アンドレ・ル・ノートル

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アンドレ・ル・ノートル

アンドレ・ル・ノートル(André Le Nôtre、1613年3月12日 - 1700年9月15日[1])は、フランス造園家パリテュイルリー庭園、ヴォー=ル=ヴィコント城庭園ヴェルサイユ宮殿の庭園などを設計し、フランス式庭園の様式を完成させた。

経歴・人物[編集]

祖父のピエールは1572年からテュイルリー宮殿で花壇の維持に当たっていた。父ジャンは、テュイルリー宮殿の庭園の設計を担っている[2]。アンドレは、若い頃は画家になるつもりだったため、シモン・ヴーエの学校に通っていた[3]。22歳のとき、ルイ13世の弟ガストン・ドルレアンから首席庭師に任命されリュクサンブール宮殿の庭園を任されている。1637年、父の後継者としてテュイルリー宮殿の花壇の設計士の地位に就く[4]1640年、砲兵隊の地方司令官の娘フランソワーズ・ラングロワと結婚する[5]1643年、王の庭園の設計士になる。1646年フォンテンブローの王妃の庭園の花壇を新たに設計し直す[5]1657年、王の建築物の総監督官に任命される[6]

ル・ノートルの手がけた主な庭園[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • アラン・バラトン『庭師が語るヴェルサイユ』原書房、2014年、48頁。ISBN 978-4-562-04990-5 

関連項目[編集]