3GKに降格。チャンピオンズリーグ決勝、古巣マンチェスターシティ戦にベンチに名を連ねた。チームは勝利し優勝を果たしたが出場できなかった。シーズン終了後に契約満了により退団が発表された。

2021年12月6日、怪我でGK不足に至っていたサウサンプトンに、2022年1月5日までの短期契約を締結したと発表した。同年1月7日、シーズン終了までの契約延長を発表した[9]。加入直後は、アレックス・マッカーシーフレイザー・フォースターが負傷離脱していたため試合に出場していたが、フォースター復帰後は第2GKに降格し、マッカーシーが復帰するとベンチからも外れるなどと、シーズン通してリーグ戦の出場は2試合に留まった。

2022-23シーズンも残留したがリーグ戦での出場はなく、シーズン終了後に退団した。

2023年7月9日、レスター・シティFCのアシスタントマネージャーに就任することが発表された[10]

代表経歴[編集]

U-20代表時代に2001 FIFAワールドユース選手権のメンバーに選ばれ、準決勝・決勝と2試合ゴールマウスを守り優勝に貢献[11]アテネオリンピックではヘルマン・ルクスの控えだったため出場はなかった。

アルゼンチンA代表としては、FIFAコンフェデレーションズカップ2005のメンバーに選ばれるも出場はなかった。長らく代表デビューの機会が訪れなかったが、2018年3月23日に行われたイタリアとの親善試合でアルゼンチン代表デビューを果たした。

2018 FIFAワールドカップでは正GKのセルヒオ・ロメロが右膝の負傷で離脱したことで正GKとして臨むも、クロアチア戦で痛恨のキックミスからアンテ・レビッチにゴールを許しクロアチアに敗れ「歩く大災害」「愚かすぎる」などの多くの批判を受け[12]、以降の試合はフランコ・アルマーニに正GKの座を奪われた。またクロアチア戦のミスで家族が脅迫を受ける事態となった[13]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ボカ・ジュニアーズ
マンチェスター・シティ
チェルシー

代表[編集]

アルゼンチン代表

脚注[編集]

外部リンク[編集]