アンドレ・クレージュ

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アンドレ・クレージュ
André Courrèges
生誕 (1923-03-09) 1923年3月9日
ピレネー=アトランティック県ポー
死没 (2016-01-07) 2016年1月7日(92歳没)
ヌイイ=シュル=セーヌ
国籍 フランスの旗 フランス
職業 ファッションデザイナー
著名な実績 ツイッギーが着用したミニスカートのデザイン[1][2]
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アンドレ・クレージュAndré Courrèges1923年3月9日 - 2016年1月7日)は、フランスファッションデザイナー

人物・来歴[編集]

第二次世界大戦中、建築土木技師になるため、ポーからパリに上京した。パリ6区国立土木学校に進学し、フランス空軍パイロットになった。第二次世界大戦後、パリ2区のパリクチュール組合学校 (fr) に進んだ。1950年代パリ8区フォーブール=サントノーレ通りのジャンヌ・ラフォリ (fr) のオートクチュールメゾンで短期間働き、その後、バレンシアガで10年間働いた[3]1961年、バレンシアガのサポートで自身のオートクチュールメゾンを設立した。

1964年に、コレクションのスペースエイジ(近未来的なデザイン)を開始し"未来のバレンシアガ"と呼ばれた。

1964年に、女性のパンタロン・ルック、ロングブーツ、ボディタイツなどを発表した。さらに翌1965年マリー・クヮントと同時代、"ミニ・ルック"としてミニスカートを発表する[4][2]

1969年、クレージュは "第二の皮膚"の組み合わせを考案した。また、PVCブーツなど新しい素材を用い、上記ミニスカートや女性のパンタロン、ショートパンツ、膝上丈のドレス、ハーフブーツなど、今ではお馴染みになったスタイルで、当時センセーショナルを巻き起こす。仏歌手のフランソワーズ・アルディや英女優ツイッギーのファッションに取り入れられた。1987年、クレージュは、妻コクリーヌと共にレジオンドヌール勲章オフィシエ章を受賞した[2]

パーキンソン病のため1990年代ごろより第一線の活動を退く。2016年1月7日、パリ郊外ヌイイの自宅で死去[1]。92歳没。

参照[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b “仏デザイナーのクレージュ氏死去 65年にミニスカ発表”. 朝日新聞(夕刊): p. 8. (2016年1月9日). http://www.asahi.com/articles/ASJ192GGZJ19UHBI00C.html 2016年1月9日閲覧。 
  2. ^ a b c クレージュ VOGUE より引用
  3. ^ Erik Orsenna (2008) (French). Courrèges. Xavier Barral. pp. 228. ISBN 978-2-915173-27-7 
  4. ^ Bénédicte Prot « Courrèges lance la mode dans l'espace » sur live2times.com

外部リンク[編集]