アントン・シハルリドゼ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アントン・シハルリドゼ
Anton SIKHARULIDZE
フィギュアスケート選手
2001年GPファイナルでのベレズナヤとシハルリドゼ
生誕 (1976-10-25) 1976年10月25日(47歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国レニングラード
身長 182 cm
選手情報
代表国 ロシアの旗 ロシア
所属クラブ Yubileiny Sport Club
開始 1982
引退 2002年
ISUサイト バイオグラフィ
指導者情報
役職 サンクトペテルブルク立法議会議員、ロシア連邦議会国家会議議員、体育・スポーツ委員会委員長
大会成績
国際スケート連盟主催大会 1 2 3
オリンピック 1 1 0
世界選手権 2 1 0
欧州選手権 2 0 1
グランプリファイナル 1 3 1
世界ジュニア選手権 2 1 0
合計数 8 6 2
国内大会 1 2 3
ロシア選手権 4 3 0
フィギュアスケート
オリンピック
1998 長野 ペア
2002 ソルトレイクシティ ペア
世界選手権
1998 ミネアポリス ペア
1999 ヘルシンキ ペア
2001 バンクーバー ペア
欧州選手権
1997 パリ ペア
1998 ミラノ ペア
2001 ブラチスラヴァ ペア
グランプリファイナル
1997 ミュンヘン ペア
1998 サンクトペテルブルク ペア
1999 リヨン ペア
2000 東京 ペア
2001 キッチナー ペア
世界ジュニア選手権
1993 ソウル ペア
1994 コロラドスプリングス ペア
1995 ブダペスト ペア

アントン・タリエリエヴィチ・シハルリドゼロシア語: Анто́н Тариэльевич Сихарули́дзе, ラテン文字転写: Anton Tarielyevich Sikharulidze, 1976年10月25日 - )は、ロシア出身の男性フィギュアスケート選手で政治家。2002年ソルトレイクシティオリンピックペア金メダリスト、1998年長野オリンピックペア銀メダリスト。1998年1999年世界選手権ペアチャンピオン。パートナーはエレーナ・ベレズナヤマリア・ペトロワ。ロシア語読みでの姓は「シハルリゼ」が近い。

経歴[編集]

1992年マリア・ペトロワとペアを組み、1992-1993年シーズンの世界ジュニア選手権では2位となった。翌1994年と1995年の世界ジュニア選手権では連続優勝を果たした。ジュニアクラスで活動する一方でシニアクラスの欧州選手権世界選手権にも参戦し、世界選手権では6位入賞となるなどシニアでも活躍したが、1995-1996年シーズン終了後にペアを解消し、新たにエレーナ・ベレズナヤとペアを結成した。

1996-1997年シーズン、ベレズナヤとのペアを組んで1シーズン目の欧州選手権で銅メダルを獲得。翌1997-1998年シーズンには欧州選手権とグランプリファイナルを制し、初出場となった長野オリンピックでは銀メダルを獲得。オリンピック後に行われた世界選手権では長野オリンピック金メダルペアのオクサナ・カザコワ&アルトゥール・ドミトリエフが棄権する幸運があったものの、初優勝を飾った。

1998-1999年シーズン以降、世界選手権および欧州選手権でそれぞれ2度優勝を果たし、2度目のオリンピックとなった2002年ソルトレークシティオリンピックでは、不正採点事件で揺れたものの金メダルを獲得。オリンピック後にアマチュアを引退し、プロに転向した。

2006年統一ロシアに入党し、2007年にサンクトペテルブルク立法議会議員に選出された。 2007年12月2日、ロシア連邦議会国家会議(下院に相当する)議員に選出されている。現在、体育・スポーツ委員会委員長である[1]

主な戦績[編集]

大会/年 1992-93 1993-94 1994-95 1995-96 1996-97 1997-98 1998-99 1999-00 2000-01 2001-02
オリンピック 2 1
世界選手権 8 6 9 1 1 2
欧州選手権 6 5 3 1 1 失格[2] 1
ロシア選手権 6 2 4 2 2 1 1 1 1
GPファイナル 1 2 3 2 2
GPロシア杯 5 1 1 1
GPラリック杯 5 3 1 1 1
GPスケートカナダ 2 1 2
GPスケートアメリカ 1 3
GP NHK杯 1
GPネイションズ杯 2
世界Jr.選手権 2 1 1

脚注[編集]

  1. ^ [1](MK.RU,2010年1月24日更新 2010年4月3日閲覧)
  2. ^ SP2位、FS1位となり優勝したが、競技後のドーピング検査でエレーナ・ベレズナヤの服用した風邪薬が陽性と判断され、優勝記録の剥奪と3ヶ月の競技会出場停止処分となった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]